第6話 初めての死…
目の前には昨日見た、広い湖が広がっている。異世界に来られたみたいだ。
「あれ……?」
キョロキョロと辺りを見渡しても、ムトウさんの姿が見られない。
そういえば、ボクが現実世界にいる間、この世界の時間はどうなっているんだろう。誰かに確かめてみる必要がありそうだ。
そう考えていると、急に暗雲が立ち込め、一筋の光が地上へと堕ちた。
「……雷の呪文!?」
選ばれし勇者だけが使えるとされる雷呪文。きっと『ザド』だ。雷が光ってから音が聞こえるまでが短かった。この近くにいるかもしれない。
ボクはザドの横行(悪事がしきりに行われること)を止めるため、雷の堕ちた場所へと向かった。
♢ ♢ ♢
「どうした? 俺様に偉そうなこと説いておいて、防戦一方じゃないか」
「クッ……」
いたっ!ザドだ。
ボクは草むらの茂みから、息を潜めて様子を伺う。
剣を交えているのは、ギルドでボクを睨んできた、あの黒い甲冑の人だ。1対1で戦っているみたいだ。
……と思ったけど、ボクはすぐに気づいてしまった。ザドは仲間から補助魔法を受けながら、上質な薬草をムシャムシャと頬ばっている。
間違いない。3対1だ。
「グハッ……」
甲冑の男が大木に叩きつけられた。
ボクは怖くなって後ずさる。
ボクの足元からミシッという乾いた音。
しまった、木の枝を踏んでしまった。
「っ……! 誰かいるのか!?」
ザドが叫んだ。ボクはやむを得ず、茂みから出て姿を現した。
「私……です……」
「なんだチカか、脅かすなよ……そうだ、いいこと考えた」
ザドは悪そうな笑みを浮かべる。
「おいアーシャ、チカに剣を貸してやれ」
「はい、勇者さま!」
褐色の肌の女性が、道具袋から何かを取り出し、ボクに手渡してきた。
「はい、『鋼の剣+2』だよ」
店で売っている鋼の剣より鋭い刃だ。錬金術で作り出したものなんだろうか。
ボクは鋼の剣を受け取る。
「この馬鹿が俺様に騎士道なんて解いてきたんだ。チカ、お前がトドメを刺してやれ」
「オレハ……シンノ……ナイトニ……シヌワケニハ……!」
瀕死の甲冑の男は、最後の気力を使い、声を絞り出した。
【「俺さ……男になりたいんだ」】
その姿が、真の男を目指すヒロくんと重なって見えた。
ボクは俯いて、ゆらりと右手で鋼の剣を握る。
「喜べ! その男を始末したら、正式に俺様のパーティにくわえてやる!」
ボクは黒い甲冑の男に近寄り、そして左手をかざした。初めての呪文だ。上手くいくかはわからない……
「回復呪文!」
緑色の光が甲冑の男を包み込む。
そして、傷が癒えていく。状況が呑み込めないのか、甲冑の男は困惑している。
「ナニ……ヲ……」
ボクは重かった鋼の剣を、甲冑の男の足元へと置き、勇者ザドと向き合った。
「……裏切り、確定だな」
ボクの胸が締め付けられる。けど、後悔はしていない。ボクは自分の正義を貫くんだ!
「ザド……ボクが相手だ!!」
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
【勝算なんて、何一つ考えていなかった……だけど、もしここで向き合わなかったら、今のボクは無かっただろう】
「そんなに死にたきゃ、オマエから殺してやるよ! ネカマ野郎!!」
荒々しい口調と共に、ザドはボクの上空に暗雲を呼び寄せた。
【「よく覚えておけ。この世界で死んだ者は、『二度とこの世界に来ることはできない』」】
シュガレスの言葉が脳裏に浮かんだ。ボクはもうこの世界には来られない。でも、これで良かったと思うんだ。
ボクは少しだけ、変わることができたのだから……
HP1、身の守り1のボクが攻撃を受けて生きていられるはずがない。ボクは両手を広げてザドの前に立ち塞がった。
「死ね! サンダー!!」
稲妻がボクに向けて墜され……
たはずなのに、ボクの体は無傷だ。
「馬鹿な……サンダー!!」
ザドは間髪を入れずに、何度も何度も雷呪文を唱え続ける。ところが……
「あ、ありえない……勇者の呪文だぞ……!?」
まただ。雷はボクを避けるように流れていく。何が起きて……まさかっ!
