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ガラス屋ニーナは瑠璃のなか  作者: コイシ直
第3章 ニーナとファーレン国

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(3−2)ニーナとハーフォードの初めての感情

 

「おや、カンティフラス語に変えたんですね」


 ガイザーブル商会に戻ってきたふたりの会話を聞いた途端、ダリルは即座に自分もカンティフラス語に切り替えて出迎えた。


「助かります。アンデラ語は、あまり慣れていなかったもので。街歩き、ずいぶん満喫できたみたいでよかったですね」


 ハーフォードが腕に抱えた大きな包みを見やりながら、にこにこと言う。


 あのあと、元気がなくなってしまったニーナの手を引いて、ハーフォードはこれでもかと街を連れ回した。市場から雑貨屋、船着場、魚と海鳥に餌をあげられる公園、貝の浜焼きが名物の屋台と、さんざん渡り歩く。途中の店頭、ニーナが目を奪われてしまったステンドグラスの小物入れを二つ、即決で買って、彼女の顔を見て、「よし、やっと笑ったな」と自分も笑った。


「おふたりは、夕飯はどうしますか」

 ダリルに問われたハーフォードは、空いている方の手でぽんぽんと自分のお腹を叩く。


「俺は食える。むしろ空いてるって腹が訴えてる。ニーナはどうする?」

「食べられる!」

「それは頼もしいな。あ、俺、普通の食事量で十分だから。今は、魔力を封じられてるからさ」

「わかりました。では、こちらにどうぞ」


 ダリルに案内されながら、歩くハーフォードの袖をニーナは引いた。


「ねぇ、普通の食事でいいってどういうこと? いつもはもっと食べるの?」

「魔術師はな、魔力を使えば使うほど、補うためにたくさん食べるんだ。俺はいつもだと、5人前くらいは軽く食うな。今は、あんま食わなくても生きていけるからありがたい。食費がかからなくて済むのって最高だな」


「うちの母さん、魔術を使っても、そんなにたくさん食べる人じゃなかったけど……」

「うまく魔力をセーブしてたんだろ。賢いな」


 やさしい声で言ってから、袖を(つま)んでいたニーナの手を、大きな手が突然ぎゅっと捕まえた。街中だといろんなことに気を取られて、手をつないでいても平気だったのに。ふいに手だけでなく、心の柔らかいところまで、ぎゅっとつかまれてしまって、急にどうしようもなく胸が苦しくなる。顔がほてってきたのを感じながら、ニーナはふくれっつらをした。


「私、こんなところで迷子にならないよ?」


「どうだか」

 楽しそうに、ハーフォードはつないだ手を軽く揺らす。


「ショーウィンドーのステンドグラスの小物入れに夢中になって、急に一歩も動かなくなったのはどこの誰だっけ?」

「うっ、だって、あれは、不可抗力」

「ほら、その廊下の先に見えてるのは何だよ?」

「……ステンドグラスのランプ!!!」


 とっさに駆け出しそうになるニーナの手を、ぐいっとハーフォードが引いた。


「おい、落ち着けって。本当に危なっかしいなぁ。ステンドグラスは逃げねぇよ」

「逃げるかもしれないし!」

「へぇ、本当に逃げられるように、足を生やす魔法でもかけてやろうか」

「やめて! ランプに足が付いてちょこちょこ走ったら、ちょっと可愛いかも!とか思っちゃった自分が悔しいから、ほんとやめて!」


 前を歩いていたダリルが、くすくすと笑いながら、こちらを振り返った。


「おふたり、仲良しなんですねぇ。うらやましいです」

「……!」


 ニーナは返す言葉を失って、口をぱくぱくさせる。ハーフォードは、いたずらっ子の少年のようにニヤニヤと笑いながら、ますます手をぎゅっと強く握った。


 食事が終わっても、就寝の時間になっても、その手の感触が、ニーナの中から消えてくれない。




 翌日の早朝。


 あてがわれた客室で目を覚ましたハーフォードは、隣室の気配をうかがった。ニーナはぐっすりと眠っているようだ。

 昨日の彼女の泣き顔を突然思い出してしまい、「ぐっ」とハーフォードはうめいた。


(泣き顔にぐっとくるとか、何だよ俺、変態かよ)


 でも、本当にかわいかったのだ。

 大きな緑色の目が、海に見とれながら、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしている。しまいには、泣きすぎた目と、かみすぎた鼻がすっかり赤くなってしまって、それがまた、あどけなくて、脆いくらいに素直で。


 これ以上きれいなものは、世界の他にはないように思えてしまった。だからこそ、自分なんかが深く触ったら、きっと不幸にしてしまう。


 それでもつないだ手を、どうしても離したくなくて、昨日はずいぶんと歩いてしまった。


(駄目だな。駄目だ。深入りしたら駄目だ)


 彼女は、魔力を持っている。それは確実だった。

 ただ、彼女の両親は、それを注意深く、世の中からも、本人からも隠し通した。


 その理由を、ハーフォードはたぶん、知っている。

 彼女の父親のニックも、魔力を持っていた。それも、特殊な能力を。そのせいで、彼は、ハーフォードの目の前で命を落とした。おそらく、ニーナも、それと同じ力を持っている。


