>[Like a raindrop]_
僕たちは大通りから外れた細い通りに入った。僕はHUDで時刻を確認すると、もうすでに十八時を回っていた。月と太陽の薄明かりに照らされたこの通りには色とりどりのネオンが燈り始め、この街の夜の顔を見せていた。
「着いたわ。」
桃華は歓楽街の入口の角にある、二階建てのビルの前で足を止めた。一階にはこじんまりとした薬局が入っており、二階部分は居住スペースになっているようだ。桃華が薬局のドアを開けるとドアにぶら下がる呼鈴が優しい音色を奏でる。奥からは初老の女性がパタパタとスリッパの音を立てながら店のほうへと出てきた。
「はいはい、いらっしゃい。・・・・あら、桃華じゃない。連絡もなしに来るなんて珍しいわねぇ。ここ最近あまり見かけなかったけど元気にしていたかい?」
女性は懐かしさすら感じさせるような、物腰の柔らかい声で僕たちを出迎えてくれた。
「はい、先生。おかげさまで。」
桃華は丁寧にお辞儀をした。
「おや、その子は初めて見る子ね。桃華のお友達かしら?」
桃華は体を起こして、僕のほうに手のひらを向ける。
「ええ、この子は今日から私の助手として働いてもらうことになった玲音です。買い物ついでに先生に紹介しておきたいなって思って。」
「え、えっと・・・初めまして。」
僕も桃華に倣ってお辞儀をした。
「あぁ、そうだったの。よろしくね、玲音ちゃん。私は上条トモエよ。玲音ちゃん、桃華はちょっと変わってる所があるから大変だと思うけどいろいろと面倒を見てあげてね。」
トモエは僕の手を優しく包み、暖かい笑顔でそう言った。するとトモエは僕の体の違和感に気付いて、僕の背中のほうへと回り込む。
「あら?もしかしてこの子・・・。」
桃華は僕の後ろ髪を横に分けて、拡張CPUのジャックをトモエに見せた。
「ええ、玲音は私たちの希望であり未来です。」
桃華は少し間を置いてから、しっかりとした口調で続けた。
「世界初の全身人工生体ユニット化。・・・ようやく実現しました。ここまでこれたのはすべて先生のおかげです。」
トモエは桃華を抱きしめる。
「あぁ・・・よくここまで頑張ったわ。あなたは本当によくやった・・・!」
互いにしっかりと抱擁してから、トモエは桃華から離れると僕のほうを見た。
「さて、お茶を淹れましょうね。二人とも、上がって頂戴。」
僕たちはトモエに奥の客間へと案内された。
「桃華、玲音ちゃんにもお菓子をあげて大丈夫かしら?」
「ええ、玲音の体には人工細胞で形成される臓器が入っていて、本来の体と同じように食べ物を消化して吸収できますから、経口摂取で大丈夫です。義体化を施した患者の食の楽しみを奪わないためでもありますが、オリジナルな部分つまり脳に栄養を送る必要もあります。それに人工生体ユニットも、莫大なエネルギーを必要とするんです。」
トモエは感心したように頷く。
「へぇ、ほとんど人間と変わらない体なのね。」
「身体に障害を抱えた人でも、健康な人と同じ生活ができるようになる世界を作るのが、私の夢ですから。しかし問題も山積みです。人工生体ユニットは拡張CPUから送られる電気的信号によって結合して、活動を維持しています。だから拡張CPUのバッテリー切れや電気系統の損傷に弱いんです。義手のように体の一部分を人工生体ユニットにしている程度であれば、動作に不具合が出るくらいで済むのですが、玲音のように全身を人工生体ユニットによる生命維持に依存している場合は、恐らく致命的なダメージになるでしょう。だから定期的にメンテナンスを施す必要がありますし、治療の選択肢の一つとして普及させるにはまだ程遠いですね。」
「大丈夫よ。あなたならやれるわ。私の自慢の弟子であり娘だもの。」
そう言うとトモエはにっこりと笑った。
僕は桃華の横顔を見ると、ほんのり頬が紅潮していて、褒められて喜ぶ少女そのものの顔だった。僕は桃華の可愛らしい笑顔に少しドキッとした。
