03
そこは、僕の小さな城。
適度の広さを持つリビングには目立つ装飾はなく、生活に必要な最低限の家具と家電が並ぶ質素な空間で、僕以外の人間ではあまりの退屈さに耐えられず逃げ出してしまうだろう。城と言えば聞こえはいいが、家賃は親からの仕送りで賄っていると考えればカッコいいとは思えないその場所は、出来の悪い僕をいずれ家から追い出そうと考えている両親が僕にこれから一人で生きて行けるようにと高校進学と共に一人暮らしを進めた、言わば最後通告に近いサービスだ。風呂と小さなキッチンが付くワンルームの部屋は一人で生活するには十分過ぎる場所だが、いずれ切られるであろう家賃の仕送りなどを考えると快適に過ごすまでには至っていなかった。
高層ビルから飛び降りた事と突然に起きた目の前の現象にまだ落ち着きと取り戻せていない僕は、震える手足を抑え込むように部屋と風呂を繋ぐ廊下でうずくまる様に両足を抱え、後ろで聞こえるシャワーの当たる音をBGMにこれまでの出来事を混乱する頭の中でゆっくり整理する。
お風呂を貸して欲しいと言われシャワーを浴びている、僕と同い年の彼女の名は篠原 結衣。彼女は飛び降り自殺をした僕を空中で拾い上げる信じられない方法で救い、僕の命を自分へ差し出す事を提案した。
居場所を無くした自分の人生に愛想を尽かせていた僕にとって、その提案は考える間もなく受けてしまったが、彼女の住むアンダーワールドの存在と時々見せる彼女の悲壮感にも似た表情は、鏡で実際に見た訳ではないが自殺を決意した自分の表情に似ていると感じた。
「ねぇー、タオルとか無いの?」
「あ!ちょっ、ちょっと待ってて!」
「もう、寒いじゃないの!アタシがお風呂に入った時に用意しておいてよ!」
「・・・なんだよ・・・人の家の風呂に、いきなり入っておいて・・・」
「何か言ってる!?」
「いいえ!今持っていきます・・・」
僕を自分の召使のように扱う女王様のような彼女は、さっき見た悲壮感をまったく見せることなく渡されたタオルで白く透き通る美しい肌に付着する水分を拭き取りながら、僕の呟いた小言に対し質問してくる。そんな彼女を疑っている訳ではないけど、突然の出来事に未だに信用できずにいる自分がいた。
「・・・あの、君は、どうしてあの場所に」
「アタシの名は結衣よ」
「はい・・・。で、結衣・・・さん」
「さっきも話したけど、アタシたちが生きているこの世界とは別に、世界中の闇の仕事を受け持つ世界があるの。それが、アンダーワールドって言う訳」
「異次元の世界とか、そういった類なのですか」
「まったく・・・アナタは妄想癖なオタクみたいな事言わないでよ。タイムマシーンすら無く、車も宙を飛ばない程度の科学進歩のこの時代に異世界なんてある訳ないでしょ。アンダーワールドは、いわゆる【闇の組織】って所よ。今の時代に存在するけど、地図上には存在しない知られざる闇の世界って所ね」
「闇の世界・・・」
僕の発言を妄想癖のオタク呼ばわりで片づけた彼女は、自分の住む世界は同じ現代の世界だけど現実には存在しない闇の世界だと説明するが、それでも十分僕にとってはオタク的妄想だと感じるが、その表情を悟ったのか、彼女は下着姿だった自身の体にセーラー服のスカートを履かせながら神妙な表情を見せる。
「・・・その名の通り、世界中の闇と言われる事件には常に私たちの存在があるの。要人暗殺・内戦・紛争、そういった人類の負の部分を各国から受け持ち、解決していくのがアタシたちの役目なのよ」
神妙な表情見せる彼女が下着姿だと言う事に気づき、その気の強い性格とは正反対な眩しいほどの純白な下着を纏う彼女の存在に、頬を赤くして慌てて背を向ける僕を気にしない仕草で上着の袖を通しながら語る彼女から発生られた以外な言葉に、僕は再度問いただす。
