3 私の王子様
馬車はほどなくして目的地へと到着した。
降り立った先には、きらびやかな、それでいて荘厳な雰囲気のある王城が鎮座していた。
初めて足を踏み入れたそこは、幼い私にはまたひどく緊張を高めるものだった。
腰の引けている私を察したように、お父様がそっと頭を撫でてくれる。
そして私を優しく見つめながら、そっと声を掛ける。
「レディーア、大丈夫かい? 無理しなくていいんだよ。」
「そうよ。私たちはそんなに乗り気じゃないんだから。このまま回れ右して帰ってもいいのよ。」
「そ、そんな。……いいえ。お父様、お母様、大丈夫でございます。
初めての王城で、少し気おされてしまっただけですわ。
それに公爵令嬢であれば、これからも度々ここには足を踏み入れる機会もありましょう。
幼い頃から早く慣れ親しんでおくことも大事なことかと思いますわ。」
一瞬、お二人の意見に頷きそうになるほどには、王城に対する緊張感は凄まじいものではあった。
がしかし、それよりも何よりも、ここに来た目的を忘れてはならない。
「そうかい? それこそ、これからも機会があるのだから、今日でなくてはならないわけではないんだよ?」
「そうよ。ここにはいつでも来ることができるわ。」
「ふふ。本日はご心配ばかりおかけしてしまって申し訳ありません。
お父様とお母様が隣にいらしてくださるのですもの。怖いものなんてありませんわ。
せっかくここまで来たのですもの。私の婚約者様にお会いしたいです。」
私は、私の王子様に会いに来たのだ。
それを果たさねば、それこそ後悔にまみれ、この先泣き暮らしてしまうだろう。
「レディーアが大丈夫なら、それでいいのだが……。」
まだ少し心配そうな表情をしながらも、頷くお父様。
「えぇ。もしも気分が悪くなったり、何かあったら早く伝えてね。お母様たちは、いつでも側にいるわ。」
早く帰ろうといいながらも、私の意見を尊重して励ましてくれるお母様。
そんな二人がいてくれるのだから、私には何も恐れるものはないのだ。
ただ、こんな素敵な二人を貶めるような行動だけは慎まなければならないと、一層気を引き締める。
「ありがとうございます。不慣れで無作法をしてしまったら、申し訳ありません。」
「それこそ、気にすることはない。」
「かわいいレディーアの失敗なんて、みんな微笑ましいだけよ。大丈夫だわ。」
「そうでしょうか……。えぇ。令嬢として恥ずかしくないように、がんばりますわ。」
「はは。期待しているよ、レディーア。」
「ふふ。お母様たちが見守っているわよ。」
「はい!」
「じゃぁ、そろそろ行こうか。」
「えぇ。そうしましょう。」
「はい。」
両親に伴われながら、王城の道を進んでいく。
綺麗に整えられた庭には、たくさんの花々が咲き誇り、風になびくたびにいい香りが漂う。
相変わらずドキドキはしているが、その光景や香りに癒され、少し落ち着きを取り戻す。
大丈夫。お父様とお母様がついているし、今までの礼儀作法の教育では及第点をいただいているわ。
それにやっと、私の王子様に会えるのよ。
ここでひるんで家に戻ったら、それこそ私の王子様には一生会えないかもしれない。
「さぁ、ここだよ。」
ふいにお父様から声をかけられ、はっとする。
目線を上げると、荘厳な扉が目の前にあった。
待ち望んだその瞬間が近づき、また緊張が加速していく。
「いきましょうか。」
お母様に促され、一度こっそり深呼吸をする。
さぁ、いよいよだわ。
「はい。」
重厚感のある扉が開く。
深紅の絨毯が敷き詰められたその先に、煌びやかな装飾の施された玉座があった。
そこには、陛下と王妃さまが鎮座している。
目線を上げることなく玉座の近くまで進み入る。
腰を落とし最敬礼をとり挨拶をする。
「陛下、ならびに王妃さまにおかれましては、ご機嫌麗しく存じます。
お呼び出しいただき、誠に恐悦至極に存じます。
本日は娘のレディーアを伴って参りましたので、ご挨拶差し上げたいと思います。」
「あぁ。よく来た。そうだな。レディーアにも挨拶してもらおうか。」
「はい。お初にお目にかかります。レディーア・オーリンと申します。よろしくお願いいたします。」
「うむ。よく来てくれた、レディーア。皆、顔を上げてくれ。」
「恐れ入ります。」
顔を上げると、そこには若々しくも貫禄のある陛下と王妃様。
そして、その隣に存在感を放つ王子が立っていた。
さらさらと流れるような金髪に碧眼。
装飾の多い白の服を着こなす姿は、絵本に出てくる王子様そのもののよう。
まだ5歳でかわいらしさもありながら、王族としてのオーラもしっかりと兼ね備えている。
……この方が、私の王子様。
「まぁっ。実に可愛らしい子ね。」
王妃さまからお言葉をいただき、はっとする。
夢中で見つめ続けてしまったことに気付き、恥ずかしさに頬が赤らむのを感じた。
改めて王妃様に向き直り、慌てて返事を返す。
「あ、ありがとう存じます。」
「レディーアは自慢の娘ですもの。当然だわ。」
「ふふ。アリーナも相変わらずねぇ。」
「このくらい大したことないわ。」
私にとって両陛下との初めての対面であり、形式的な改まった挨拶を行ったが、それも一通り終えたため、切り替えたようにお母様たちは気ごころが知れたような気安い会話を繰り広げている。
高まりすぎた緊張も、やっと少しずつ落ち付きをみせ始める。
「ふふふ。そうね。そしてこちらが、私たちの息子よ。」
「よろしくしてくれ、レディーア嬢。」
王妃様と陛下にそう声を掛けられ、改めて王子様の方をまたまじまじと見つめてしまう。
すると少し頬を染めた彼が、口早に挨拶をした。
「初めまして、レディーア嬢。ベリーツ・ユフ・サガールです。これからよろしくお願いします。」
「はい。よろしくお願いいたします、王太子殿下。」
まず初対面で親し気に名前で呼ぶわけにもいかない。
ベリーツ殿下、と心の中で名前を呼ぶに留めておく。
不躾かなと思いながらも、しかしその視線を外せずに、じっと彼を見つめ続けてしまう。
そして彼も、頬を染めながらも、こちらへ向ける視線を外そうとはしない。
その光景を微笑まし気に見つめつつ、大人たちが話を進めていく。
「では、固い席はこれくらいにしてこう。」
「今日は別室にティーセットを準備させているの。そちらでゆっくりお話しましょう?」
「はい。かしこまりました。」
「わかりましたわ。」
「では、行きましょう。」
初めて会った王子様は、思った以上に理想の姿だった。
そして、殿下も私のも少なからず思ってくれている様子が見て取れた。
これ以上のことはないという最高な出会いに、高鳴る鼓動は収まるところを知らない。
熱くなる頬をどうにもしようがなく、戸惑うばかり。
……あぁ。どうしましょう。
胸の前で手を握り締め、奇跡のような出会いに震える体を落ち着けようと、ひとり大きく深呼吸を繰り返すレディーアだった。