>[Alter ego]_
翌日。僕たちは昨日は在庫がなかった薬を取りに、再びトモエの家を訪れていた。店のブラインドは閉められたままで、玄関にぶら下がる札も「closed」になっている。
「あれ、お店の電気がついてないわね。まだ開けてないのかしら。」
桃華はインターホンを押したが、しばらく待ってみても返事は無く、ただただ沈黙が支配していた。
桃華は店のドアに手をかけると、ドアに鍵はかかっていない。
「なんだ、開いてるじゃない。先生ー。おはようございまーす。・・・っ!。」
桃華は店の異変に気付いた。棚が乱雑に倒されていて、店内が荒れ放題になっている。
床には拭いて誤魔化したようだが、確かに何かを引き摺った跡が残っていた。
「・・・これは。」
僕はしゃがんで跡を確認する。そこには拭き忘れたのか赤黒い血痕が残っていた。
「先生!」
桃華が奥の客間の方へ走り出す。僕も桃華を追いかけた。
「!!」
思わず息を飲んだ。
客間の隣の扉を開けると血溜まりの中央に、頭部が損傷しているトモエの死体があった。
その患部は銃弾が貫通し、穴が空いていた。銃弾の入り口は花が開いたように広がっている。
僕はグロテスクな光景に耐えられず目を瞑った。
「こんなのって・・・!酷すぎる!」
「そんな・・・先生。昨日だってあんなに側にいたのに・・・。」
桃華は体の力が抜けて座り込んでしまった。
「ッ・・・。」
僕は何もできずに下を向いた。
今桃華にどんな言葉をかけても慰めにはならないだろう。
「・・・何か手がかりがあるはずよ。」
静かな怒りを纏った声で桃華はそう言った。桃華はゆっくりと立ち上がり周りを見渡した。
廊下の角にはインターホンのモニターがあった。
確認する価値はあるだろう。
「桃華、インターホンのログに何か映ってるかも。」
桃華は無言でモニターを操作する、昨日の日付で一件だけ映像が残っていた。再生をタッチすると、モニターに映像が再生される。
誰かが映っているようだが、画面端で見切れている。
『どうも、配達代行です。認証をお願いします。』
昨日トモエさんが言っていた荷物が届いたのだろう。画面端で見切れていてよくは見えないがパネルに認証を行なっているようだ。
『こんな雨の中ご苦労様。気をつけてね。』
『ありがとうございます、それじゃ。』
画面に映る少年は軽く礼をすると走り去っていった。
「配達代行が来た時は特に何もなかったみたいだ。」
僕の言葉は桃華には届いてなさそうだ。桃華はモニターを穴が空くほど見つめている。
画面の中の水溜りに波紋が広がる。また別の誰かが来たようだ。
『あら、お店はもう閉めちゃう所だったのだけど、何か要り用だったかしら。』
『ええ、娘が急に熱を出してしまってね。何か風邪薬を出してもらえないだろうか。』
『それは大変!待ってて今持ってくるわ。』
『ありがとう、助かるよ。』
鳴り響く銃声。
映像はそこで終わる。
桃華は壁に拳を叩きつけた。
ずっと押し黙っていた桃華が、ようやく口を開いた。
「・・・先生優しいから・・・そこにつけ込まれてしまったのね・・・。」
桃華の声は震えていた。
すると突然、表の入り口の呼鈴の音が鳴った。それと同時に男達が何かを話している声が聞こえた。
それに気づいた桃華は人差し指を立てて唇に当てた。
「さっさとしろよ馬鹿が。スマホを落とすなんてあり得ないだろ。」
「おいおいそんなにビビんなって。ここは旧イケブクロだぞ?一人二人殺されたくらいじゃ警察だって動かんさ。それにいきなり殺したお前も悪いぞ。多分奥に引き摺っていった時に落としたに違いない。」
「お前はもっと周り迷惑をかけてる自覚を持てよ。」
HUDにメッセージウィンドウがポップアップした。
『あいつらが先生を殺した犯人・・・。多分先生が言っていた犯罪グループね。』
『ここにスマホを落としたみたいだ。』
僕たちは床に目を配ると、明らかに男物っぽいゴツゴツしたケースに入ったスマホを発見した。
『あれね。』
桃華は音を立てないようにゆっくり近づいて、慎重にスマホを拾い上げた。
『これは何かに使えるかもね。』
男達の会話の声が近づいて来る。
『ここに留まるのはまずいわ。裏口から出ましょう。』
僕は頷く。
僕たちは忍び歩きで廊下を歩いた。廊下の端まで歩くと、桃華が裏口のドアをそっと開けた。暗い廊下に眩しい日差し差し込む。
僕たちはそのまま家の外へ出た。
『桃華、警察に連絡しよう。』
桃華は首を横に振った。
『・・・駄目よ。事情があって警察には頼めないの。』
続けてメッセージが送られてくる。
『私一人でやる。』
桃華はホルスターから拳銃を抜いて弾数を確認する。
『殺すのか!?』
『いや、傷つけるのは嫌い。』
マガジンを拳銃に戻してスライドを引く。
『でもね、優しさを踏みにじって誰かを傷つけようとする奴はもっと嫌い。』
僕にも手伝わせてくれ、僕がそう言おうと思った瞬間だった。
停電になって照明が突然消えてしまうように、僕の視界は真っ暗になった。
暗闇の中、僕がいる所にだけスポットライトが当てられた。僕の体はかつての自分の体になっていた。
向こうから僕と同じようにスポットライトに照らされた人影が歩いてくる。
