12 思い出したのに、婚約!(5)
孤児院の門は粉々に打ち破られ、バザーの為に並んでいた品物は地面に散らばっている。この大きなワイルドボアが踏みつけたのか、逃げ惑う人々によるものかはわからない。だが、ほとんど砂まみれになり、もう売り物にならないだろう。
つい数時間前の子ども達の笑顔を思い出すと、込み上げるものがある。私は恐怖を打ち捨てて、剣を握り直した。
子ども達はやはり孤児院の中に潜んでいるようだ。ワイルドボアが扉に衝突するたび、複数の小さな悲鳴が聞こえる。
魔物はその鉄の玄関扉に、何度も衝突している。その力は強く、突破されるのも時間の問題だ。
「ファイヤーボール!!!」
聖魔法を込めた最大火力の火魔法を魔物にぶつける。命中し、炎の勢いでワイルドボアを吹き飛ばすことが出来た。だが、聖魔法一発では効かないのか、大きなワイルドボアはのっそりと起き上がった。
「一発じゃ効かないなんて……!」
魔力量をアップする訓練を続けていたお陰で、まだ余力はある。とにかくアイツを孤児院や街から離さないと!
「フレイム!」
炎を打ちながら、魔物の注意を自分に向ける。すると、ワイルドボアは禍々しい雄叫びをあげ、瘴気を放ってきた! 咄嗟に避けたが、さっきまで私がいた場所にあった木が黒く焦げ落ちていた。
「も、燃えカスになるところだった……」
無事ターゲットは私になったようで、魔物はこちらを向いて鼻息を荒くし、右足を地面に擦り付けている。こちらにダッシュしてくるつもりのようだ。
(近づいてきたところで、もう一度聖魔法を放つ!)
「かかってきなさい!」
『ブギャー!!!!』
その時だ。小さな影が魔物の前に躍り出た。子どもだ!
「リディアおねえちゃん!!」
「危ないわ! 出てきちゃだめ!」
「だっておねえちゃんが……っ!」
私を心配して飛び出してきたのだろう。さっきクッキーをくれたサニーだった。だが、禍々しい瘴気を放つ大きな大きな魔物を目の前にして、彼女は恐怖で座り込んでしまった。腰を抜かしたらしい。
「ぁ……」
声にならないほどの恐怖で、悲鳴も上げられないようだ。ましてや立ち上がり走って逃げることなど出来ないだろう。
このままではまずい。サニーに駆け寄るより前に、あの魔物が走り出したら!!
『ブキャー!!!!』
ワイルドボアは、今まで以上の雄叫びをあげた。仲間を呼んでいるのだろう。お兄様は上手くやっただろうか。
今にも走り出しそうな魔物を目の前に、必死に頭を巡らした。睨み合っている私が、サニーに駆け寄れば、ワイルドボアが走り出してしまう気がする。だがそうすると間に合わない。
なんとしてもここは守らなければ。この子を無事に返さなくちゃ。どうしたら……!?
「リディア嬢!」
「クリストファー殿下!?」
殿下と護衛騎士が数人孤児院の敷地にやってきた。魔物と対峙する私を見て、逃げるよう指示してくる。
「領民達は安全な方へ逃げるよう誘導してきた! さぁ君も逃げるんだ!」
「あの子をお願いいたしますわ!」
「ええ!?」
護衛のハロルドが察知し、風のように素早くサニーを抱き上げ魔物から離れる。同時に私は剣を構え魔物の方へ走り出した。魔物も私に一歩遅れて足を進めたが、もう遅い。
剣を振り上げ魔力を込めて、大きな聖魔法をぶつける!
「エクスプロージョン!!!」
聖魔法の塊を今度こそ魔物にぶつけ、その衝撃で光が爆発したかのようにあたりが閃光に包まれた。
光が消えると、ワイルドボアはそのままゆっくりと地面に倒れた。起き上がる気配もない。
(……た、倒せた……!)
