(4−1)ニーナとふいうち即売会
近い。近すぎる。ニーナは内心おろおろしている。あれ?なんで?どうしてこんなことに?
「ニーナ、大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃない!」
きっぱり答えたニーナに、肩を寄せながらハーフォードは笑い出した。ほら、また、すごく近い。
ここは、移動魔法陣で飛んできた第2の中継地点。クオレ公国の第4の都市。穏やかな緑に包まれた山脈の麓にあって、山の向こうはもう、カンティフラス王国だ。山の下の水脈から温泉が湧き出すここは、大陸でも有数の高級リゾート地だった。大小さまざまなホテルや別荘が立ち並び、各国から人々が長期滞在に訪れる。当然、ガイザーブル商会も支部の一つを置いていて、リゾートの日常をより磨き上げるのに一役買っていた。
着いた日は、商会の経営する温泉スパを初体験した。体を洗い、湯着を着て、大きなお風呂というものに生まれて初めて入ったニーナは、すっかりその虜になってしまった。体の芯から温まり、鉛のようだった心が少しずつ、ほろほろ解けていく。
この街では、銀髪碧眼をわざわざ隠す必要もないという。翌日は、ありのままの髪と瞳をさらしたハーフォードに、朝から街歩きに引っ張り出された。さすが山の麓だけあって、ファーレンより少し涼しい。
街の中で、はぐれないようにと手をつながれた。ファーレンの時と同じく、迷子防止のはずだった。なのに、指と指とを絡めるようにされて、歩いている時の距離が近い。ぴったりと肩を並べて、むき出しの腕と腕が触れている。
ハーフォードは白いぱりっとした長袖のシャツの袖を少しまくりあげ、紺色のベストと鈍く銀色に光るスラックスを合わせている。ニーナは、紺地に可愛らしい花が銀糸で刺繍された五分袖のワンピースを渡された。どちらも高級リゾート地に溶け込む品の良さだった。でもどう見ても、二人で洋服のテイストをおそろいにした印象で、「さすがダリル、気がきくな」とニヤニヤ笑うハーフォードのことを、完全に見て見ぬフリをした。まともに受けとったら、恥ずかしすぎて溶けてしまいそうだ。
「ほら、虫除けって大事だろ」
「虫?うん? この街、山のふもとだもんね。いろんな虫がいそうだよね」
「ああ。うん。本気か?」
ハーフォードは一瞬目を見開いて、しげしげとニーナの表情をうかがう。それから何かを納得した。
「そうだな。ニーナを狙う悪い虫がいるかもしれないからな。もっとくっついとくか」
言いかけて、ニーナにますますにじりよった瞬間、横から黄色い声が飛んできた。
「銀の魔術師さま!」
「またかよ」
面倒くさそうに小さくつぶやいて、ハーフォードはニーナの手を握り直す。
「魔術師さま、もしよろしければ、そちらのカフェでお茶でもご一緒にいかがですか?」
声をかけられるのは、すでにこれで3回目だった。銀髪碧眼が忌避されるどころの話ではない。ニーナは手をなんとか引き抜こうとする。ますます強く握られてしまった。
「申し訳ありません。俺は今、デート中で」
わざと指を絡めた手を持ち上げて、ニーナの手の甲に、音を立てて口付ける。だから手を離したかったのに! これをやられるのも、すでにこれで3回目だった。ニーナの心と顔は沸騰しすぎて、もはや瀕死の状態だ。
「わたくしの家は銀行を営んでおりまして、きっと魔術師さまのお役に立てることもあるかと存じますわ」
見知らぬ美しい令嬢が、うっとりしながらハーフォードを見つめている。魔術師を家に取り込むことが富と繁栄の象徴になっている国もあるのだと、ニーナは今日初めて教えてもらった。
ハーフォードが嫌われないのは、すごく嬉しい。嬉しいけれど、ニーナの胸はジリジリと焦げて、モヤモヤした何かが吹き出してきそうになる。ぐっと堪えた。次々現れる令嬢たちはみんな、お人形のように整った肌と化粧をしていて、とてもいい匂いがする。すべての動きがゆったりしていて、走ったらバラバラに砕けてしまいそうだった。
チラリとニーナの様子を見て、ハーフォードの顔が嬉しそうにほころぶ。だが、令嬢を見返した途端に、感情がかき消え、ひたすら淡々と言葉を返した。
「俺は魔術師ではないです」
「でも、銀の髪と青い瞳は、強い魔力の証拠では……?」
「魔力は使えません。なので魔術師ではなく——」
そこで何かを閃いたような、いたずらっ子の顔をニーナに向ける。
「今は、これを売る商いをしております」
言いながら、自分の髪を止めていたガラスのかんざしを引き抜いた。まとめていたハーフォードのクセのない長髪が崩れる。
「まあ、なんて美しいのでしょう!」
かんざしを受け取るなり、令嬢は魅入られたように瞬きを繰り返した。
「こちらの髪留めを、あさっての午後1時から、ガイザーブル商会にて販売させていただく予定となっております。もしよろしければ、お嬢様もお立ち寄りください」
すばやく取り返したかんざしであっという間に再び髪をまとめ、優雅に一礼をして歩き出す。
通りの角を曲がってから、ニーナは慌ててハーフォードに詰め寄った。
「ねぇ、あんな適当なこと言って、あのお嬢様が本気にしちゃったらどうするの?!」
「適当なことじゃねぇよ。本当に売ればいいんだ」
「え?」
「在庫はまるっとマジックボックスに入れてあるんだろ」
「そうだけど……でも、ガイザーブル商会に何にも相談しないうちに!」
「大丈夫だろ。あいつら、いい商売になるなら何でもやってくれるぜ」
