狂気の国王 2
国王狂疾による、遠征の中止。
その報はすぐに宮廷へ齎され、当然、イザボウの耳にも入ってきた。
「王妃様。陛下は間もなくご帰館されるとのことです」
「そう。どのようなご様子なのかしら。お怪我などなさってはいない?」
「お怪我はされていなようですが、まだお心が落ち着かれないご様子とのことです」
「わかったわ。お出迎えの用意を。それから、あまり慌てないように。このような時こそ、陛下のお心を乱すような振る舞いは慎まなければなりません」
不安に駆られていた侍女は、イザボウが冷静に指示するとはっとしたように、居住まいをただした。その王妃然とした態度を見て、侍女は自分の責務を思い出す。
「わたくしの役目は、陛下をお支えすること。決して忘れないようになさい」
国王である夫が、無謀ともいえる理由で、周囲の大反対を押し切って武力行使を決定した。それだけでも最悪なのに、相手は王国有数の大貴族。あまつさえ、遠征途中で精神の均衡を崩したとなれば、どのような議論が巻き起こるか。
ただでさえ、執権政治から親政へ切り替える時、様々な確執を生んでいる。この婚姻に乗り気でなかったバイエルン公である父は、嫁ぐ際、イザボウに様ざまな教育と忠告を授けて送り出した。だから彼女は、実権を持たない王と王妃がどのような境遇に陥るか、その子供がどんな扱いを受けるか、おおよその予想ができた。
まだ、大丈夫。イザボウはそう思った。
陛下は、今までもしばしば危うい言動を繰り返してきた。それは、わたくしの前でも変わりない。だからこそ、王妃であるわたくしが支えなければ。国政は暫く叔父や王弟殿に任せて、陛下にはゆっくりしてもらおう。精神的な負担を無くして、穏やかな時間を過ごせれば、きっとよくなるはず。何よりわたくしたちには、希望があるのだから。
あまり知る者はいなかったが、実はこの時、イザボウは懐妊していた。シャルル6世との間に生まれた子は、今まですべて王女ばかり。そのため、彼の王権は盤石とは言い難かった。それでも、もしこの子が王子であれば―――――その希望が持てれば、回復にも役立つはず。
なにより、自分たちには愛があるのだから―――――そう、彼女は思っていた。
「そなたらは誰だ⁉余をどうするつもりだ⁉」
しかし、果敢に決意したイザボウの希望は打ち砕かれる。
狂気に陥ったシャルル6世は、他人の認識が出来なかった。誰の言うことも聞かず、喚きたてる。それだけでなく、イザボウを見た彼は彼女が側に寄るのを許さず、追い払おうとする。
「お前など知らぬ!寄るな、あっちへ行け」
「その者を追い出せ!余の見える場所から出て行け‼」
そして、なおも側に行こうとすると、イザボウに殴り掛かり、打ち据え、髪を引きちぎるなどの暴行に及ぶ。
狂人特有の感情の動きなのか、シャルル6世はあれほど愛したイザボウを、それと認識することが出来なかった。それどころか、落ち着くにつれ他の者を受け入れ、穏やかに接するのに、彼女に対してだけは攻撃をやめない。懐妊中ということもあり無理のできないイザボウは、暫く彼の眼に入ることもできなかった。
なぜ、自分だけ追い払われなければならないのか。狂気の中にいる時、普段とは全く違う行動をとることは珍しくない。そう、医師は断言したし、周りもその考えを支持して労わってくれる。それでもなぜ、王の子を身籠っている妃だけが受け入れてもらえず、暴力をうけなければならないのか――――――。
罵倒され、力の限り殴打されながら、イザボウは、惨めな気持ちを抑えることが出来なかった。
シャルル6世による、イザボウに対する暴力は史実の通りです。
絶望したイザボウは教会で祈る時に、夫が回復したら、次に生まれる王女を修道女として神にささげると言う誓いを立てます。この時懐妊していた子供が王女だったため、誓い通りに修道女にしました。
当時の国王は、武力にも秀でている必要があり、彼はなかなか力も強かったため、イザボウはあざだらけだったという話もあります。
狂人なので、DVとは違うのかもですが・・・・・・。