無怖公 1
イザボウは摂政権を完全に手に入れたが、現ブルゴーニュ公ジャンは王太子妃マルグリットの父親であり、また、王国随一の大貴族である彼を完全に政治から遠ざけるのは難しかった。なお悪いことに、父親ほどの慎重さも忍耐強さもないジャンは、プライドの高さだけは父親以上だった。
前ブルゴーニュ公は国王の叔父であり、辣腕を振るった政治家でもあり、ルイでさえ叔父と甥という立場からも、その王国の重鎮という確固たる地位にも一応の敬意を払わなければならなかった。たが、ジャンはどうか。ブルゴーニュ公を継いだとはいえ、ジャンは所詮国王の従兄弟にすぎない。これまで政治に関わったこともない彼は、王弟であるルイからすれば完全に格下の存在で、敬意を払う必要など何一つなく、それを隠そうともしなかった。
1405年、母フランドル女伯が急逝し、国王シャルル6世に改めて臣従の礼を捧げるため、パリへ訪れる機会を得た。彼は、1347年からイングランドに占領されているカレーを奪還するべく包囲戦を展開しており、そのための増援を願い出たが財政がひっ迫しているフランス政府は、カレーがブルターニュ公国であることを理由に援助を断ったという経緯がある。断られたことに激怒していたジャンは、パリ訪問に際して、抗議のため5000の軍勢と共にブルゴーニュを出発する。
ブルゴーニュ公、謀反。5000の軍勢を率いた公を目の当たりにした人々により、その一報は早々に王宮に届いた。
「5000の軍勢ですって⁉」
王国の軍権は、当然シャルル6世にあったが、如何にイザボウが執政権を持っていようと軍を動かすことは容易ではなく、オルレアン公は自分の軍勢を持っていなかった。また、間の悪いことに国王シャルル6世は、この時狂気の最中に在り、とてもまともな判断ができる状態ではなかった。そして、援助しないことを決定したのがイザボウとルイである以上、ジャンの怒りを真っ向から受けることになるのもこの二人だった。
イザボウは、急ぎ摂政会議を開いて懐柔策を探るが、誰もが否定的な意見しか言わなかった。
「何と言うこと。ブルゴーニュ公の怒りを何とか鎮めることはできぬのか」
「かの御仁は、戦に於いては鬼神の如く引くことを知らぬお方。此度のことでは、おそらく何らかの援助を引き出すまで譲ることは無いかと」
「戦にどれほどの金子が入用だと思っているのだ?今、そんな余裕があるとでも?」
「しかし、抗戦などできようはずもない。今から軍を整えて間に合うとでも?第一、どこからその費用を調達するのだ」
「だからと言って援助など。それを認めたら、今後、同じようなことがある度国費で援助するのか?」
「カレーは重要な港町ではあるが、ブルターニュ公国の領土でありわが国ではない。イングランドからイザベル王女殿下の身柄を取り返しはしたが、未だ持参金の返還さえされていない状態だ。これは王女殿下への、ひいては我が国への侮辱に他ならない」
オルレアン公ルイの言葉に、議場は一旦静まり返る。彼は、摂政である王妃イザボウの唯一の補佐役だ。イザボウが発言を遮らない限り、彼の言葉はイザボウの意見と見做されてしかるべきだった。
ルイは、己の言葉が全員に理解されるのを待って再び口を開く。
「今現在、イングランドはヘンリー4世が強引に王位に就いたため荒れている。かの国はいまだ我がフランスの王位継承権を虎視眈々と狙っているはずだ。このままにしておいてよかろうはずがない」
「軍を動かすならば我が国の憂いを払うためであり、ブルターニュ公国の領土奪還のためではない」
ルイは、堂々とイングランドとの戦争を主張した。だが、現在休戦中のイングランドとの戦争は、カレー奪還の増援とは規模も理由も違う。何より、ブルゴーニュ公は、昔からイングランドとの和解を主張していて、ルイの発言は火に油を注ぐようなもので、如何に正しかろうと今検討するようなことではなかった。
その後も長時間喧々諤々と論じたが、結論は何ら変わらない。援助はできない。が、対抗する術もないという、何の解決にもならない現実を再認識しただけのこと。そんな中、イザボウとオルレアン公ルイが出した結論は、二人揃ってパリから逃亡するという逃げの一手だった。
敵前逃亡。かなりの恥と思われがちだが、勝ち目のない戦を前に王族が逃亡を図るのは、決して珍しくもないことだった。ましてや今回は、国の決定に不服としての挙兵であり、軍を統括する者がいない状態であることから極めて常識的な判断でもある。何より軍隊の衝突は、首都パリを瓦解させ壊滅的に荒廃させるだろう。無怖公と呼ばれるジャンが、王都に配慮するとは思えず、首都での戦乱は、何としても避けなければならない。常識的でなかったのは、シャルル6世だけでなく、王太子ギュイエンヌ公ルイまで置き去りにしたことだ。




