むじなとあしたば
私、有馬 初乃は今年で二十六、今世では行き遅れと称される年齢だ。
しかしながら住居兼職場と、近くの商店街を行き来するだけの十年で伴侶を見つけるのはかなりのハードクエストだろう。それを抜きにしても、世間は末期の少子高齢化だという。私の周りには確かに子供がたくさんいるように思うが、この国全体でみると全人口の二割にも満たない。
一番の要因は、私自身に結婚願望がないからだがな!
前世の記憶も持ち合わせているせいもあって、私の精神年齢は五十路を超えている。もはや妹弟たちは、子供もしくは孫である。「姉上」「姉様」、と呼ばれるのがこれほど辛いとは思わなんだ。
かわいい末弟、壮一郎は推定十歳となった。姉という贔屓目を抜きにしても、到底同じ腹から産まれたとは思えぬほどの秀才といえる。果たして本当にあの母の子供なのか未だに特定は出来ていないが、お家に捨てられた我ら兄弟姉妹にとって生まれなど些末なことだ。
小等部に通う児童ながら、中学の計算問題や漢字の読み書きはお手の物。案外壮一郎も転生した身で、実際はオッサンなのではないかと思ってしまう。そう考えると、上手い具合に「転生」というものを使いこなしていると言えなくもない。
「壮一郎、何をしているのです。」
「あ、あねうえ。僕は何も、してません。」
庭の隅でごそごそと何かしている壮一郎が気になり、私は彼に話しかけた。明らかなる挙動不審だ。上手に隠そうとはしているものの、後ろ手に白い箱を持っている。
これには私にも経験がある。前世の話だ、幼稚園の頃母親に内緒でドングリを大量に隠し持っていたことがあった。その当時子供たちの間ではドングリが物々交換されていたこともあり、大量に持っていると英雄扱いされていたものだ。私の隠していた箱はいつの間にか虫でいっぱいになっていて、母親にシコタマ怒られたことを思い出す。ドングリの中には虫がいるということを学んだ。
具体的に何を隠し持っているのかは分からないが、大抵は叱られる部類の虫、木の実、小動物といったところだろう。
先刻も言った通り、私はもう婆という年齢に片足を突っ込んでいる。今さらそんなことで可愛い末弟を叱りはしない。叱ったところで何かが改善されるわけでもなし、こういうものは何故いけないのかを分かり易く説明してやればよいのだ。
「壮一郎、後ろのものを姉上に見せてください。大丈夫、くぼうさまには黙っていますから。」
と、言ったもののくぼうさまは子供を叱らない。
あの方にとっては虫も、木の実も、小動物も捕食対象。見つかれば食べられてしまう、という意味だ。
「ごめんなさい。車にひかれそうだったから。」
車に轢かれる、ということは子猫や子犬ということだろうか。
壮一郎は、恐る恐る白い箱を私に差し出した。
軽い。そして、子猫や子犬が入っているにしては随分と小さい箱だった。
「むじな、ですわね。」
午後。中等部から帰ってきた妹、日向子に壮一郎の箱を見せてみる。
箱の中を覗いてみても、私には見ることが出来なかった。巫としての力が皆無の私には見えないものが入っていたとしたらと思い、日向子に見てもらったのだ。
日向子には巫としての技量が少ない。
本人も自分が見えているモノに興味があったのだろう、小等部にあがったころから自分で資料を見つけてきては一生懸命知識を付けてきたけれど、「死なない限り」巫の持って生まれた技量は成長しない。日向子は神使や式神といった、神の一歩手前のものしか見ることが出来なかった。それでも一般ピープルな私にとって日向子は超人的才覚と言えるのだが、今の技量で巫になることはできないという。
さすがの日向子も、死んでまで巫になりたくはない、と言ってはいるが。
「むじな、とは?」
「獣の一種です、見目はたぬきと似ています。でも、姉様に見えないむじなということは神使か式神、この大きさから考えると出来損ないか自然発生的な魑魅魍魎だと思いますけど。」
「壮一郎は、どれぐらい見えて、聞こえているのでしょう。」
「それは、わたくしにも分かりかねます。でも姉様が聞いたら、きっと壮ちゃんは教えてくれるでしょう。」
「見えない奴が、何が見えると聞いたところで何の反応をすることもできない。見えている、という演技をすることもできるけど壮一郎には分かってしまう。
家族と同じことを共有することができないのは、とても悲しいの。」
他人のことを羨むことは、前世でもあまりなかった。所詮他人は他人だから。
きょうだいだって他人だ、理解し合えないことはある。
それは分かっているのだが、日向子や壮一郎が見えているモノを見てみたいと思ってしまった。
一か月後、本家「有馬」から招集の電報が届いた。