プロローグ
完全なる歴史ものです。
登場人物は、同時代に生きた聖少女ジャンヌ・ダルクと、フランス史上最悪の王妃と名高いバイエルン公女、イザボウ・ド・バビエール。実在の女性たちです。
ほぼ史実に添って話を進めていきますが、歴史上明らかになっていない疑問点や空白の期間、それぞれの人物の感情の動きを、独断と偏見に満ちた解釈で補っていきますので、予めご了承ください。
都合で史実を曲げることもあるかも、ですが大目に見てくださいませ。
「今からでも遅くはない。証言を変えれば、命が助かるんだぞ」
いよいよ刑が執行されるという前日、牢の前に来た男は、何度も繰り返された言葉を告げたが、返ってきたのは、無感動な眼差しだけだった。
「お前を裏切り、助命の嘆願すらしない恩知らずのために、火刑になるつもりか⁉」
「私は、事実を述べただけです。王は関係ない」
「だが、教会は、神が直接個人に言葉をかけることは無いと言っている。それが万国共通の神の教えだ」
「私が今までの証言を変えることは、二度とありません。絶対に、です」
「正統なるフランス王を即位させ、イギリス軍をフランスから撤退させろ、か。前半はともかく、後半はどうだ?正統なるフランス王は、何故神の言葉に従わない。それこそが虚偽の証拠だろう」
痛いところを突かれた少女は、一瞬身をこわばらせたが、すぐによどみなく反論した。
「いいえ。今は、時期が来ていないだけです」
それきり、何を言おうが脅そうが、一切口を開かない少女に説得は無駄だと悟った男は、ただ一言
「勝手にしろ!」
捨て台詞を吐いて、荒々しく出て行った。
静かになった地下牢の中で、たった一人残された少女は、僅か19歳にして死ぬことになる自分の運命を想った。
今ならわかる。自分は利用されたのだと。それでも、湧き起こる感情は、怒りではない、悲しみとも違う、なぜ、という疑問ですらなかった。
❝そなたがイギリスをフランスから追い返すと言い続ける限り、彼らはそなたを排除する❞
まさに今の状況を予言した『高貴なる女性』は、永遠に自分が唾棄され、罵られる運命であることを知りながら、何一つ言い訳せずに沈黙を守った。
❝わたくしが決め、行動した結果の悪評だ。わたくしはこうする外なかった。否定するつもりもない❞
そう言って、後悔する素振りさえ見せなかったが、こうも続けた。
❝だが、そなたは違う。自分の信念を最後まで貫くことが出来れば、いずれ正しい評価が下されるやもしれぬ。出来なければ、そなたは稀代の詐欺師として語られるだろう❞
今、この絶望的な状況で少女の意志を支えているのは、敵だった『高貴なる女性』の言葉だ。
自分は神の言葉を聞き、フランスの王位を正統なる王に継承させ、戴冠式に導いた。イギリス軍は未だフランスに居座っているが、フランスの王位がフランス人の手にある限り、いずれ時が来れば、退けることも可能だろう。
そう、他国に蹂躙される運命の祖国を救ったのだ。救国の少女、神の言葉を聞いた聖なる少女。断じて詐欺師などではない。たとえ、明日生きながら炎に焼かれようとも、最後までそう主張してみせる。決して後悔などしない―――――。
そうして、神の言葉を聞いた救国の少女、ジャンヌ・ダルクは生きながら火刑に処された。
彼女は、最後まで神様!と叫びながら死んでいったという。