(3−5)ハーフォードは餌付けがしたい
「出発を早められないか、ですか?」
ダリルが目をしばたたいた。
「次の地点に移動できるだけの魔力を貯められるのが、明日の夕方か、あさっての朝になるかと思うのですが」
「魔法陣と動力源の装置を見せてくれ」
ハーフォードは手短に要求した。ニーナが大泣きに泣いた日の翌朝。彼女は今も自分の部屋で膝を抱えて、食事も取らず、小さくうずくまっている。早く次の街の、新しくて楽しい光景を見せてやりたかった。銀髪碧眼のまま、変身の魔術も使っていない。ここでまた茶色に姿を変えると、ニーナが傷つくのが目に浮かぶようだったからだ。
案内された先は、到着した時と同じ移動魔法陣のある部屋だった。
床に描かれている魔法陣をちらりと眺める。
「へぇ、ずいぶんと古くて手堅い陣を使ってんな」
つぶきながら、丸い陣のヘリを、ぐるりと巡っていく。あるところで、ぴたりと足を止めた。
「紙とペンはあるか」
「ここに」
すぐさま横から差し出される。その用意の良さに軽くのけぞって、ハーフォードはダリルを上から下までしげしげと見た。人当たりの良さそうな笑顔、折り目正しいたたずまい、誰からも憎まれなさそうな抜かりのない言動、そしていつも何かを観察しているような目。
「あんた、ずいぶんと仕込まれてるな。上司がよっぽど厳しいのか」
「私の主人は、オリー・ガイザーブルですから」
「オリー……? げ」
ハーフォードは思わず1歩下がる。
「あのおっかない女王様の手駒か」
「はい、私の主人は大変におそろしく美しい方ですよ。駒になれて、幸せです」
「あっそ。よかったな」
聞いたことを後悔する顔でハーフォードはぞんざいに返し、受け取った紙を床に置くと、さらさらと書き込んだ。
「で、動力源は、こっちの装置ね。ああ、魔石を経由して空気中の魔力を吸い取って貯めるのか。うーん、装置の裏側に使われている魔法陣も、面白みがねぇなぁ。もっとシンプルに効率よくできるだろ」
ぶつぶつ言いながら、さらに、紙に新たに何かを書き込んでいく。
「こういうふうに、魔法陣を書き換えたいんだけど、誰に許可を取ればいい?」
「ガイザーブル商会の魔術部門長に許可を得る必要があります」
「ああ、なんだ。マーサか」
「……どうしてそう思われたのですか?」
「だって、マーサの魔力量、どう考えたって尋常じゃないぞ。この腕輪いっぱいに魔力を注げるんだぜ。どこかの国の筆頭魔術師だって言われても納得する。それなのに、自分は魔術師じゃないっていう。どこの国からも余計なちょっかいを出されずに、こっそり自分の自由にやりたい、っていうことだろ。そんなの、ガイザーブルの魔術トップにうってつけだ」
「その洞察力は、お師匠様譲りですか?」
「はは。うちの師匠はもっとのらりくらりしてるよ」
遠回しに推察を肯定されたハーフォードは、腕輪から引き出した魔力で、パチリと指を鳴らした。とたんに手の中の紙が小枝のサイズに小さく丸まった。同時に、1羽の銀色の小鳥が空中から現れ、肩に止まる。そして、物珍しそうに首を傾げて、ハーフォードの頭の後ろを飾っている、ガラスのかんざしを見た。
「ああ、お前、ちょっと青みを足しておくか」
手でパッと小鳥の体を包む。次に手を離した時には、その羽が鮮やかな瑠璃色に、頭の色が爽やかなスカイブルーに変わっていた。
「よし、いい感じだな。これをマーサに持っていってくれ」
小枝状になった紙をくわえると、小鳥はさっと飛び立つ。
「伝令鳥ですか。ハーフォードさんは、流れるように魔術を使われるのですね。私の周りでここまで自在に使われる方を見たことがないです」
「そうか? うちの弟なんて、まだ7歳だけど、俺よりすごいぜ。あいつは呼吸をするのと魔術を使うのが同じようなもんだ。あ、戻ってきた」
「え、もう?!」
ハーフォードの腕に、伝令鳥が舞い降りる。そして、得意げに小さな青い翼を広げてみせた。
「そうか。マーサに翼の色を褒められたのか。よかったな」
言いながら、紙を元のサイズに戻し、広げてダリルに見せた。
「許可、だってよ」
ダリルは穏やかな表情を振り落として、愕然としている。マーサの筆跡で一言「許可」と書き込んであるのを確認し、首を横に振った。
「こんなに早い伝令鳥のやり取りも、見たことがないです」
「ストレスがなくていいだろ」
ニヤリと笑うと、頭に小鳥を乗せたまま、ハーフォードは紙にあらためて、魔法陣を描き出していく。そして、次々と短い魔術語をつぶやいた。
「《複写》《展開》《上書き》」
