第5話 異世界冒険ノート
「あれ……?」
いつの間にか、ボクは現実世界へと戻って来ていた。時計を確認すると夜の22時だ。異世界では昼だったから、昼夜の感覚がおかしくなりそうだ。
ボクはベッドから起き上がろうとしたけど、立ち上がった瞬間、クラっと立ちくらみがした。
そっか、たしかにボクは何時間も意識を失っていたけど、体はともかく、異世界での精神的な疲れまでは回復していないんだ。
お風呂に入って疲れをとろう。そして、今日はもう寝よう。明日もいつも通り学校があるんだから。
お風呂から出たボクはパジャマに着替えて、もう一度ベッドに横になった。
それから数時間後——
窓から差し込んだ太陽の光でボクは目を覚ました。この町は日照時間がやたらと長いことから、陽光町と言われている。
時計を見ると、05:30と表示されている。
「そうだ、ムトウさん!」
ボクは異世界で最初に会った、シュガレス……もとい、ムトウさんの事が気になって、パソコンを立ち上げた。
「たしか、兄さんたちが有名なサッカー選手だって言ってた」
ボクはキーボードを叩いて、『ムトウ兄弟 サッカー選手』で検索する。
すると、ニュースのトップに『武藤三兄弟、プロリーグから異例のスカウト』という記事が大々的に表示された。
けど、ボクは首を捻った。
探しても探しても、三兄弟と書かれた記事ばかり。ムトウさんは四人兄妹のはずだ。
だけど結局、ボクの知ってる『ムトウさん』について書かれた記事は一つもなかった。
兄の3人がプロ選手で、女性だからという理由でレギュラーになれなかったムトウさん……
ムトウさん、キミはいったい、どんな気持ちでこの記事を眺めていたんだろう……
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「宿題は入れた? 顔は洗った?」
「宿題は学校で済ませてあるし、身だしなみは30分はかけてるよ!」
「そう、いってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
いつものように、ボクはお母さんに見送られて、黒色のランドセルを背負って家を飛び出した。
こうしている間も、異世界のことが気になって仕方ない。早く学校終わらないかな。
——タッタッタッタッ
ボクの背後から誰かが駆け足で迫ってくる。ヒロくんかな? それとも……
「綾先輩っ!!」
ボクは振り向きざまに態勢を変えた。
「チェリーくんおっはよー! あれ?」
スカ。ボクは身を屈めて、綾先輩のホールドアタックを躱した。やった!
「かーらーのー、背負い投げ!」
「あれっ?」
僕の体が、フワリと宙を浮いた。そして、アスファルトの上へと叩きつけられた。
幸い、ランドセルを背負っていたから無傷だったし、綾先輩はちゃんとボクの頭の保護もしてくれていた。
「くすくす、桜間くんってやっぱり可愛い」
「もう、綾! 慎くん、本当にごめんなさい」
笑いを堪えている綾先輩を叱り、美香先輩が駆け寄ってきた。
ボクは宙を浮いている時、「これだ!」と閃いた。綺羅中のマドンナである綾先輩は、筋力も平均的なものだろう。
けど、軽々とボクを持ち上げて投げ飛ばした。これは異世界での戦闘で使えるテクニックかもしれない!
ボクはまた美香先輩の手を握って立ち上がり、二人にお礼を言った。
「美香先輩、綾先輩、ありがとうございます! ボク、気づきました!」
ボクは走って学校へと向かった。
「ねぇ美香、私、チェリーくんにお礼を言われるようなことした?」
「はぁ……もしかしたら、地面へ叩きつけられたショックで目覚めちゃったのかも……」
そんな会話が聞こえたような気もしたけど、ボクの気分は高揚していた。
【この背負い投げが実用レベルになるためには、相当な訓練が必要だった。今思えば地獄のような毎日だったな……】
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
学校での授業中も、ボクはあの異世界のことばかり考えていた。
その中でも、特に興味を惹いたのが『複合職』の存在だ。
『魔法使い+僧侶』で『賢者』といった上級職的な概念から、『戦士』+『魔法使い』で『魔法戦士』といった、アンバランスな組み合わせも可能になる。
あのアーニャちゃんっていう女の子の職業がいい例だ。『錬金術』の能力で道具を作り、『道具使い』の能力で道具の効果を高める。
その可能性は無限大だ。
ボクは授業用のノートとは別に、まっさらなノートを取り出した。
この日からボクは、『異世界冒険ノート』を書くようになった。
♢ ♢ ♢
「慎、今日用事あるか?」
「無いけど、どうしたのヒロくん?」
学校の授業が全て終わると、ヒロくんがボクに話しかけてきた。
「いやさ、たまには公園でも一緒に行かないか? って。元気そうだし」
「ほんと!? 嬉しいなぁ」
ヒロくんのほうから誘ってくれた。前まではよく遊んでたけど、上級生になってからは一緒に遊ぶ機会が減ってしまった。
だから嬉しいんだ。
ボクたちは下校がてら、学校の近くの公園に向かった。
「慎とここに来るの、何年ぶりだろうな」
「そうだね」
公園はアスレチック広場のようになっている。体の弱いボクに気を遣ってか、一緒に来ることはいつの間にか無くなっていた。
結構大きな公園で、数年後には室内プールやミニテーマパークもできる予定みたいだ。
「うぇーん、ママどこー?」
公園に入ってまもなく、ボクたちは幼稚園児くらいの男の子が泣いているのを目にした。
ボクが声を掛けようかどうか戸惑っていると、ヒロくんは真っ先に子どもの元へ駆け寄った。
「どうした? 親とはぐれたのか?」
「うん……」
「大丈夫、俺たちが一緒に探してやるよ」
「ほんと? ありがとう!」
ヒロくんは一切迷うことなく、泣いていた子どもを助けに行ったんだ。
母親はすぐに見つかり、無事に解決した。
凄いなぁヒロくんは……
ボクはヒロくんが好きだ。
強くて優しい、ボクの憧れの存在。
家に帰ったボクはまた、不思議なキャンディを呑み込んだ。