 マルタ帝国軍で一緒にいた数カ月の間、ニックは色々な話を聞かせてくれた。

 自分の家族のこと、ガラス職人の仕事のこと。実はこの国の生まれでないこと、ふるさとのこと。それから、鬼火の悪魔と呼ばれている気の毒な魔術師に寄せる同情。ニックの特殊な才能のせいで、マルタ帝国軍に捕らえられたまま、権力者に利用され、家族の元に帰ることができないでいること。


 ニックは様々なことを、毎日話してくれた。自分にはハーフォードと同い年の娘がいるから、君まで息子に見えてくる、なんて、本当にお人好しがすぎることを言いながら。


 ハーフォードのこれまでの人生は、魔術ばかりが優先されて、正直まともなものではない。要領はよかったから、するりするりと、色々なことに深入りしないように生きてきた。わずらわしいことはごめんだ。手のかかる師匠の面倒を見るだけで、もう、こりごりだった。風みたいに生きて、風みたいに世界からいつの間にか消える。それでいいじゃないか。


 でも、普通の人の、普通の生活の話を聞くのは、意外と面白かった。


 だから、ニックから、最期に彼のガラス作品を託された時。面倒ごとから極力逃げてきたはずのハーフォードは、夜の闇に紛れて(とりで)から脱走し、馬を奪い、鬼火の悪魔と呼ばれる魔術師を安全な場所に隠し、追手を巻いてその小さな町までたどり着いた。魔力を使わず、自分の身体能力だけで走り抜けたのは、初めてのことだった。まったくいつもの自分らしくない。それでも後悔していないのが、我ながら不思議だった。


 深い傷を抱え、もうろうとした頭でも、自分が行くべき家はすぐにわかった。ニックが何度も何度も語っていた。町外れの小さな二階建ての家。入り口の木の扉には、素朴にくすんだ緑と赤のガラスのタイルがはめ込まれている。一度も見たことのない家なのに、もう何度も来たことがある気がする。


 脇腹の傷は激痛を通り越していて、目の前が白くかすんでいく。だが、家の前で倒れて、軍の奴らに連れ戻されるわけにはいかなかった。なんとか足を引きずりながら、裏に回り込む。


 そこにガラス工房があるはずだ。ニックの妻と娘に彼の形見を渡せたら、腕輪に残ったわずかな魔力で、どこかに消えよう。


 目がくらみ、倒れ込んだら、もう立ち上がれなかった。

 首に下がった大切なものを、せめて見えるところに置こうと、動かない指に力を込めた時。


 大きく明るい、緑の瞳がこちらを覗き込んだ。


「ニック……」


 いや、違う。

 そこにいるのは、赤毛の、聡明そうな面差しの女性だった。

 ニックの話の中では、いつでも3歳のあどけない赤毛の女の子が、元気に駆け回っていて。

 そうか、彼女が、


「あんた……ニーナか」


 なんてきれいな目なんだろう。

 思った次の瞬間、視界が暗くなっていく。

 そうか、自分は死ぬのか。

 悪くない。

 最後にあんなきれいなものを見られて。でも、


(もう少しだけ、見ていたかった、かもな……)


 意識が完全に戻った時、彼女と薬師のおかげで、命拾いをしたことを知った。

 しかもニーナは、自分を逃す手伝いをしてくれるという。


 父親といい、娘といい、どうしてこんな自分のために、一生懸命になってくれるのか。意味がわからない。正直、いつ死んでも別にかまわないのだ。生きている理由も意味も特にない。


 そう思いながらも、ニーナの傍は、あたたかかった。ずるずると立ち去る機会を失って、たった数日のうちに、彼女の手を、どうしようもなく離しがたくなっている。


『これ、あなたの瞳の色みたい。瑠璃色』


 そう言って、湖できれいな青金石を手のひらに置いてくれたとき、彼女の目が見ている世界のどうしようもない美しさを知った。自分の銀髪碧眼は、いつでもたいてい値踏みの対象だ。強い魔力の象徴として(うと)まれるか、畏怖(いふ)されるか、これは使えると思われるか。そんな小さい世界と無縁の、ただただ美しい青色を、ニーナは自分の中に見てくれている。無性に嬉しくて、心が躍って、吸い寄せられるようにもっと近くに行きたくなって、それが無性に恐ろしかった。


 もし、これ以上近づいたら、彼女は、こちらの世界にきてしまうかもしれない。それだけの魔力も才能も、きっとあの子は隠し持っている。


 魔術師の世界なんて、まともなものではない。

 あの子のきれいな目に、こんな世界、見せたくない。安全な場所で、きれいに笑っていてほしい。


 ハーフォードは、目をつぶった。まぶたのうらに、ニーナの泣き顔が焼きついてしまった。


(かわいいな、おい)


 また思ってしまって、こんな時なのに、顔がほころんでしまう、どうしようもない自分を殴り飛ばしたくなる。


 とにかく、カンティフラスだ。カンティフラス王国までだ。

 カンティフラスに着くまでは、彼女を守る。でも、そこまでだ。


 自分に何度も言い聞かせながら、ハーフォードはベッドから抜け出した。




続きはまた明朝。よろしくお願いします。

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