「・・・!。」
誰だと聞かなくても僕はそいつを知っていた。黒髪の少女、僕の今の体。
「あなたはあの綺麗なお姉さんのヒーローになりたいのね?」
そいつは僕にそう言った。
僕はなぜか胸にナイフを刺されたような感覚がした。僕は自然と拳を握りしめていた。
「そんなんじゃない・・・僕はただ桃華を助けたいだけだ。」
僕はそいつを睨みつけた。
「・・・だいたい君は何者なんだ。」
そいつは無表情で僕を見つめている。
「名前。そう言えばあの綺麗なお姉さんから名前をもらったわ。私は玲音。そしてあなたはエゴ。つまりあなたを構成するあなた自身。まぁ、私やあなたが何者かなんてどうでもいいことよ。大事なのはあなたがどうしたいか。」
玲音は僕に向かって指を差した。
僕は今苛立っているのだろうか、僕の中で何かが爆発しそうな感覚がする。
「だから言ってるだろ。僕は桃華を助けたいんだ。」
「そうね。確かに私の体を使えばどうにかできるかもね。でも、あなたが今もかつての平凡なゴミ処理のバイトの高校生だとしてもあのお姉さんのために戦うの?」
「それは・・・。」
その通りだ、僕は今の体が無ければ何もできないだろう。
「そうよ、あなたはこの体を良いように利用したいだけ。あなたはいつも誰かのヒーローになる事に執着しているの。あなたがお母さんの為に一生懸命働いていたのもそう。あなたは周りの人に価値を高めてもらう事でしか自分を見出せない。あなたは自分を褒めてくれる人がいなければ、生きている必要なんか無いんでしょ?」
僕は両手で頭を抑えた。痛くて苦しい。頭が割れそうだ。
「人を助ける事に理由なんかいらないだろ!」
「嘘ばっかり。あなたはあのお姉さんを助けてあわよくば凄いねって、カッコいいねって、ちやほやされたくてしょうがないの。その為になら一方的な暴力だって惜しまない。」
「暴力だって?」
玲音は淡々と続ける。
「そうよ。銃を手に取って私の体を使うって事は相手にとっては圧倒的で一方的な暴力なのよ。それは相手が善人だろうが極悪人だろうが関係ないわ。」
「違う違う!僕は暴力なんか嫌だ!」
「ならあのお姉さんを連れてどこか遠くへ逃げたら良いじゃない。」
「・・・それはできない。あいつらを放っておけば被害者が増えるばかりだ。僕がなんとかしないと。いや・・・何故僕があいつらと戦う必要があるんだ?・・・僕にはあいつらと戦いたい理由があるのか・・・?」
僕はハッとした。
僕が銃を手に取って戦う理由。確かに危険に身を晒そうとする桃華を守るためでも、これ以上犯罪グループの被害を出さない為でもあるだろう。でもそれは上面だけの綺麗事。僕がやらなくても誰かに頼めば良い事だ。
なら何故僕でなければならない?
何故わざわざ僕は事に首を突っ込もうとしている?
僕の本音はどうなんだ?
僕は玲音と目をあわせた。もう頭を抑える必要は無かった。
「・・・君の言いたい事がよく分かったよ。僕はトモエさんを殺したクズを叩きのめしたいんだ、この体を使えばそれが出来ると知ってるから。それは社会的な裁きではなくて個人的な復讐だ。そして多分僕は桃華に惚れている。桃華がやろうとしてる事が正しいかどうかなんて関係ない。ここで桃華を助ける事が桃華の為になるのであればそれで良い。桃華を守りたいって気持ちは本当だ。だけど善意だけが全てじゃない、その行動の本質となるエゴと欲求も確かに僕の中に存在する。君が言いたいのはそう言うことか。」
玲音はにっこりと笑う。
「当たりよ。誰もが大きな力を手に入れれば、自分の欲のためにその暴力を振るいたくなるものよ。だから絶対に忘れないで。人は生きている限り自分が自分である事から逃れられない。どんなに綺麗事を並べてもその奥底、行動の本質には自分のエゴが必ず隠れているの。だから倫理とエゴを常に天秤にかけて、そのバランスを崩してはいけない。」
僕たちを照らすスポットライトがだんだんと暗くなっていく。
僕は最後に一言だけ玲音に言った。
「ありがとう玲音。僕は絶対にエゴに呑まれないから。」
拳銃のスライドがガシャと音を立てるのを聞いて、今起きた事はほんの一瞬の間に起こった出来事だと理解した。
僕は桃華にHUDでメッセージを送る。
『銃を貸して、桃華。僕も戦う。』
『駄目。これは私の復讐よ。あなたが誰かを傷つける必要はないわ。』
『聞いたよ、桃華がエクスメカに追われてる事。それと僕の体の事も。』
桃華は驚いてこちらを見た。桃華はため息をついた。
『先生が話したのね。・・・黙っててごめん。』
『もちろん桃華が僕を助けたのは桃華の純粋な良心だって事は分かってるしそれを信じたい。でも桃華だって少しくらいはこの体の性能に期待してる所もあるんだろ。大丈夫、僕はいつでも桃華の味方になるから。それに僕は絶対にこの体を間違ったようには使わない。』
桃華は申し訳なさそうに顔を伏せている。
『僕は桃華の所有物みたいなものなんだろ。もっと自由に使ってくれても構わないよ。』
『・・・ありがとう・・・。じゃあ改めてお願いするわ。力を貸して、玲音!』
そう言った桃華はすっかり戦う顔つきになっていた。僕は桃華から9ミリ拳銃を受け取った。
『さぁ、誰に手を出したか思い知らせてやりましょう。』