極めて簡潔な言葉で、紙に描いた魔法陣と同じ模様が空中に浮かび上がり、青白く力に満ちた光を帯びる。そのまま、移動魔法陣と、動力源の魔法陣の上に吸い込まれるように、あっという間に消えていった。
「ほら、これが新しい魔法陣。シンプルできれいだろ。短い魔術語で簡潔に稼働させたほうが効率がいい。半日もしたら、魔力が溜まって出発できると思うぜ」
「……ハーフォードさん、うちの商会に就職しませんか」
「はは。給料良さそう。ああ、腕輪の魔力をちょっと使ったから、できれば補充したい。次の街についてからでいいから、魔力の多そうな魔術師を手配してくれるか。次の移動魔法陣も、着いたら改良する」
「ありがとうございます。承知しました」
ハーフォードは、その足で、厨房に向かった。あらかじめ頼んでおいたシーフードリゾットのトレーを受け取る。ガイザーブル商会に勤めている職員は皆、教育が行き届いていて洗練されている。ファーレン国なのに、銀髪碧眼でいても憎まれもせず、侮辱もされず、平然と受け止めてくれているのは大変ありがたかった。
それどころかむしろ、ハーフォードの頭の上にいる青い小鳥が大人気だ。厨房から廊下を歩くだけの短い間に、袋いっぱいの木の実をもらってしまった。小鳥は袋をチラチラ見ては、そわそわしている。
「ちょっと待っててな」
笑ってたしなめながら、ニーナの部屋のドアを叩く。
小さな声で返事があったので、遠慮なくずかずかと中に入り込んだ。
ニーナはベッドの上で膝を抱え、膝頭に顎を乗せながら、小さくなっている。ハーフォードを見て、力なく微笑もうとするから、食事のトレーをサイドテーブルにさっとおくなり、中指を丸めてニーナの額を勢いよく弾いた。
「痛っ! いきなりデコピン?! ひどいー!絶対赤くなってる、痕ついてるー!」
ふいうちをくらった彼女から、ちょっと元気な声が出た。両手でおでこを押さえて、上目遣いでこちらを睨む様子がもうだめだ。しかも今は髪を下ろした無防備な姿でさらにもうだめだ。絵にして永久保存しておきたい。ほっとして、調子に乗ったハーフォードは、もっと荒療治に出ることにした。
「どれ、赤くなってるか見てやるから、手をどけろ。大丈夫だ、なんともなってねぇよ。まだ痛むのか? わかった。ほら、痛いの痛いの飛んでいけー」
おでこに顔を寄せ、チュッと派手な音を立ててキスをした。
ニーナは目をこぼれ落ちそうに見開いて、口を開いたまま固まっている。なんなら、呼吸も忘れてしまっている。ハーフォードは思い切り吹き出した。
「お前、なんて顔だよ」
「ディーがいきなり変なことするからでしょ!」
愛称を呼ばれて、今度はハーフォードの呼吸が止まる。今、少しでもニヤつくと、そのまま顔面が崩壊しそうな気がして、グッと眉間に力を入れて堪えた。何してんだ、俺。
小鳥が頭の上で、呆れたようにハーフォードをつついてから、ぴるると鳴いた。
「わ、その小鳥!」
ニーナの瞳が驚いて、それからキラキラと輝いた。
「それ、もしかして!」
「昨日、ステンドグラスの壁掛け、作ってくれただろ。ダリルから受け取った。あの中にいた小鳥だよ。ほら」
少しの嘘を織り交ぜて、ハーフォードは小鳥を頭の上から手の甲に移す。ニーナの目の前に差し出した。頭はスカイブルー、羽は瑠璃色、ぷっくりしたお腹は銀色。昨日、ニーナが作ったステンドグラスの配色そっくりだった。
「手のひら、出してみろ。そうそう、それでいい」
ボウルのような形で差し出されたニーナの左手に、小鳥は軽々と飛び移る。指にくちばしをこすりつけて、満足そうにぴるぴる鳴いた。
「よかったな。ニーナのことが好きだって。木の実、あげてみるか。反対側の手のひら出して」
木の実を数粒、彼女の手に置いてやる。手のひらごと小鳥に近づけると、小さなくちばしが、せわしなくついばんだ。
「くすぐったい!」
ふふふ、とニーナが耐えきれずに笑い声を上げる。
その顔は、あの海を見ていた時みたいに、透き通っていて、無邪気だった。
ハーフォードは目尻を下げて、
「ニーナ」
名前を呼んだ。ニーナの顔が、こちらに向いた瞬間。その口めがけて、シーフードリゾットの載ったスープスプーンの先を持っていく。反射的に開いた口に、程よい温度のリゾットを流し込んだ。ぼうぜんとしながらニーナの口がもぐもぐと動き、ごっくんと飲み込む。
「よし」
大変満足しながら、ハーフォードはもう一口、リゾットをニーナの口元に運んだ。まだぼうぜんとしている口に流し込み、またごっくんするのを見届ける。
「ほい、もうひとくち」
またスプーンを動かそうとするハーフォードをきょろっと見て、ニーナが突然息を吹き返した。
「ちょっと待ってちょっと待って。なんで?なんで?」
