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三つ巴の争い


 当時、シャルル6世とイザボウはブルゴーニュ派の監視下にあり、アンジュ―公妃ヨランド・ダラゴンの訪問は、当然把握されていた。しかし、女一人、大したことはできまいと踏んだ相手が国王の末息子と縁談を結び、尚且つ養育のため連れ去ったと知れば、当然穏やかではいられない。監視はさらに厳しくなり、報復のように生活面での締め付けも強まった。


 そんな折、アルマニャック派がブルゴーニュ公が国王夫妻を不当に貶めていると糾弾し、パリ市内への恐怖政治を開始した。流言飛語を厳しく取り締まり、ブルゴーニュ派に与すると見なされれば即座に捕縛され、家財が略奪されるという事態になり、パリ市内は完全に混乱する。このすきをついたイザボウは、

またもや錯乱状態に陥ったシャルル6世を伴い、ルーブルの要塞に非難し、ブルゴーニュ派はこの行動を彼女の裏切りとして非難し、アルマニャック伯と通じた結果であるとの噂をばら撒いた。


 実際には、アルマニャック伯とイザボウの王国、王族の在り方としての考えはまるで相いれないため、幾度となく対立し、トロワ条約締結の時点で完全に決裂するが、この時点では、未だどっちつかずの態度であり、それが更に混乱を深めたと後世でも批判の的となっている。

 それでも、イザボウに国王代理としての摂政の地位を与え続けたのはシャルル6世であり、不思議なことに彼女への批判はやまないのに、摂政を交代するまたは共同摂政権を新たに設置するという話は出たことが無かった。

 

 ブルゴーニュ派、アルマニャック派ともに戦力や影響力にさほどの差はなく、どちらかが圧倒するのは不可能である以上、外部に力を求めるしかない。両派はそれぞれイングランドに支援を求め、恩を売りたいヘンリー4世は、1412年にアルマニャック派への支援を決定して、ノルマンディーにイングランド軍を上陸させている。

 これに慌てたブルゴーニュ公はアルマニャック派を説得し、いかなる理由であろうともイングランドとは同盟しないことを両派とも誓い合う。しかい、フランスに上陸したイングランド軍を撤退させるには、それ相応の代償が必要であり、アルマニャック派はイングランドへ多額の賠償金を支払わなければならなかった。アルマニャック派は、当然これを単独で支払うことを拒否し、両派はパリ市への課税で賄うことで合意した。

 こうした不都合な事実は、全てイザボウな華美な生活を賄うためとの噂が流れ、王妃イザボウへの非難は更に加速し、以前からの悪評と相まって収まる気配が無かった。結局のところ、実権を握るために争う人間にとって、狂気の国王という後ろ盾しか持たない王妃は、見せかけの権力を握らせ、泥を被せるのに最適な存在であり、敵対勢力をどう黙らせ、いかに自分が潔白なのかを見せつけることが重要なのだった。

 イザボウもそれは承知していたが、イングランドに王位を渡しかねないブルゴーニュ公は論外として、アルマニャック伯は、場合によっては略奪も是とする前時代的な価値観を全面的に押し出しており、やがては諸侯との軋轢が回避できないことは明白であり、どちらも共闘するに相応しいとは言えない。結局のところ、二代派閥の間をどちらにも決定打を与えぬよう風見鶏の如く揺れ動くしかなかった。


  

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