暗殺者と少年の出会い
「おしおきが必要なようじゃの」
髭を生やした大きな老人に少年は脅えていた。
老人の脇には少年がもう1人寝ており目を覚まさない。
やらかしたのは兄弟子のカウェンをアラクが罠に嵌めたからである。
「俺は真剣にやったよ師匠!」
「落とし穴などという罠に引っかかるカウェンもカウェンじゃが、魔術での勝負だと教えたはずじゃぞ?」
アラクはここのところ魔術の修行をさぼっているようだと老人は考える。
「魔術で勝負なんてしたら死んでいたのは俺の方だ!」
「カウェンの魔術がアラクを殺すと言うのか?」
「そうだ! 俺の魔術は竜の息しかないのにカウェンは土の弾丸や炎の柱まで使えるんだ! 俺がカウェンに勝つには他に方法がないんだよ!」
老人はアラクを殴った。
「だからといって相手を殺せばお前こそ人殺しじゃ! 良いか、お主は魔術師になりたいと言った。だからワシはお主と約束したではないか。ワシの言うことを聞くことと、命の危険を顧みずに正々堂々とするということじゃ」
アラクは何も言えなかった。
魔術師になりたいという気持ちは本物だったし、正々堂々と戦っているつもりだった。
しかしそれを今の師匠に説いても無駄だとアラクは思った。
「ごめん、なさい」
「カウェンが目覚めるまで家には入れん。その辺で反省しとれ」
カウェンは師匠の正式な弟子だった。
アラクとは違い、何もかもが優れている。
だからカウェンを手段を選ばず本気で倒せばアラクは認めて貰えると思っていた。
しかしそれはどうやら違ったようだとアラクは反省する。
「俺が孤児だから、カウェンは自分の子供だから師匠はカウェンに甘いんだ……」
他にも越えられない壁はある。
カウェンのようにうまくアラクは魔術を使えないし、使える種類も格段に少ない。
アラクが出来る唯一の魔術と言えば竜の息だけだ。
竜の息というと聞こえはすごいが、アラクが命名しただけでそれは風魔術の一種でしかない。
カウェンより優れている魔術はそれしかなく、アラクはどうやって自分をカウェンより大きく見せるか必死だった。
「くそ、何かないのか……」
どうやって考えてもカウェンのいいところばかりが頭に浮かぶ。
恐らくカウェンは勝負においてアラクのことを卑怯だと罵ることはしない。
今回のことは敗北だと認めるだろう。
それが気にくわない。
戦闘が始まって近づいてこいと誘ったらあっさり近づいて来た。
ああいう素直な気持ちがなければ魔術に精通出来ないことはアラクもよくわかっている。
アラクは竜のように賢くありたいと思っているため、カウェンのような愚直さは忌避してしまう。
「あいつはすごい奴だ……どうやっても俺じゃ届かない……」
アラクと同じ頃に魔術の勉強を始めたというのにアラクの何倍も成長が早く魔術師として完成の兆しを見せている。
ふと道端の向こうに小さな影が見えた。
珍しかった。
ここは村はずれの丘でこの道は山の麓に繋がっており、その先はさらに国境を挟んで他の村になってしまう。
国境沿いとはいっても監視は緩い。
なぜなら悪党共が根城にしている城砦があってそこは国ですら手を焼いている無法地帯だ。
アラクにとってはある意味世界の果てという認識の場所から小さな女の子が歩いてきていた。
「おーい」
近づいていって声を掛けてみる。
いつもならこんなことはしないアラクだが、自然と体が動いていた。
村で見ない女の子は近づけば近づくほど綺麗な顔立ちをしていたからだ。
「なんだ、ぼろぼろじゃないか」
傍に駆け寄ると少女は一言も発しないまま倒れた。
限界の限界まで体を酷使して歩いて来たのだろう。
麻布で覆っただけの服はぼろぼろだった。
アラクには師匠の修行で同じような目に遭ったことがあったのでなんとなくよくわかった。
「お前も修行してたんだな」
アラクにとってはその程度の認識だったが、普通の子供はそんなことをしない。
少女を背負うと白銀色の髪がアラクの頬を撫でて鼻先を掠める。
「うわっぷ」
少女の体はアラクの思っていたよりもずっと軽かった。
「こいつちゃんと食えてるのかな」
とりあえず師匠のところに行こうと思った。
アラクはこの少女が魔術師でないことを祈るばかりだった。
魔物と出会うこともなくアラクが帰宅すると日は既に傾いて夕暮れになっていた。
少女は依然として死んだように眠っており、アラクは思いの外体力を消耗したので次からはもう少し体を鍛えようと思う。
「やっと帰って来たか」
老人はうんざりした顔でアラクの背中にあるものを見ていた。
「なあ、師匠。新しい弟子っている?」
「いらん」
アラクはほっとした。
しかしそうなると少女はどうしたものか。
「アラク、後ろの女の子は?」
「カウェン、もう大丈夫なのか?」
「ああ、参ったよアラク。君は強かった。僕は君の魔術の前で何も出来なかった」
「あれは落とし穴っていうんだよカウェン」
げんこつがアラクの頭上に炸裂した。
