王太子 2
王太子ルイは、馬車の窓からパリの街が遠ざかるのを見ながら、母イザボウの言葉を反芻していた。
彼の母は、最近こそ以前のように甘えさせてはくれなくなったが、会えば彼の近況を聞き、何かと気配りを忘れない優しい母親であることは間違いなかった。その母が、いつになく真剣に、諭すように繰り返したのだ。気にならないはずがない。
『ブルゴーニュ公は、何かとそなたを牽制するはず。彼は、王国でも力を持つ大貴族。対立するのは得策ではない。それでも、そなたは、このフランスの王太子。次期国王はそなただということを、決して忘れてはなりません』
「殿下、何をお考えですの?」
「いや、パリを離れるのは、久しぶりだと思ってね」
嘘ではない。第二王子だった彼は、幼い頃は王太子のスペアとして学問も習ったが、主に剣術を習いながら城塞で育った。兄の王太子が早逝したため、パリに呼び戻されたのだ。
それからは王位を継ぐ者として、学問はもちろん外交や諸侯たち、ローマ教皇との関係も学んできた。だから、母が何を言いたいのかくらいは理解できている。そして、両親の関係や、主に母の噂も。
目の前の婚約者に、不満があるわけではない。だけれど、彼女の父が野心家のブルゴーニュ公である以上、警戒は必要だった。母は、ブルゴーニュ公に心を許すなと諭した。自分の立場を忘れるな、とも。王太子というのは、何て不自由な立場なのか。そして、王太子がこれほど不自由ならば、王は。王妃―――狂気の王を夫に持つ母はどうなのか。
「ブルゴーニュ領は、パリほど華やかではありませんけど、穏やかな土地ですわ。殿下にも気に入っていただけると嬉しいのですけれど」
「ああ、そうだね。パリは賑やかだけど、何かと忙しなくもあるから。君も故郷でゆっくり過ごすといい」
嬉しそうに語り掛ける婚約者に応えながら、ルイは、頭をかすめた思考が霧散したのを感じる。
―――ああ、母上。貴女は何故――――
一瞬思い浮かんだその先は、蜃気楼のように消え去り、二度と戻ってきてはくれなかった。