ボクはザドと初めてあった時のことを思い出した。あの時の現象と同じだ。静電気だと思ってたけど、違ったんだ。
この瑠璃色の羽衣が、ボクを護ってくれている。だとすれば、状況を打開できるかもしれない。
「甲冑の人っ! まだ動ける……?」
「アア……モンダイナイ……」
甲冑の人は、ボクの置いた鋼の剣を拾い上げ、片膝を立てて起き上がった。
「ボクがザドに突っ込むから……ボクの後ろを走ってきて」
捨て身の戦法……この瑠璃色の羽衣があれば安全、なんて確証はないけど、今はそれしか浮かばなかった。
「ワカッタ……」
「じゃあ行くよ……うぉぉぉっ!!」
ボクは何も持たずに、ザドに突っ込んだ。
「ひっ……く、来るなぁぁ!!」
ザドはやたらと雷呪文を連発する。それしか使えないのだろうか。ボクの羽衣は全ての攻撃を弾く。
ボクはザドの目前に来た瞬間、サッと横へ跳んだ。背後から甲冑の男がザドへ剣を突き立てる。ボクたちの連携攻撃……
「「ハイドアタック!!」」
「ぐあぁぁぁっ!?」
いける……! これなら勝てる……! そう思った途端、ザドの体がみるみると人間とは別のものに姿を変えていった。
「ふふふふふ……なーんて、残念だったな」
ザドの皮膚が、緑色の竜の鱗のような姿へと変わっていく。刺さっていたはずの鋼の剣はザドの体から抜け落ち、カランと地面へと落ちてしまう。
「俺様はタダの勇者とは訳が違うんだ……『勇者』+『リザードマン』! それが俺様の複合職だ!」
「勇者さま!?」
「ザド!?」
ザドの仲間達も、豹変したザドの姿を初めて見たかのような反応をしていた。
「俺は運がいい。生まれながら勇者にして、激レアドロップアイテム、『リザードマンの心』を使い、リザードマンに転職した、最強の防御力まで手に入れた勇者を超えた存在なのだからな……!!」
ザドの高笑いが森中に響き渡った。そんなの、勝てそうにない……その瞬間、ボクの僅かな希望は、絶望へと変わった……
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「チカ……いや、シンだっけか? お前も可哀想なやつだなぁ。オカマならまだしもネカマだとは。ま、すぐに現実送りにしてやるけどな……永遠に」
ザドはすーっと大きく息を吸い込んだ。まさか……
ドラゴン系の得意とするアレを放つつもりだろうか……!? この羽衣で防げるのか!?
ボクは恐怖の感情に押し潰されそうになる。
「今度こそ死ね、火炎のい……!?」
ザドは炎の息を吐き出そうとした……
途端、ザドの鱗の皮膚が切り裂かれた。
「ぐぎゃぁぁっ!! 痛い……! 皮膚が裂ける……!!」
「まったく……甘ちゃんだな、オマエは」
「シュガレス!! さん!」
不意打ちのシュガレスの右手の短剣が、リザードマンと化したザドの肉体を引き裂いた。あの鋼鉄の剣すら弾いた竜の鱗を。
「おのれ……なんだこの激痛は……俺様の皮膚は竜の鱗なんだぞ!?」
「どうやってエセ勇者を始末しようか考えていたが……おかげで手間が省けた。『ドラゴンキラー』に乗せて放つ『竜滅剣』。9倍特攻だ」
今の技、『竜滅剣』って言うんだ! 凄いダメージだ!
「クソが、死ねぇ!」
「危ないっ!?」
ザドの尻尾攻撃だ。けど、シュガレスはひらりと躱して懐へと潜り込む。そして……
「この世界は甘くはないぞ、トカゲ野郎!」
ザドはその攻撃がどんなものなのか、理解出来たようだ。
「嫌だァァ、現実に……!!」
ザドの眼は酷く怯えていた。
「戻りたくないぃぃ……!! オマエら俺様を助けろ! 仲間だろうが!?」
矢継ぎ早に紡いだ台詞。しかし、その場にいた誰もザドを助けようとはしない。
そうやって……自分が困った時だけ……
ボクは涙を滲ませて、震える声で叫んだ。
「キミが一番……!! 仲間扱いしてないじゃないか!!」
「『竜滅拳』!!」
「ガハッ……」
シュガレスの左手の鉤爪が、ザドのみぞおちに突き刺さった。
「『ドラゴンクロー』による『竜滅拳』だ。先ほどの攻撃と合わせて18倍特攻ダメージ」
……意識を失ったザドの頭上に、10カウントが表示される。数字は次第に0へ近づいていく。
「そんな……まさか勇者様が下着泥棒のリザードマンだったなんて……」
「人として、信じられません……」
道具使いのアーニャちゃんは放心状態で、蘇生用アイテムを道具袋から取り出したまま、使おうとはしなかった。
同様に、セレーナさんもかなりのショックを受けているみたいだった。
【こうしてリザードマン事件は人知れず幕を閉じた……人が死ぬまでの10秒のカウントダウンは、とても長い時間に感じたんだ】