「いっ!?」
思わず少女を落としてしまう。
「何すんだ師匠!」
「言うべきことを言ったのか?」
アラクは項垂れる。
魔術ではない。アラクは胸が千切れる思いだった。
「…………わ、悪かったカウェン。あれは魔術じゃない、カウェンと戦う前に掘ったんだ。俺とお前じゃ本気でやったら敵わないからな」
カウェンはその言葉に目を見開いた。
「君は僕に勝てないっていうことかい? それを君は最初から決めつけてかかっていたのか?」
アラクは悔しくて頷くことしか出来なかった。
いつだって感じてきた敗北感を今度はじっくりと喉の奥に流し込まれたようだった。
目尻に熱いものが込み上げてくる。
「アラク、君はいつだって僕を失望させる勝ち方をしてきた。
でも今日死にかけてみてそれは君なりの戦い方なんだと気付かされた。
魔術師だからといって魔術に頼りきりの僕とは違って君は何ができて何ができないのかを常に見極めているんだね。
僕にはその力が足りなかったから負けたんだと思う。
僕は魔術をもっと鍛えてその差を埋めてみせるよ」
清々しいほどの宣言だった。
アラクはぽかんとして言っていることの意味を反芻し冷静に受け止めた。
それは恐ろしいことだとすぐに合点がいった。
そしてそれを実現するだろうこともアラクには予感があった。
だからこそ、アラクはもう2度とカウェンに勝つことができないと悟った。
もうアラクに自分は魔術師としての才能がないとはっきりとわかった瞬間だった。
どうすれば……アラクはその言葉で頭がいっぱいになった。
「さてアラクよ。その少女をどこから攫ってきた」
厳かな空気にアラクは気圧される。
「さらった? 道で倒れたから担いで来たんだよ」
「尚悪い。落ちているモノを拾うなアラク。
この白銀の髪、これは不吉だ。
毒素で色を抜いた証拠だ。この女の体には毒が流れている」
「何を言ってるのさ。こんな綺麗な子なのに」
老人は少し悲しげな視線を向けながら少女の手脚を縛り始めた。
「なんでそんなことするんだ?」
「師匠、彼女が抵抗したら僕が守りますよ。だからそんなひどいことはやめて下さい」
カウェンとアラクの声も聞かずに少女の手脚は縄で縛られ宙づりにされる。
おかしな光景だった。
初めて訪れた何の罪もない者にアラクが罰を受けてされるのよりもまだ酷いことがされている。
「ひどいことじゃと?」
「ああ、ひどいことだ」
「その判断はこの娘がただの人間だと思うからできる判断じゃな。
ワシはお前たちよりこの娘をよく理解しておりその結果この行動に及んだ。
お主らにワシを殺すことができれば少女は解放してやっても良いぞ」
「そんなことできるわけないじゃないか!」
老人は少女の腰にあった短剣や革防具を外して半裸にしてしまう。
一瞬目を逸らしたアラクだったが、そこに無数の傷があるのを見て絶句する。
「カウェンも見よ」
「村の女の子だったら僕たち叩かれてます」
「見るんじゃ」
カウェンも逸らしていた目を少女に向けて言葉を出せないでいた。
「良いか2人とも。この娘は自分でこうなりたくてなったわけではないことくらいは分かるな?
ではなぜこんな傷が付いているか。それは大人がこの娘をそういう場所に置いたからじゃ。
この娘は大人に傷つくほどに戦うことを強いられ、毒を飲むことを強要され、
死ぬことを分からぬようにされた人形……差しあたってそのようになってしまった成れの果てじゃ」
ごくりと唾を飲むアラク。
カウェンは動揺して師匠の言葉を聞くのがやっとの様子。
「ここで殺してやらねばこの娘は生きながらの地獄を味わうじゃろう。
戦いの中でしか存在価値を認められなかった者が新たな場所で存在価値を見つけることは難しい。
いわば白い髪はその証じゃな」
「存在価値があればいいのか?」
「おうとも。人は誰しも存在価値を欲しておる。ワシとてそうじゃ。
己が力が遠く及ばぬとき、自身の力の限界を悟る。
力の限界を悟ったとき、人は存在価値を欲するんじゃ。
有限な自分がここに生きていても良いと思える何かの力が欲しいと思う……。
ワシにとってはお前たち2人こそがそれじゃ。
お前たちを立派に育て上げ、ワシの歩みたかった道に近づいて欲しい。
まあ最後のはワシの勝手な願いじゃが、お前たちがいるからこそワシはこうして生きていられるんじゃ」
それはアラクにとって少し違った解釈を持たせた。
それでも意味するところを正確に汲み取ったアラクにとっては少女を生かす方法を告げる。
「じゃあ俺がこの子の存在価値になる。それなら――」
「馬鹿もんが。お前にはもっといい女がたくさん現れる。こんな……」
薄らと老人が少女を蔑むような目でみるのと同時、少女が目を覚ました。
カウェンは脅えた声を上げた。死んだ人間が生き返ったように思った。
「おはよう、何か食べるか。お前皮と骨だけだぞ」
結局、アラクは少女の世話をし始めたのだった。