>[The city at sunset]_
桃華は僕に渡した服を上から下まで丁寧に着せてから、僕を鏡の前に連れてきた。
僕の身だしなみを確認すると、上はネクタイを付けたボタンシャツにベスト。下はタイトなスラックス。いかにも助手って感じだ。桃華は大胆に胸元を開けたシャツの上に、丈が長めのテーラードジャケットをフォーマルに着こなしている。
「うんうん、いい感じね。多分最初から可愛いよりの服を着るのは抵抗があると思ってボーイッシュなのを選んで正解だったわ。」
僕はひらひらした服を着せられるのではないかと心配していたが、この服なら全然問題なく外を歩けそうだ。
「あ、そうそう外で何かあって私に連絡したいときは網膜投影ビジョンのHUDを起動して、インターネット経由でメッセージを私に送ってね。」
「網膜投影ビジョン?」
僕は自分の目に少し意識を向けると、現在時刻や今の自分の状態を示すパラメータが視界に表示された。日付を見てみると、僕がビルから飛び降りた時から二週間が経っていた。
「起動できたみたいね。これもエクスメカの試験段階のモノなんだけど、あなたの拡張CPUを通して網膜に映像を投影しているの。それでウェブサイトも閲覧できるわ。まぁ携帯電話が体に入ってるイメージで使って。」
すると僕のHUDにメッセージが表示された。
『ちなみに私も最低限の拡張CPUを体に埋め込んでるから網膜投影ビジョンを使うことができるの。思考を文字に変換してこんな感じで声を出さなくても意思疎通ができるわ。試しにやってみて。』
僕は意識を集中させた。HUDに表示されたウィンドウに文字が入力されていく。
『信じられない・・・エクスメカの技術がここまで進化してるなんて知らなかった。』
「ね?すごいでしょ。でも思考を音声信号化することはまだできないから文章のみの会話になっちゃうんだけどね。ま、使ってるうちに慣れるわ。さぁそろそろ行きましょうか。」
桃華はそう言うと、拳銃の入ったホルスターを腰に付ける。
「!?」
僕は驚いて桃華を引き留めた。
「ちょ、ちょっと待った!銃なんか何に使うんだ。」
「何よ。いま日本じゃ銃の携帯が制限されていないのを知ってるでしょ?このご時世どこで革命戦争に巻き込まれるか分からないんだから、自分の身は自分で守らなきゃ駄目よ。玲音も一つ持っていったら?」
桃華はクローゼットの中にある小さな金庫を開けた。中には9mmオートマチックと、それ用のマガジンがいくつか入っていた。
「い、いや要らないよ。」
僕はふるふると首を横に振った。桃華は僕の様子を見て一瞬キョトンとしたが、その後でなぜか少し嬉しそうな顔をした。
「そう・・・。じゃあ私が預かっておくわ。万が一必要になったら玲音に渡すから。」
桃華は左側のホルスターにもう一丁の拳銃を差し込む。桃華が玄関の扉を開けると、オレンジ色の夕日が差し込んだ。
僕たちは桃華の家から少し大きい通りの方へと歩いた。外に出てから十分ほどの間僕はよたよたと、ぎこちなく歩いたが、次第にまともに歩けるようになってきた。
夕方の「旧イケブクロ」。日中は廃墟同然の建物だらけのこの街にも、日が暮れてくるとほんの少しだけ賑わいが訪れる。国道の、本来は車道として使われている場所には多くの露天商が並び始め、食料や生活必需品などを買い求める人たちで溢れかえる。チェーンのスーパーやコンビニが街から撤退し、フリーマーケットの需要が大幅に高まったからだ。夕方になると東京の中心部に出向いて働く人や学生が大勢街に帰ってくる。そこを狙って大勢の人が続々と露店を展開するため、毎日夕方になると駅前の国道はお祭りのように人が集まるのだ。
今ではもうすっかり当然になったこの光景を僕は改めて観察してみた。
