第2話 初めての異世界
爽やかな風がボクの頬を撫でる。
目が覚めるとボクは、平原で大の字になって眠っていたみたいだ。
「透き通るような青い空だ……」
ボクはまぶたを擦りながら上半身を起こした。見渡す限りに緑色の景色が広がっている。
凄い、本当に異世界にきちゃったんだ!
ゲームの中だけだと思っていた世界が、目の前に広がっている。
視覚、聴覚、嗅覚、体性感覚といったあらゆる感覚が、本物のように……いや、間違いなくこれは本物だ。
風が吹けば原っぱは揺れるし、草原の匂いも心地いい。
「よいしょ」
ボクは立ち上がって、自分の身体に触れてみた。武器は……まだないか。服は結構しっかりとしている。瑠璃色の羽衣だ。腰には道具袋が備え付けられていて、靴のサイズもちょうどいい。
ボクはさっそく、気持ち膨らんだ巾着のような道具袋の中身を確認する。
この世界の通貨だろうか、銅色の貨幣が5枚入っている。
深い緑色の葉っぱも3枚入っている。薬草だろうか、どうやって使うんだろう。
理科室で使うフラスコのような容器に、青い液体が入っている。スポーツ飲料のような色だ。聖水というやつだろうか。MPを回復する、定番のアイテムだ。
「そうだ、ステータス!」
ボクは自分の全身をポンポンと触った。タブレットのようなものは持っていない。どうやって確認すればいいんだろう。
異世界で生活するなら、自分の能力がどれほどなのか、誰だって気になるものだ。もっとも、現実でのボクのステータスは今日マジマジと突きつけられたけど。
ボクが空に向かって人差し指をかざすと、『フォン』という効果音と共に、ボクの個人データが目の前に表示された。
「できた!」
ボクはさっそく、自身のステータスに目を通した。
『なまえ:シン
レベル:1
せいべつ:おとこ/おんな
しょくぎょう:そうりよ』
改めてみると男の子っぽい名前だなぁ。後で女の子らしい名前に変更しよう。
ボクは人差し指で、左から右へステータス画面をスライドする。
その画面を見た時、ボクは思わず言葉を失った。
『さいだいHP:1
さいだいMP:18
ちから:8
まりょく:15
みのまもり:1
すばやさ:14
きようさ:16
みりょく:69 』
「え~っと……」
突出して高いのはみりょくのみ。
某RPGと比較すると、すばやさは並み以下で、きようさは少し高めだ。MPと魔力もそこそこある。
けど、それよりも目を引くのは……
一桁であるHP、ちから、そしてみのまもりだ。
特に耐性面が紙ペラみたいだ。
一言で言い表すなら、わかるよね……?
「うわぁぁーん! 貧弱すぎるよぅーー!!」
そう叫ばずにはいられなかった……
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「グスン……」
まぁ、僧侶になったボクにはちからは必要ないし、みのまもりやHPも、攻撃さえ受けなければ何とかなるよね。
後衛の職業だし。羽衣の袖で涙を拭いながら、自分にそう言い聞かせる。
そうだ、大切なことを見落としてた。
ボクはステータス画面を、今度は右から左にスライドする。表示されたのは、先ほど見た画面だ。
性別、性別……
ちゃんと女の子になれたかな? ボクにとっては、それが一番重要なことだ。
「あれ?」
何だろう、この表示。『せいべつ:おとこ/おんな』って書いてある。足元まで伸びた羽衣は中性的なものだし、よくわからない。
「とりあえず名前を変えよう」
親戚の家に行くと、お母さんはよく話していた。ボクが生まれるずっと前から、名前は決めていたらしい。
男の子なら慎、女の子なら慎にするんだって。「他の人をことを思いやれる優しい子供に育って欲しい」って意味で、この名前をボクにくれたんだ。
だから、今日からボクは慎だ。桜間 チカ。うん、悪くない。
ボクはさっそく名前変更画面をひらいて、宙に浮かび上がったキーボードのようなパネルを使って、『シン』という文字を消して、『チカ』と直した。
「これでよし!」
エンターキーを押して確定した。
一通りの情報を確認したボクは、思い切り身体を動かしてみることにした。
足元に落ちていたひのきのぼうを拾って、ブンブンと素振りを繰り返す。
「やぁっ! せいっ! はぁっ!」
楽しい。自由に身体を動かせるのって、こんなに楽しかったのか!
