新たなる動乱の始まり
シャルルとアンジュ―家との縁談が結ばれた当時、フランス国内はアルマニャック派とブルゴーニュ派が争い、何度も暴動がおこりかけ一刻の猶予もならないほどだった。しかし、両派とも内戦を引き起こすほど愚かではなく、片方が実権を握ると片方が市民の不満を煽って取り戻すという一進一退の状況を繰り返していた。
一方、イングランドではヘンリー4世が没し、ヘンリー5世が即位する。ヘンリー4世の治世は前半は王位奪還の影響で安定しなかったが、内紛の制圧に成功し、晩年は安定していた。ヘンリー4世は、フランスの王位に関心が無かったわけではないが、国内の安定を重視したため、具体的な動きをすることは無かったが、後を継いだヘンリー5世は違う考えを持っていた。
元々、このフランス王位をめぐる戦争は、国や国土という意識が希薄な時代に端を発している。フランスの大貴族アキテーヌ女公がフランス王ルイ7世と離婚して、後のイングランド王ヘンリー2世と再婚したことにより、彼女の持つ広大で豊かなアキテーヌ領がイングランドの所領となった。しかし、アキテーヌ公とは、フランス王に臣従するフランス貴族であり、主君はあくまでもフランス王であるという事実は覆すことができない。つまり、イングランドの所領でありながら、フランス王に従うという姿勢をとらざるを得ず、名実ともにイングランド領とするには、フランスから正式に割譲される必要があり、それには戦争による奪還という形をとるしかなかった。
そこで両国は、アキテーヌ領の争奪を繰り返すことになるが、イングランドは、フランスの王位を得れば自動的にこの二重規範が解消されると考え、和解のための政略結婚を機に、フランス王位の継承権を主張し始める。どちらも完全に勝利することが出来ないまま、フランスの内乱とのイングランド国内の混乱を理由に暫く膠着状態が続いたが、国内が安定した今、ヘンリー5世は、フランスの王位奪取に意欲を見せ始める。
それは、今までのフランス国内はあくまでも内乱、国内の混乱であったが、イングランドの積極的な介入によって、本格的な戦争が始まることを意味していた。