キッチンの方から、やかんのお湯が沸いた音がした。トモエはキッチンの方へ慌てて向かう。
トモエが戻って来ると、テーブルに湯呑みとプリンを二つずつ置いて僕の向かいの席に座った。
「わ!先生の手作りプリンだ!嬉しい!」
桃華は目を輝かせた。
「桃華は私の手作りプリンが大好物なの。玲音ちゃんの口にも合うといいけど。」
「ありがとうございます。頂きます。」
僕はプリンを口に運ぶ。美味しい。滑らかな口当たりと程よい甘さが上品だった。
僕がプリンをじっくり味わっている間に、桃華はもうすでにプリンを平らげていた。
「ご馳走様!あ、そういえば私の部屋から持っていきたいものがあるんだった。」
桃華は廊下の方へ出ていき、バタバタと階段を上がっていった。
トモエは優しく微笑む。
「ふふっ、相変わらず忙しない子ね。ところで玲音ちゃんはどうしてあの子の助手をやる事になったのかしら?」
僕は人差し指で頬を掻いた。
「ええと・・・。なんて言ったら良いか・・・。路地裏で死に掛けていた僕を助けてもらったみたいで今日目を覚ましたら突然こんな事になっていたというか・・・。」
「もしかして桃華が無理矢理あなたに頼んだのかしら。」
トモエの口調が少し強くなった。確かにその通りだがとりあえず否定しておく。
「いえいえ、身寄りのない僕を助手として引き取ってくれたんです。」
「あらそうなの?あの子は結構自分勝手にやっちゃう癖があるからねぇ。私ったらてっきりあの子が助手にする前提で、あなたを助けたのかと思っちゃったわ。」
「ははは・・・。」
大正解。流石育ての親だ。
僕はそう言えば桃華からは、エクスメカを辞めた理由について詳しくは教えてもらえなかった事を思い出した。
「桃華さんは元々エクスメカトロニクスにいたとは聞きましたが、辞めてしまったのには何か訳があるんですか?」
トモエは神妙な面持ちになった。
「そう・・・桃華は話してないのね。桃華はね、エクスメカトロニクスの義体開発部の責任者だったの。あの子は元々勉強熱心な子だったけどエクスメカに入社してからは、部屋に篭ってずっと勉強していたわ。それで桃華は医学の知識に精通してる事もあって、半年もしないうちに義体開発部の責任者を任されたの。」
凄い。まさに天才だ。トモエは続ける。
「あの子は人工生体ユニットを完成させて新しい医療の形として、世界に普及させるつもりだったの。だけどある日ね、革命戦争の激化をきっかけに会社の上層部が人工生体ユニットを、軍用兵器として運用する企画書を軍に提出したの。その企画が通れば軍もかなりの額の投資をするだろうし、会社にとってもおいしい話だったと思うわ。もちろん桃華はそれに猛反対したの。でも企業がチャンスを棒に振る訳が無くて、プロジェクトは強行された。桃華も戦争で傷つく兵士を減らすためだと自分に言い聞かせて、プロジェクトの完成に専念したそうよ。そして人工生体ユニットの実践投入が本格的に決まった頃、桃華は企業の裏の秘密を知ってしまったの。エクスメカはね、革命軍側にも人工生体ユニットの取引を持ちかけていたの。つまり革命軍の破壊活動を止めるための兵器開発というのは表向きの理由で、本当は戦争を長引かせる事によって金の流れを会社に向け続けるつもりだったのね。それを知った桃華は、たった一体しか無かったプロトタイプのユニットと研究データを持ち出したの。」
「だから桃華は旧イケブクロに身を隠してるんですね。」
「そうよ。エクスメカはもちろんだけど軍や革命軍、他にも色んな組織が血眼になって桃華を探しているわ。」
トモエの手が少し震えている。
「あなたを私達のいざこざに巻き込んでしまって本当にごめんなさい。でもあの子があなたを助けたのは、途絶えかけている命を放っておけなかったからだと思うの。それだけは信じて欲しいわ。」
