ブルゴーニュ公 1
「父上。なぜオルレアン公との和議など受け入れたのです」
息子ジャンの追及に、ブルゴーニュ公は眉を顰めた。
「陛下のご意向に逆らうのか」
「そもそも、父上は長年摂政として実権を握ってきたのに、その功績を無視するようにオルレアン公ばかり優遇するのがおかしいのです。ただ王弟と言うだけで何の役にも立っていないではありませんか」
「何が不満だ?オルレアン公は、政治の場での発言権を奪われたうえに、此方は王妃の実家とも利害が一致している。奴一人でできることなど、たかが知れている」
「だからこそです。うちが実権を握ることだって可能ではありませんか」
「ジャンよ、オルレアン公はイングランドと対立する立場をとっておるが、お前はどう考えておるのだ?」
「イングランドとの戦争など愚の骨頂。あの国は、不安定なくせに我がフランスの王位を諦めていない。ならば、今は甘い顔を見せておく方が利益があるはず」
イングランド王リチャード2世は、フランスとの和平交渉の際にイザボウの娘、イザベルと婚姻したが、1399年に廃位され1401年に亡くなったため、婚姻は無効となりイザベルは帰国している。後を継いだのは従兄であるヘンリー4世だが、リチャード2世は幽閉された後に死亡、尚且つ死因は不明と発表されたため、とても穏便な継承とは言えず、相次ぐ反乱によりその治世は非常に危うかった。
ブルゴーニュ公の所領はイングランドに近く、戦争となれば被害が大きいため、できる限り穏便に済ませたい。しかし、オルレアン公ルイは、所領が主に南フランスで、戦争になってもさほど被害はなく、尚且つギュイエンヌ地方へ勢力を伸ばそうとしており、そこでイングランドと対立し、主戦派だった。
ブルゴーニュ公は、王族らしくその生活は奢侈で、文化にも深い造詣があり芸術家たちにも支援を惜しまなかったが、その反面、この時代の貴族らしく軍事にも力を入れていた。そのため、常に資金繰りに悩まされており、その財政事情はオルレアン公との対立に拍車をかけていた。そして、実はこの嫡男の考えも彼の気がかりの一つだった。
後に無怖公と呼ばれるほど勇猛なジャンは、その一方で軽率な向こう見ずさも持っていた。即ち、短期間の利益しか目に入らないと言う欠点である。父親であるブルゴーニュ公は、良くも悪くも卓越した政治家であり、彼の目は常にフランスの未来を見据えていて、息子の短慮さが国益を損なうのではないかと憂慮していた。案の定、彼は、目前のことしか見ず敵国に甘い顔を見せて、オルレアン公と対峙する際の味方に引き入れようと考えている。
「あんなちっぽけな国に何ができると言うのです。我がフランスが総力を挙げれば、何とでもなるというもの」
「いつまでも今のままとは限らない。相手がこちらに都合よく動くとは限らないのだぞ。一度引き入れれば、後々まで対処に苦労する」
イングランドとて、莫迦ではない。味方になるには、何かしらの言質を取るに決まっているが、この息子は、それの効力を甘く見ているのではないか。そんな懸念が頭をよぎった。
ブルゴーニュ公は、40歳を過ぎた頃に病にかかり、現在でもあまり体調がよいとは言えなかったが、残る二人の兄のうち、長兄のアンジュ―公は、国王軍総指揮官としてラングドック地方の代官を兼ねており、積極的に王宮に係ろうとはせず、その時間もない。ベリー公は、1369年からのイングランド領征服事業に於いてポワティエを回復し、以後ブールジュを中心として精力的に領地を発展させ、やはり王宮に関心を見せることはなかった。
長年フランスの摂政公として国政を執ってきたブルゴーニュ公としては、自家の繁栄は大切だが、何よりフランス王家の安泰が第一だった。過ぎた野心は、国を揺るがす。自分は王の叔父だが、息子は王の従兄弟にすぎない。代を重ねるごとに王家との血縁は薄くなるばかりなのを、この息子は理解しているのか。そんな父親の言葉を、怖れを知らない息子は笑い飛ばした。
「薄くなるだけならば、何の意味もない。すっぱり捨て去って、新しい王朝成立の功労者として、執政権を握ればいいだけです」