「ま、待って下さい!・・・今、何て言いました」
「うん?アタシたちの仕事の引受先?・・・そんなの当たり前でしょ、要人暗殺や戦争を引き起こす黒幕なんて各国の官僚たちじゃない。もちろん、日本政府からの依頼も受けているわよ」
「日本政府って・・・それじゃ、あなたの依頼主は防衛庁や内閣府なのですか!?」
「な、何よいきなり!」
「あ・・・すみません・・・」
「アナタ、いきなりどうしたのよ?アタシのセクシーショット見ちゃったら興奮しちゃってクチ?」
「そ、そうじゃありません・・・。ただ・・・ただ・・・」
「何よ!アナタは、そうやって何時までくよくよしてるつもりよ!?」
目の前でスカートを靡かせながら仁王立ちし、いきり立つ彼女を見て僕は次の言葉を発する事に躊躇した。彼女が話した依頼主とは、僕の親が働いている場所で、兄も大学から出向している世界で、父は閣僚たちの次に権力を持つほどの実力者であり、日本の防衛などの決定を陰で支え決定している闇の支配者でもある。彼女の言葉を聞いた僕は、恐らく父は彼女の組織を知っていると感じ、それを伝えるべきかの防衛本能と突然の出来事の動揺が重なった事で、目の前で苛立つ彼女に対して言葉を出せずにいた。
その時、僕は直観的に感じた。
僕はこれから敵となり、父や兄弟の前に立つのではないかと・・・。
「ちょっと!」
「わっ!す、すみません・・・」
「まったく・・・アナタも、よく分からない性格ね。とにかく、アナタはこれから、アタシと一緒に組織の一員として活動に参加して貰うわよ」
「・・・でも、どうして僕なんか。確かに結衣さんの言う通り、自分を殺す事は勇気のいる事だとは思います。だけど、運動神経も良くない僕が、あなたのような機敏でアクロバティックな動きが出来るかは・・・」
「うーん・・・。でも、アタシはアナタを見た時、普通の人間には見えなかったよ。・・・なんか、特別な血か家系だと思っているんだけどね」
「・・・結衣さん」
彼女の言葉に僕は一瞬言葉を失う。それは、彼女が僕を見た時に既に一般の家系と違う運命を背負って言う事を察していた事で、その言葉を聞いた僕は、彼女が例え悪魔であっても一度捨てた人生を拾ってくれた恩人であれば、こんな美女に飼い殺されるのも本望だと柄にもなく色男っぽい発想が頭をよぎった。
自身と同じオーラを感じ、僕の心を感じ取った彼女であれば、僕に新しい人生の選択を与えてくれるかも知れない・・・。
「・・・僕の父親は、官房副長官の古城 重蔵です」
「ははぁん・・・、アナタの親は第三次世界大戦で日本を救った英雄、古城の子供って言う事ねぇ・・・。道理で一般人と違うオーラを感じる訳だね。確かに、今のアナタはひ弱で戦闘向きじゃないのは見た目で分かるわ。・・・だけど、アナタの父親もお兄さんも、その外見と違い化け物よ」
「父や兄さんが・・・ですか」
「要はアナタの古城家のDNAがあれば、アタシたちの世界で鍛錬を積めば十分使い物になるって事よ。・・・だけど、古城 重蔵の組織はアタシとは違う組織になるけど、アナタは日本と、自分の家族と戦う気はあるの?」
既に家庭に居場所を無くし迷いのない僕にとって、冷蔵庫から見つけたソーセージをかじりながら見せる笑みとは裏腹な真面目な口調で挑発する彼女の質問に対しても一切動じる事は無かった。そして、僕はあの日以来の輝く瞳を彼女に見せた。
「はい・・・。僕は、あなたの奴隷ですから」
「うん、いい返事だね。それじゃ、今日は遅いから、取り敢えず明日出発するよ」
「はい」
彼女の言葉に、僕は数年ぶりに声を張り上げ返事をした。
翌日、僕は現実世界に存在しつつも知られない存在である闇の世界へ向かった。