現実では喘息持ちのボクは、軽い運動でもすぐに息があがってしまう。
少し無理をすると呼吸困難になり、吸入器が必要で、あまりに苦しいと病院へと搬送される。
けど、普段から重症ってほどでもないから体育の授業も休めない。
だから、身体を動かしても苦しくならないこの世界は、ボクにとって最高の環境だ。
つい夢中になってしまい、剣のように棒を振るいながら3時間、4時間と刻が流れてしまった。
いけない、いけない。
町のようなところへ行こう。ボクと同じように、現実からこの世界に来た人が他にもいるかもしれない。
平原をひたすら歩き続ける。
こんなに歩いても足が疲れないのは、不思議だけど最高だ。走ってみようかな? ううん、無理は禁物だ。
自分の身の丈に合わないことをすると必ず失敗する。
それはボクの12年の人生で、嫌という程経験してきたことだ。
「森だ」
草原を抜けると、目の前に森が広がっていた。森といえば、やや強めの魔物がでてくるイメージだ。
HPと防御能力が皆無なボクは、1歩ずつ辺りを見渡しながら、慎重に森へ入っていった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「それにしても……」
高級そうな瑠璃色の羽衣を着ているのに、どうしてこんなに心許ないんだろう。
最強の鎧でもあれば安心して冒険できるのに……って、男の子っぽい考え方になってきてるぞ。
ボクは女の子なんだから、装備も可愛いやつじゃないとね。
「……いや、ちがう」
ボクの性別はおとこ/おんな って表示されていた。だとすれば、男専用の装備も、女専用の装備も使用可能なんじゃないかな。
重厚な鎧も、しなやかな鞭も、もしかしたら全ての装備を使うことができるんじゃないだろうか。
「最強……」
ボクの口から、その単語が漏れだした。
「やったー! 最強だー!」
ボクは嬉しくなって、その場で飛び跳ねた。
ミシッと、足元の木の枝の折れる音が、森中に響き渡った。
背後から紅く鋭い眼光がボクに突き刺さる。
「魔物!?」
「カァーッ!!」
ボクが振り向くより前に、カラスのような生き物がボクに襲いかかってきた。
ボクの足は木のツルにひっかかり、その場で転倒してしまった。
やられる……!
——ガキンッ
そう思った瞬間、茶色いフードを目深に被った黒服の人物が、ボクとカラスの間に割って入った。
右手に持った短刀で、カラスのクチバシと激しく競り合っている。
カラスは一旦身を翻して上空を舞い、態勢を立て直す。
ペタンと尻もちをついたボクは、なんとか身体を起き上げる。
「ありがとう……」
「馬鹿、立ち上がるな!」
「えっ……!?」
カラスは一羽だけじゃなかったんだ。もう一羽いた。
「カァーッ!」
「くっ……」
茶色いフードの人は、右手の短刀で再び攻めてきたカラスの攻撃を防ぐ。けど……
「カァーッ!!」
横からもう一羽のカラスが飛び込んできた。
「危ないっ!」
ボクは咄嗟にそう叫んだ。
「雑兵が、舐めるな!」
——ボコッ
「カァァッッ!?」
茶色いフードの人物は、体を回しながら、左手の裏拳で、そのカラスを一撃で沈めた。
「凄い……」
ジャストヒットしたカウンターに、ボクは思わず魅入ってしまった。
「ハァッ!」
「カァァッッ……」
その人は右手の短刀を手首をかえして、最初に襲ってきたカラスも退治した。
けど、この人の装備はどこか異質だ。
右手に『短剣』を、左手に『鉤爪』を装備しているなんて。
「あのっ……」
無言で去ろうとするその人を引き止め、ボクはお礼を言おうとした。したんだけど……
「お前、死ぬとこだったな」
「……」
その一言で、ボクは何も言えなくなった。
「よく覚えておけ。この世界で死んだ者は、『二度とこの世界に来ることはできない』」
そんな……せっかく見つけたボクの居場所なのに……
ボクは掠れた声を振り絞って、一つだけ聞いた。
「待って……キミの名前は?」
「…………シュガレス」
そう言い残して、茶色いフードの人物は去っていった。
あれ……? ボクの体が白い光に包まれて、半透明になっている……
【これがボクの初めての戦闘……そして、シュガレス……ムトウさんとの、初めての出会いだった】