トモエは続ける。
「ねぇ・・・お願いがあるの。遅かれ早かれあの子は誰かに狙われるわ・・・。桃華は強い子だから誰が来ても返り討ちにしてやるだなんて言うけどあの子だってただの女の子なの・・・。こんな事を突然あなたに頼むのは酷な事だって分かっているけど、もしあの子が危険に晒されるような事があったら・・・。あの子を守ってあげてくれないかしら。」
「・・・。」
トモエはそう懇願した。僕は何も返答することができずに目を伏せた。
バタバタと階段を下る音がする。桃華が戻ってきたようだ。
桃華は勢いよく客間のドアを開ける。
「お待たせ!あと先生、これ今日買いに来たやつね。」
桃華はトモエに手書きのメモを渡した。
「はいはい、今用意するわね。」
トモエは椅子から立ち上がり、桃華と一緒に表の店の方へ歩いていった。
客間に一人取り残されてしまったので、僕はテレビの方を見る。
ニュース番組では革命軍のリーダー「神々廻護」による演説が中継されていた。
『我々は国民を奴隷のように扱い搾取し続ける政府を許さない!我々は完全な民主主義のために戦う!国の横暴を許すな!今こそ立ち上がる時だ!』
しばらくすると、大きなカゴを持って桃華が戻って来る。僕たちは用事を済ませたので、そろそろ帰ることにした。
僕はトモエに挨拶をした。
「プリンご馳走様でした。とても美味しかったです。」
「どういたしまして。またいつでも来て頂戴ね、玲音ちゃん。」
トモエは優しく微笑んだ。
「じゃあ先生、また明日の朝に取りに来るから。」
桃華から聞いたが今日は店に取り置きしていた薬をいくつか切らしていたらしい。
「タイミングが悪かったわね桃華、今日の夜に荷物が届く予定だったの。」
「いいんですよ。連絡も入れずにきた私も私ですから。」
「気をつけて帰るのよ。最近この辺で革命戦争に便乗した強盗殺人が頻発しているらしいの、全く物騒よね。」
「ええ、先生も早くお店を閉めた方がいいわ。それじゃあ。」
僕たちは店を後にした。振り返るとトモエは小さく手を振っている。僕は軽く会釈をした。店の外はすっかり暗くなっていて、歓楽街のネオンの明かりがより一層賑やかになっていた。
{20:00 上条トモエ}
突然降り出した強い雨が窓を叩いている。
トモエは飾ってあった写真立てを手に取った。
いつの間にあの子もあんなに大きくなったのね・・・
写真には幼き頃の桃華が写っていた。日差しの強い夏の日に撮ったものだ。写真に写る桃華は虫網を片手にやんちゃな顔をしていた。
インターホンの音が鳴った。おそらく荷物が届いたのだろう。
「はぁーい。」
ドアを開けるといつも配達に来てくれるバイトの高校生が傘をさして立っていた。
「どうも、配達代行です。認証をお願いします。」
彼はそう言って生体認証のパネルを差し出した。トモエはパネルに手を当てて生体認証をする。
「こんな雨の中ご苦労様。気をつけてね。」
「ありがとうございます、それじゃ。」
彼は荷物を置くと雨が降り注ぐ外へと駆けて行った。
「さて。」
トモエは店の戸締りをしようとしたが、水溜まりを蹴りながらこちらへと走ってくる音が聞こえて手を止めた。
外を見ると上着を頭からかぶっていて顔はよく見えないがおそらく30代ほどの男が一人そこに立っていた。息を切らしている。どうやら急いでいるようだ。
「あら、お店はもう閉めちゃう所だったのだけど、何か要り用だったかしら。」
「ええ、娘が急に熱を出してしまってね。何か風邪薬を出してもらえないだろうか。」
男はそう言った。
「それは大変!待ってて今持ってくるわ。」
トモエは店の中の方へと振り返った。
「ありがとう、助かるよ。」
男の口元が吊り上がる。
男は背中に隠し持っていた拳銃を取り出した。
鳴り響く乾いた銃声は雨の音に吸い込まれ、近くにいたカラスが驚いて雨の夜空へと飛び去って行った。