摂政権
「・・・摂政権を王妃に?」
シャルル6世は、目の前で畏まる叔父、ブルゴーニュ公を眺めた。その顔には、ありありと不審という表情が出ている。
王妃の実家、バイエルン大公家とブルゴーニュ公の利害は、教会大分裂に於いて供にローマ教皇庁を支持したこと、フランドル地方の治安維持とほぼ一致しているが、だからと言って、これからも同じとは限らない。何より。
「そなたの息子は納得しているのか。余は、国内がこれ以上動揺するのは望まぬ」
「息子は、生粋の軍人気質。政にはむきませぬ」
「ほう・・・?」
ブルゴーニュ公嫡男ジャンは、恐れ知らずと言われるほど勇猛ではあるが、ハンガリー王ジギスムント(1433年からは神聖ローマ帝国皇帝に即位)の提唱による十字軍遠征のニコポリスに於いて、慎重にオスマン帝国の消耗戦を挙げるジギスムントを押し切り、イェルサレム解放を強硬に言い募り自ら包囲網に突っ込んでいった結果、捕虜となって20万フローリンという莫大な身代金を払ったという経歴の持ち主である。この出来事は、ブルゴーニュ公が更に騎士団を充実させ、やがてはフランス一と言われるほど強大な軍隊を築き上げる元になった。
さすがにブルゴーニュ公は、過日ジャンが言った王朝交代について王に進言することは無かったが、息子が政の中心になることを望まなかった。
「王妃陛下はいずれ国母となられるお方。政の中心となるに、これほど相応しいお方もありますまい。むろん、私めも全力でお支えする所存なれば、陛下におかれては、さほどお気になされることもありますまい」
「だが、王妃にはこれまで何の功績もない。諸侯は納得するまい」
「なれば、これから功績を作ればよいのです。王国の安定を保証する場において、仲裁役を務める。これほど為政者に相応しい功績はありますまい」
「そこまでして、そなたに何の利益がある?」
「予てから申し込んでおります、ギュイエンヌ公の妃に我が息子ジャンの娘、マルグリットをお選びいただきたい」
ギュイエンヌ公ルイは、シャルル6世の現在の王太子だ。1401年に王太子シャルルが9歳で死亡したのち、パリに呼び戻され三人目の王太子として指名された。彼の妃には、オルレアン公ルイも娘を推挙していたが、今、この時をもってマルグリットが王太子妃となる密約が成立した。ブルゴーニュ公は更に、オルレアン公が政的治に介入することを防ぐべくシャルル6世に進言し、概ねそれは受け入れられた。
次期国王の外戚という立場は、それなりの力を与えてくれる。ブルゴーニュ公は現在40代。病を得た体も順調に回復しており、まだまだ政務に携わるに支障はない。王妃に摂政権を与えてオルレアン公を政治の中心から遠ざけ、その間に息子に政治というものを叩きこむつもりだった。
シャルル6世はこの時、イザボウに強大な権力を与えつつ、同時にそれを制限する力を要求するブルゴーニュ公の意見を善しとするように見えたが、果たして、ブルゴーニュ公は国王の真意に気付いていたのだろうか?
この時、すでにシャルル6世は、イザボウから摂政権と養育権の完全移譲を求められ、妻がブルゴーニュ公へ疑念を持っていることを知っていた。しかし、年に僅か数か月、それも途切れ途切れにしか現実に戻ることの無い王が、どれほどのことを掌握し、どれほどの決定をできるだろうか。既に妻一人護ることさえ叶わないと言うのに。
だから、彼は決意したのだ。イザボウが、自分の妃でフランスの王妃であり、フランス王太子の母である以上、王国に不利益を齎すような行為はするまい。ならば、権力しか持たず、それを有効に振るうことすらできない自分が、孤立無援の妻にできることは、ただひとつ。
彼女の地位を上げ、最大限の権力を与え尚且つ、それを行使できるようにすること。
図らずとも、王国最大の権力者である叔父自ら、その提案をしてくれたのだ。それに乗らずして何としようか。おそらく、叔父の見込み通りにはいくまい。それを重々承知したうえで、何食わぬ顔をしてシャルル6世は頷いた。
「よかろう。ブルゴーニュ公よ、そなたの孫娘マルグリットと、王太子ギュイエンヌ公ルイとの婚姻を認めよう。この婚姻が、我がフランスに末永い安寧を齎すことこそ余の何よりの望みであること、決して忘れるでないぞ」
シャルル6世から、詳しい経緯を聞いたイザボウは、すぐにブルゴーニュ公を刺激するような愚行は犯さなかった。
慎重にルイと密談を重ね、ルイが国王を軟禁して、専横なふるまいをしているとの噂を流し、事業のためフランドル地方に赴いていたブルゴーニュ公を、それとなく刺激する行動を繰り返した結果、ついに我慢できなくなったブルゴーニュ公は、ルイ討伐のために挙兵するに至る。
あとは二人の和議を取り付け、イザボウが政治の舞台に颯爽と登場するだけでいい。
こうして、イザボウは望み通り権力を手にすることになったが、ブルゴーニュ公は一年とたたず疫病にて死亡する。跡を継いだジャンは、父親の思慮深さも、権謀術策を巡らせる能力も持ち合わせていなかった。
当然自分のものになると信じていた父親の権力が、全てイザボウに渡ったと知った彼は、イザボウが宿敵オルレアン公ルイとの共同統治を宣言したことに怒り狂い、ルイと敵対していたブルゴーニュ公派と共に、二人が不倫関係にあり、国庫を流用して贅を尽くしているなどの醜聞をばらまいた。この行動は、当時パリの宮廷で活躍していたヴェネツィア出身の詩人であり、女性初の職業作家でもあるクリスティーヌ・ド・ピザンから、フランスの威信を大きく損なう行為であると激しく批判を受けたが、既に国中に広まりつつあったイザボウの汚名を雪ぐには至らなかった。
蠟燭が仄暗い灯りを寝台に落とす中、ルイは、自分の腕の中にいる義姉に向かって、問いかけた。
「国中に貴女への怨嗟の声が満ちていますよ」
「そのようね」
「僕よりよほどひどい」
「・・・・・・わたくしが提案したのだから、ある意味当然のことでしょう」
「僕達は対等だと思っていたんだけどな」
イザボウは、不本意そうに呟く義弟を見ながら、不本意なのはわたくしの方だと密かに思う。
この男は、王妃と対等だと考えていたのか―――――――――――――――と。




