寵妃の追放 2
オデットを宮廷から出す。国政ならばともかく内々の問題であれば、今や宮廷の全権を握るイザボウにとって、さほどの問題はない。だが、これは、王の寵妃を王妃が王の許可なく追放するということに他ならない。
「そなた、何故今になって宮廷を辞するなど考えたのだ?」
「陛下、わたくしはもう30歳になります。わたくしは、この宮廷で身に余るほどのあらゆるモノを与えられ、感謝申し上げております。ですが」
オデットはそこで俯き、暫し言いよどんだが決然として面を上げ、その顔には、様々な感情が浮かんでいた。迷い、畏れ、決意と、自己嫌悪。そして――――微かな希望。彼女は、その複雑な感情全てを押し殺して、イザボウに訴えた。
「罰当たりと罵られることは当然のことと覚悟しております。ですが、わたくしは―――――」
イザボウの冷たい沈黙に、オデットは怯んだように黙り込む。
「続けよ。そのために、わざわざわたくしの下に来たのであろう?」
実際のところ、イザボウはオデットの周りに何人かの監視をつけており、彼女が何を言い出すのか、凡その見当がついていた。
「わたくしは――――この宮廷では、決して得られないものが欲しくなってしまったのです」
「どれほど恥知らずな申し出か、痛いほど理解しております!ですが、陛下、どうかお慈悲をもって―――」
「反逆者として処刑されることも覚悟の上でか?」
「し、処刑・・・?」
絶句するオデットを意地悪く観察しながら、イザボウは全く別のことを問いかける。
「そなた、陛下を・・・わたくしの夫を恋しいと思ったことは?」
「国王陛下を・・・でございますか」
半ば呆然としたその答えが、全てを物語っていた。国王の寵妃と持て囃され、あらゆる特権を与えられながらも、目の前の女は、イザボウの夫にひとかけらの恋情を持ったことが無い。彼女にとってはいきなり降って湧いたような幸運でさえなく、ただ周りの人間の言うとおりに振る舞い一族のために従っていたに過ぎず、目覚めた今となっては、捨て去っても悔いのないものだということを。ならば、その腹の子は―――――?
「ならば、陛下を裏切ったことは?」
「そ・・・そんな・・・!」
見る間に青ざめた女の顔を、イザボウは無慈悲に見つめて言い放った。
「そなたは、陛下を慕ったことが無いという。ならば、恋しい男がいながら決して陛下を裏切ることが無いと、どうして断言できるのだ?」
現にイザボウ自身、夫に未だ情がありながらも裏切った。人の心は複雑だ。状況次第でいくらでも変わる。己が信じられないイザボウは、また、他人を信じることが出来なかった。
「畏れながら王妃陛下に申し上げます」
先ほどまでどこか卑屈で怯懦に震えていたオデットは、次の瞬間顔を上げて、はっきりとイザボウを見つめ返した。
「わたくしは、僭越ながらも国王陛下唯一人の愛妾でございます。その立場にいる以上、わたくしが陛下を裏切ることは、決してございません」
まるで、それが自分の誇りだというように断言するオデットを見て、イザボウはわずかに目を細めた。なるほど、この女を愛妾に迎えたことは、狂気に蝕まれ、妻と弟に裏切られた不運な国王にとって、数少ない幸運であったかもしれない――――ふとそう思い、誰にともなく感謝した。
オデットが初めて会った時の国王は、既に狂気の最中にいて、とても人前に出られるような状態ではなかった。イザボウにとって、シャルル6世は初恋であり彼女の最愛の夫であったから、愛妾の存在がどうしても許せずに嫉妬し嘆いたが、では、オデットにとってはどうだったのか。10歳以上も年上の、垢にまみれて悪臭を放ち時には凶暴な発作を起こし、自分の身体を好き放題に暴く決して抗ってはならない国王という存在。イザボウは、初めてこのオデットという愛妾のこれまでの境遇を、その心情を慮った。結局のところ、夫の暴力から彼女が遠ざかっていられたのは、ある意味愛妾のおかげとも言えなくはない。愛が冷めた後、夫婦仲が険悪にならずに済んだことも。
「よいだろう。わたくしが、そなたをこの宮廷から出してやろう」
オデットは、イザボウに懇願してみたものの、よもや受け入れられるとは思っていなかった。黙殺か、悪くすれば投獄か。その他の計画もなくは無かったが、一番穏便かつ確実なのが王妃による寵妃追放というシナリオだった。
「ただし、今すぐではない。それなりに準備が必要ゆえ、2カ月ほど待つがよい」
2ヵ月。喜びもつかの間、オデットの顔色が白くなった。それでは、間に合わない―――――!
「2ヵ月では遅いか。すぐにでも出してやれないことは無いが、それではわたくしの立場が悪くなる」
イザボウは、ますます俯くオデットをさもあらんと見おろした。この愛妾が何を恐れているのか、イザボウは大体のところを把握していた。だが、そうそう思い通りにしてやるわけにはいかない。王の子かもしれない赤子を、外国に連れ出されるのは、あまり望ましいことではない。
「どうしても、と言うならば、宮廷を出た後のことは、全てわたくしの指示に従うことが条件になる。その覚悟があるか」
それからややあって、王妃が嫉妬のあまり国王と愛妾が同衾している場に乗り込み、その場で愛妾を追放したという噂が国中を駆け巡った。
イザボウのこれまでの悪評に続き、嫉妬深い狂女、悪妻、冷酷とありとあらゆる罵声が浴びせられたが、当のイザボウは、平然として受け止め、後に正気に戻ったシャルル6世に詰問されようが、決してオデットの行方を語ることは無かった。




