対立 1
1402年、かねてから険悪だったブルゴーニュ公とオルレアン公の水面下の争いは、俄かに表面化する。
貿易の関係で、当時フランドルに滞在していたブルゴーニュ公は、オルレアン公の国王に対する処遇の悪さを理由に、王を蔑ろにする信用できない人物に国政を担わせることはできないと主張して、己の権力を強化するべく一軍を率いてパリに向かったのだ。知らせを受けたルイは、当然これに対抗するべく自軍を編成して、防衛線を敷いた。王国一の権勢を誇るブルゴーニュ公と、王国第一の王族オルレアン公の武力衝突となると、その被害がどれほどか計り知れない。首都パリは、俄かに緊張に包まれた。
周囲の熱心な説得に、二人は一時的な和解をし、この時、イザボウは二人の仲を取り持つべく、和解の儀式の際に初めて政治の表舞台に姿を現した。
今後、二人は互いに手を取り合って、王と王国にのために忠誠を誓い、不和の原因があれば国王、王妃、王族がそれを取り除くべく尽力すること、二人は仲裁を受け入れることなどが記された国王の親書が読み上げられ、イザボウが二人の仲裁役を担った。王族の仲でも地位が高い二人の仲裁役となれば、王または王妃しかできる者はいない。イザボウは、和議の儀式の時には再度精神錯乱に陥った王に変わり、見事に仲裁役を果たしたのだ。
それから約半年以上もの間シャルル6世は狂気の発作の中にいたが、徐々に収まりを見せるや、側近たちはすぐにイザボウを王の寝室に送りこんだ。二人の間には10人の子供が生まれ、現在王子二人と王女4人がいるが、王妃の務めは、王の子供を産むこと。そして、それは多ければ多いほど良いとされる以上、イザボウに拒む術はなかった。
イザボウは、夫の狂気が沈静化しつつあった頃わざと彼の前に姿を現し、散々に罵倒され殴打されるように仕向けていた。いつもは、厚い化粧に身体にもおしろいを塗り、痣を隠すために寝室の灯りを極力抑えるよう命じていたが、今回はそんなことは命じていない。彼女は、ある決意を胸に秘めて、夫の寝室の扉を叩いた。
重厚な両開きの扉が内側に開いた時、イザボウは思わずごくり、と喉を鳴らし、自分が思ったより緊張していることに気が付いた。震えが来そうになるのを叱咤しながらも、できるだけ優雅に歩を進める。失敗するわけにはいかない。夫は、正常な時は優秀な国王だ。イザボウが緊張していることを、その原因を気づかれてはならなかった。気づけば、彼は、イザボウの望むものを決して彼女に与えてはくれないだろう。そして、チャンスは、今宵一度きりなのだ。
イザボウは、意識してより美しく見えるよう振舞いながら、優雅な微笑みを湛えて夫である国王の側に歩み寄っていった。