慌てすぎて、言葉が空回っている。ハーフォードは、胸を張って答えた。何も悪いことはしていない。
「なんでって、お前が昨日の夕飯も、今朝の朝飯も食わないからだろ」
「もっ、もう食べられる。自分で食べる」
「いやだ」
「なんで?」
「食べさせたほうが、かわいいから」
うぐぅ、とニーナの喉がおかしな音を立てた。顔だけでなく、喉や耳まで真っ赤に染まっている。美味しそうに熟れた首筋に、口付けたい衝動に駆られた時、彼女の手の中で、小鳥がぴぃぃぃと鋭く鳴いた。
「ああ、すまん。お前の飯な」
ニーナの手に、木の実をたっぷり追加してやる。それから、リゾットの皿を持って、再びニーナの口にスプーンを近づける。睨み上げる緑の目を、余裕で見おろす。やがて、観念した彼女の口が、小さく開いた。
結局、ニーナはリゾットを完食した。
「美味かっただろ」
「あじが、ぜんぜん、わかりません」
小声でぶつくさ返事が戻ってくる。けれど、その顔はずいぶん血色がよくなっていて、ハーフォードは上機嫌で食器をトレーに戻した。ニーナの手のひらを丁寧に拭いてやり、小鳥を自分の頭の上に戻す。
「どうだ、かわいいだろ」
子どもみたいに自慢すると、とうとうぷっとニーナが吹き出した。
「小鳥もディーも、得意げでちょっとかわいい」
「だろ」
にやっと笑いながら、小鳥をベッドサイドのテーブルの上に移動させる。また少し、木の実を置いてやって、「ちょっと待っててな」と鳥の頭を撫でる。
そのままベッドの上に乗り上げて、ニーナの隣にあぐらをかいた。
「だいぶ、いつもの調子が出てきたな」
「……うん」
「それでいい」
ニーナの頭をぐりぐりわざと乱暴に撫でる。
「この程度のことで、いちいち立ち止まるな」
「……自分のことだったら、何があっても耐えられる。けど、昨日の、あれは……」
「それでも、だ」
背筋を伸ばして、厳しい声で、ハーフォードはゆっくりと言った。
「お前は、ガラスを作りたいんだろ。世界を見に行きたいんだろ。だったら、呑まれるな。世の中なんてな、理不尽なことや、不条理なことばっかりだよ。いちいち付き合ってたら、こっちが負ける」
ニーナは、食い入るようにこちらを見た。両手が、ぎゅっと固く握りしめられる。目に、力がこもった。そうだ、それでいい。ハーフォードは思う。思いながら、祈るように続ける。
「何があっても、お前は作れ。自分のガラスを届けろ。どんな理不尽な世界でも、お前のガラス細工を、お前の作る色を、喜ぶやつは絶対にいる。俺みたいに」
自分の頭にある、ガラスのかんざしを指さして、不敵に笑ってみせる。
「忘れるな。お前のガラスには、両親から受け継いだ技術には、価値がある。理不尽なことや、不条理なことや、そういう嫌なこと全てを一瞬で吹き飛ばして忘れてしまうくらいに。お前の作るこれは、美しい」
意味を味わうように、ニーナは一瞬だけ目を閉じる。
その背が、凛と伸びた。
瞳が、まっすぐに、前を見た。
出発した日の朝と同じように。
『何が幸せかは、私が決める』
あの時の言葉は良かった。今まで、自分で何かを決めることから逃げてきたハーフォードには、まぶしすぎた。
父親ゆずりの緑の目が、こちらを見上げて、本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。元気でた。すっっっっっごく、元気でた」
そのまなざしに、吸い込まれる。ニーナの燃えるような赤い髪に手を伸ばして触れてから、華奢な肩を胸に引き寄せる。ふるりと震える体を、すっぽりと、自分の腕で包んだ。
かわいらしく渦巻くつむじに口付ける。ついでに、さっき果たせなかった首筋への口付けも、軽く一つ。
ひとまずは満たされて、ハーフォードはニーナを見た。あっという間に、全身ゆだったように、赤くふにゃふにゃになって、腕の中でぐったりしている。けれど逃げるそぶりは全然ない。本当は、逃げてくれた方が、よかったのかもしれない。
——彼女にこれ以上、近づいたらいけない? 巻き込むな?
ハーフォードは、胸の中で昨日からずっと正論をわめき立てている自分自身を、とうとう笑い飛ばした。
もう、手遅れだろ。
目の前の真っ赤な頬に、また一つ、くちびるを寄せる。
喉の奥で「きゅう」と小さく甘く鳴いて、彼女はとうとう目を回した。ハーフォードはあまりのかわいらしさに射抜かれて、肩を震わせて笑い出す。
こんなに勇敢で、こんなに脆いもの、どうして手放せる?
のけものにされた小鳥が、大変不満そうに、ぴるると鳴いた。
ちょうど区切りが良いので、本日はこれにて!
明朝から、新しい街に移動します。




