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たぬきとどくだみ  作者: 葵陽
一章 有馬 → 喜瀬川
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ブーケトスもそんな感じ。

欲しているものはなかなかに、手に入りにくいものだ。

まるで宙を舞うティシューのように手を伸ばしたものを拒み、また時としてそれは思いがけない者の手の内に収まることもある。


体に害のある物だと分かっているのに、どうしても煙草が止められない。吸った時の安心感から逃れることが出来ない。それをヒトは「依存症」と呼ぶのだろう。食べ物や酒・煙草、薬物、家族に恋人、時には宗教にすらヒトは依存する。安らぎや一時の快楽を得るためなにモノかに縋るのは、人間として無理からぬことなのかもしれない。その弱さを含めて人間だというヒトもいるくらいだ。




「貴女が、初乃嬢かい。」

 そう言ったその男は、大きな屋敷にひとりで住んでいた。

 訪問して通されたリビングルームには、蚊取り線香の香りに混じってかすかに煙草の臭いがしていた。おそらく先ほどまで嗜んでいたことが予想される。大きく開け放たれた窓と、稼働している扇風機は初乃への配慮だろうか。

男はおもむろに、安楽椅子から立ち上がろうと傍らの杖を手に取る。初乃が介添えをしようと近づくが、左手で固辞されてしまった。

男は四肢が不自由であった。左目は数カ月前から見えなくなっており、左足はすでに義肢になっている。


初乃はスカートの裾をつまみ、頭を下げ「カーテシー」を行う。

「お初にお目にかかります、旦那様。有馬初乃と申します。」

男にはおそらくハッキリとは、初乃のお辞儀は見えていないのだろうがゆっくり頷く。

「堅苦しいのは無しにしよう。貴女は“まだ”有馬の令嬢だ、ワタシごときに跪く必要はないよ。」

そこに立っていたのは初乃が予想していたお爺さんではなく、初乃と同じくらいか、年下にも見えるほどの青年だった。

祖父の知り合いということで、勝手にお爺さんを思い描いていた。

年の頃は十代後半だろうか、少なくとも成人に達しているとは言い難い。間違いなくコンビニで年齢確認をされる人だろう、コチラにコンビニエンスストアなど存在しないのだが。


「失礼、ワタシは喜瀬川きせがわ 公房きみふさと申します。貴女のお爺さんとは、友人関係とでも説明しておきましょうか。」

友人に年齢など関係ないという考えを否定するつもりはないが、祖父はかなりの老齢であり足を悪くしてからはろくに外出もしていないはず。こんな若い友人がいつ頃できたのかと、つい疑問に思ってしまう。どちらかと言えば私の従兄、東彦と友人、と言った方が信憑性もあるほどに。


「旦那様、と呼ばれるのはかなりむず痒くてね。出来れば『くぼう』とでも呼んでくれたら良いよ。」


「く、ぼうさまですか。」

「とある知り合いがワタシの事をそう呼ぶので、慣れてしまった。おそらく『きみふさ』の音読みだとは思うが。別段それ以外で呼んでも構わないよ、ジロウとかさ。」


「じろう。」

「さて、立ち話もなんだからそこのソファーに腰かけて。お仕事の話でもしようか、一応。」

そう言って男、くぼうさまは応接のソファーを食指で指さした。革張りの高そうなソファーだ。

「ワタシは座るのが遅いから、お先にお座り。」

促されるままに座ると、わずかな反発がある。フカフカしている。

私が座るのを見ると、くぼうさまがゆっくりと向かい側に腰かける。

四肢が不自由というのは教えてもらったが、先ほどから所作を見ているとそんな様子は感じられない。

杖を持っていること以外は、ほとんど若者らしく歩いている。








女性は原始、太陽であった。

それは、男にはやり遂げ得ない子孫を産むという大業を成し遂げるからだという。

『男は女を大切にしなさい』とは元来、男のできないことを為し得る女性への尊敬からくるものだった。しかしながら、妊娠女性を邪険にする世の動きもあった。妊婦を「気持ち悪い」と思う人間も出てきた。

それはつまり、「人間に子孫を遺す必要はない」という表れではないのか。

別段、それを非難するつもりはない。世界の人口は七十億人を超え、食糧不足も懸念されていた。女性蔑視の動きは、人類が無意識的に人間の数を減らそうと起こしているものに思えて仕方がない。

人がそう思うようになったということは「世も末」ということだ。これらの結果、人類の数が減り続けて最終的に人間が滅亡したとしても、それは彼らが起こした行為の結末であることは間違いない。

実に滑稽な結末だと、ワタシは思う。人は、人によって終末を迎える。


人が減った世の中は、存外に暮らしやすい。ただ先人の言っていた通り、人は独りで生きてはいけない。メシが不味いからだ。

独りで食べるメシは味気なく、不味い。例え食べているのが自分の大好物だったとしても、である。

ワタシは食べる気を失くして、持っていたフォークをテーブルの上へ置いた。

ワタシの趣味は食べることだ。

鬱陶しいくらい人がいた昔は、休日を利用してよく全国を行脚し各地の名産料理を食べていたものだった。時には噂話に踊らされて、不味いものを食べることもあったが今の食事以上に不味いものではなかったと、思う。

自分の為だけに食材を調達し、自分の為だけに料理を作る。その味気ない工程も不味さの一因だが何よりも、広いテーブルを一人で占領し自分で作った料理を食らうことが途轍もなく空しく、哀しい。


イヌやネコを連れてきて、一緒に暮らしたこともある。人ではないが淋しい食卓が、少しは紛れるだろうと思ったのだが人以上に彼らは寿命が短く、すぐワタシは独りになってしまった。


食事以外なら、独りでも構わなかった。だが食事だけは、どうしても独りが嫌だった。先程死んでしまったネコの墓を作りながら、ワタシは誰とも知らないものに願った。



「喜瀬川さま、わたしの孫たちをしばし匿っていただけないでしょうか。」

かの老人から電話がかかってきたのは、そんなときだった。ワタシは二つ返事で了承した。




広いリビングルームにサワッと夏の風が入る。気が付くと夕方だった。

 関係ないが、夏のヒグラシの鳴き声を聞くと切なくなる。


「お給金は出せない、というのは聞いたかい。」

その言葉に私は首肯する。

「はい、そのかわり私と、私のきょうだいたちの衣食住を保障していただけるのだと御聞きしましたが。本当に宜しいのでしょうか。」

くぼうさまは顎に手を当て、考える仕草をした。


「ワタシは子供が嫌いではないよ、子供の相手をするのは苦手だがね。積極的に関わりを持つことはしないけど、子供を殴ったり蹴ったり、空腹の子供を見るのはもっと苦手だ。」


「ですが・・・、本当に家事手伝いのようなことでくぼうさまのお役に立つのでしょうか。」

私に割り当てられた仕事はほとんどが掃除や洗濯等の家事手伝いだった。お給金を貰えないかわりに、仕事も軽いものを与えてくれたのだろうか。

これは、雇用ではなく「居候」に近い。妹たちに至っては、家事手伝いすらできないほど幼い。否、やらせれば出来ないことはないと思うが。「私」と違って妹たちは生粋の箱入りだ、家事など基礎から知らないだろう。皿洗いも庭掃除も、料理も。


「ええ、ワタシにとっては充分です。」

くぼうさまは、なんとなく嬉しそうだった。


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