道路わきのラーメン屋では店主が年季の入った提灯に明かりを灯している。車道に露店を構えた若い男性は「アキハバラから取り寄せた型落ち製品あります!」と書かれた台に、たくさんの基盤やケーブルを並べていた。そのすぐそばを多くの荷物を積んだ自転車に乗った僕とは違う高校の男子生徒が二人通り過ぎて行った。おそらく配達代行のバイトを友人と一緒にやっているのだろう。
通りの反対側を見ると、何人かの子供たちが露店の周りを走り回っている。
グループの中の一人と目が合うと、僕に向かって小さく手を振った。
「・・・。」
ほほえましい光景に僕の口元が少し緩んだ。僕はその子に手を振り返す。
こんな時代でも街の人は笑顔にあふれていた。みんな強く生きている。それなのに僕は・・・。
絶望に溺れ、ビルの屋上から街を見下ろしたあの夜を思い出す。僕は弱くて臆病だ。こんなにたくさんの人が希望を信じて生きているというのに、僕はそれから逃げ出したのだ。
僕は胸の真ん中がちくりと痛むような感じがした。
いや、感傷に浸るのはよそう。体は違っても僕はこうして生かしてもらっているじゃないか。もう一度歩き出すチャンスをもらえるのなら僕はそれを大事にしたい。
僕は心の奥底に劣等感と自己嫌悪を仕舞い込んだ。
そういえばしばらく歩いたが、桃華は何処へ向かっているのだろう。
「桃華、ずいぶん歩いたけど買い物って何処へ?」
「私の師匠のところよ。駅の近くで薬局をやっているの。今日行くとは伝えてないからびっくりするかもね。」
桃華はなんだか機嫌がよさそうだ。
「その人のこと尊敬してるんだね。」
「ええ!そうなの!」
桃華は無邪気で女の子らしい笑顔を見せた。
「・・・ちょっと暗い話かもしれないけど私は赤ん坊の時にゴミ箱に捨てられてたんだって。だから私は本当の親を知らないの。で、その時に師匠は私のことを拾ってくれたの。つまるとこ私の育ての親ね。」
僕はゴミ処理のバイトをしていた時に、先輩がそういうことも珍しくないと言っていたのを思い出した。
桃華は続ける。
「私は小さいころから師匠に憧れて、ほとんどの時間を医学の勉強に費やしていたわ。師匠も私にいろんなことを教えてくれたの。私が高校を出るころには医者の免許をとれるくらいには知識を得ていたし、外科手術もお手の物だった。もちろん私は医者になる道を選ぼうとしたわ。でもね、師匠は私の能力を生かしてもっと最先端の医療を目指すべきだと言って、エクスメカの義体開発部に推薦してくれたの。で、なんやかんや二年エクスメカにいたけど、今はこうして小さな闇医者稼業に落ち着いたって感じね。まぁ、私の話はさておき私、玲音のこと全然知らないわ。今度はあなたのことを聞かせて。」
僕は目を伏せた。さすがにハードルが高すぎないか。
「そんな壮大な生い立ちを話された後で喋れるほど中身のある人生を歩んでないんだけどな・・・。」
「ふぅん。でもかなり思いつめてる感じだし、それなりに訳アリなんでしょ。あと、聞こうとは思ってたけど玲音の家族って何処にいるの?そのうち今の状況を説明しに行かないとね。」
「必要ないよ。」
僕は桃華の言葉を遮るように即答した。
「・・・え?」
「・・・僕の親は二人とももういないんだ。父さんは警察官だったけど革命戦争で殉職したし、母さんも重い病気で脳死状態になってしまった。多分一生忘れないと思う、僕のサイン一つで静かに息を引き取っていった母さんのことを。悲しいというよりは悔しかったよ。母さんが死んだあとは何もかもが空っぽになった気分だった。すべてを賭けてでも守ろうと思っていたものがいとも簡単に壊れてしまうなんて・・・。」
桃華は申し訳なさそうな顔をしている。
「そうだったの・・・踏み込んだことを聞いて悪かったわ。」
僕は両手を小さく横に振った。
「いやいや謝るのは僕の方だ・・・つい感情的になってごめん。」
桃華は優しく微笑んだ。
「ふふっ、お互い散々な目に合ってるのね。これからは仲良くやっていきましょう、玲音。」