私はここでようやく自分が傷だらけであることに気づいた。魔物の放った鋭い瘴気による傷だろう。黒く焦げてあちこち痛い。
「リディアー!」
「お父様!」
そこへお父様率いる聖騎士団が到着した。お父様が馬から降り、私に駆け寄る。
「リディア!」
「見てください! お父様! 私、あの大きなワイルドボアを倒しましたのよ!」
「しかし怪我を……」
「怪我? あぁそうですわね! 治しますわ!」
すかさず私は聖石を取り出すと、両手で握り優しい火魔法を展開する。あっという間に全身の傷が癒えた。
「そんなことよりお父様! 私一人でこの大きな魔物を倒しましたのよ! お兄様と手分けして……って、お兄様が街道の方でまだ戦っているかもしれませんわ! あの魔物の仲間が沢山押し寄せてきていて……!」
「分かった! お前は怪我人を癒やせ! 聖石を置いていく!」
そう告げると、どうやら聖石がたっぷり入っていそうな麻袋を私に向かって投げた。そしてお父様率いる聖騎士団は、街道へ向かった。
もっと褒めて欲しかったし、お兄様のところに私も手伝いに行きたかったが、怪我人の救護を命じられてしまった。聖石の入った麻袋を持ち上げ、まずは孤児院の怪我人を確認するか、と歩き出した途端、背後から声がした。
「リディア嬢……」
あ、忘れてた。この人の前で、剣を振り回して聖魔法を使ってしまったんだった。もう言い逃れは出来ない。とりあえず猫かぶりモードでニッコリする。
「クリストファー殿下、お怪我はありませんか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ」
意外にも普通に会話してくれて驚く。それどころか何か興味津々な眼差しで見つめてくる気がする。お転婆令嬢だとばれて、どうなるかと思っていたけれど。きっと内心ドン引きしているのを、お顔に出さないでくれているのだわ。さすが殿下。
「リディアお嬢様!」
その時、サニーを抱いていたハロルドが血相をかいて走り寄ってきた。
「お、おねえちゃん……」
「サニー!?」
さっきの大きな魔物が放った瘴気が当たったようだ。サニーの顔や手足などが腐り始めていた。なんてこと!
「体が痛いよう」
「心配ないわ。私があなたを治療するわね」
麻袋の中から聖石を取り出す。サニーに聖石を持たせ、その上に私の手を重ねる。お母様の時と同じイメージで、優しい火魔法を展開し、彼女の身体中に張り巡らせて、傷を浄化していく。
「……あったかい……」
「もう少しよ! 頑張って!」
光がサニーを包みこみ、魔法をかけ終えると、傷がすっかり癒えていた。
「わぁ! もう痛くない! ありがとう! リディアおねえちゃん!」
サニーはハロルドの腕の中でニッコリと笑った。私はサニーの手を握ったまま、その手ごと自分の頬に当てる。
「サニー。さっきは私を心配してくれてありがとう。でもこれからは無茶しちゃダメよ。あなたが怪我をする方が私は悲しいわ」
「うん……。ごめんなさい……。でも私、大好きな人が大変な時に、黙って見てられない。だからリディアおねえちゃんみたいにちゃんと強くなる!」
あんなに怖い思いをしたのに、そう言うサニーは頼もしい。
「まぁ! サニーはとってもたくましいのね」
「おねえちゃんほどじゃないけどね」
軽口も叩けるようになっているので問題ないようだ。
ふとクリストファー殿下を見ると、驚きを隠せない様子で私を凝視していた。目が合い気まずいので思わずそらしてしまう。
ここまで見られてしまったらもう誤魔化せない。私は開き直ることにした。猫かぶりはおしまいだ。
私は「孤児院の中に怪我人がいないか確かめてきますわ」と言って立ち上がった。
すると、殿下は無言でついてくるのだった。