ニヤリと不敵に微笑むと、ハーフォードはそれから実に10回も女性から声をかけられ、同じことを繰り返した。意気揚々と商会に戻るなり、さっそくダリルと交渉し、あっというまに、即売会が決定してしまったのだった。
それまでニーナが町で売っていたかんざしの価格を聞いたダリルは、ニコニコさらっと言った。
「その30倍の値段で売りましょう」
「え?」
「ガラスの一番上に繊細な銀細工でも施したら、50倍でも楽勝です。まぁ、そちらは、カンティフラスの王都に入ってからのご相談ですね」
「は?」
頭が追いついていかない。
「今、在庫は何本お持ちですか?」
「100本くらいはあります……」
「そうしたら、今回は50本だけ売りましょう。当日の午前中に整理券を配った上で、購入制限も設けます。一人3本まで。きっと、あっという間に売り切れますよ」
はたして、ダリルの言った通りになった。
商会の広い会議室の一室が、即席の販売店に姿を変える。応接セットと優美な透かしが上についた間仕切りの衝立が、いくつか運び込まれた。接客は、ガイザーブル商会に所属する店員さんが担当してくれる。ニーナは部屋の端っこに座って、全体を眺めているだけでよかった。
整理券に書かれた時間に従って、次々と富裕層のご婦人方が現れ、みんな真剣な表情で、選んで3本買っていく。
来てくれたお客様は、ニーナと同じ年頃のお嬢様から、噂を聞きつけてやってきた高齢の奥様まで、実に様々だった。でも、かんざしを手に取って、下から上から斜めから見定める視線はみな同じように鋭く、なんだかとっても既視感がある。
(獲物を狙う鷹の目か……もしくは、市場だ! 市場で野菜を見極めて買おうとする奥さんたちの目だ!)
そう思いついてしまったら、急に、高級な服をまとった女性たちが身近に思えてきて、落ち着いて彼女たちの動きを観察することができた。どんなものが好みなのか、どんな反応をするのか。
選び終わった女性たちは、一様に満足した笑みを浮かべている。お目当てだったはずの銀髪碧眼の男性がその場にいないことなど、すっかり忘れているようだった。
いつの間にか、かんざしをラッピングする素敵な箱とリボンが用意されていて、お付きのメイドに、かんざしを使った髪の結い方が解説された紙も渡された。
ガイザーブル商会の接客力をさらりと見せつけられて、ニーナはもう、絶句するしかない。
ダリルと事前に相談した手数料を差し引いても、大金が手元に残った。
「どうしよう。うちの町だとこれだけで半年は遊んで暮らせる……」
夕食後のお茶を飲みながら、金額概算が記された紙を渡されて、ぼうぜんとつぶやく。合わせて、今日の顧客の名簿と、誰がどんな模様のかんざしを買って行ったかの記録も見せてもらった。
「カンティフラスだと、2〜3カ月分の生活費、って感じじゃねぇの。よかったな。当面の生活費が稼げて」
ハーフォードは、その日は一日、商会の私兵訓練場に引っ込んでいた。完売になることも、売上の金額もとっくに予想していたらしく、驚きの色はない。
ニーナはあらためて金額を眺めて、ぶるりと身震いした。
「こんなに簡単に大きなお金が手に入るなんて……怖くなってきた。ねぇ、この半分、ディーが受け取って」
「なんでだよ。全部お前の作ったガラスだろ。きちんとしたお前の報酬だ」
「でも、私のガラスって、母さんが魔法で石を分解した素材で作ってるから、実質、材料費がかかってないし! ディーの一言がなかったら、売れる機会もなかったし」
「駄目だ」
厳しい顔で、ハーフォードは、ティーカップを置いて立ち上がる。テーブルをぐるりと回って、隣に座る。両手を伸ばすと、ニーナの顔を、ぎゅっと挟んだ。
刺すような青い瞳が、まっすぐにこちらを見据える。
「自分の価値を、自分で軽くするな」
とたんにニーナは泣きたくなった。
この人の言葉は、なんで、こんなに勇気をくれるんだろう。
こんなに信じられる人。心を預けたくなる人。この先どんなに長く生きても、きっと他には現れない。なぜだかそれは、確信だった。
でもニーナが泣き出すより早く、そのまま、ムニっと両頬を摘まれる。びよーんと思い切り左右に引っ張られた。
「わかったか? 返事しないとこのまま俺のしたいことをするぞ」
その目がじぃーーーっとニーナのくちびるに注がれる。涙が引っ込んだ。とてつもない危機感に襲われて、ニーナはガクガクとうなずいた。
「わかりゃいい」
言っていることと裏腹に、非常に残念そうな顔をしながら、ハーフォードの手がぱっと離れる。
「でも、やっぱりディーのおかげ。本当にありがとう」
ニーナは深々と頭を下げた。ハーフォードはそんな彼女にやさしい眼差しを向けてから、金額の書かれた紙を取り上げる。ふぅと息を吹きかけた。
「おお、吹いても字が消えない。ちゃんと現実だな。よかったよかった。もう俺、このまま魔術師やめようかな。やめて、世界中を巡って、ニーナのガラス細工を売り歩く。べらぼうに儲かるぜ!」
限りなく冗談のように言いながら、その目に本気の光が混じっているのを感じて、ニーナは言葉に迷った。迷ったあげく、口を突いて出たのは違うことだった。
「どうやってお礼したらいい? きっかけを作ってくれたこと、どうしてもお礼したい」
ハーフォードは、少し上を見て、一瞬だけ考え込む。
ふいに顔を輝かせ、少年のようにワクワクした顔で言った。
「明日、動物園に行こうぜ! 俺、行ったことないんだ」
続きは夜に投稿します!




