02
某日、深夜のビル屋上。
僅か15年の短い生涯を今閉じようとしている古城 司は、天国に一番近いこの地から下界の人間に己の存在価値を確認する為に、命と引き換えに地上へ落下した。
人間は死ぬ寸前に過去の思い出が走馬灯のように現れると言われていたが、落下する重力に押し潰されそうな意識の中で地上へと急降下するこの場面では、何もいい思い出なんて思い浮かびやしない。今の自分が考えている事と言えば、まるで己の上に重機でも乗っているかのような強烈な重力と、ここから落ちた後一体何が起きるのだろうと思う程度で、一体この苦しみをどのくらい味わえば安らぎを得られるのだろうと思う事が一杯だ。
襲い掛かる強烈な重力と凍り付きそうな寒さで飛びそうな意識の僕の目線に飛び込んできたのは、普通では有得ない光景だった。
それは、勢いよく落ちてゆく自身と同じ位置に、今の時代に珍しいセーラー服姿の自分と同じくらいの年齢の少女だ。
セーラー服が激しく風に煽られている姿から彼女も同じように自殺を試みた人間だと感じたが、その瞬間我に返った事で広がった視野の先では、黒いフードを被った男数人が空中で銃を構え少女へ銃撃を始める。激しい風切り音よりも激しい数発の爆音は少女目掛けて向かってゆくが、その音速よりも早く彼女は姿を消し男達の後ろへ回り込むと、風に煽られたセーラー服の上着の中には黒く不気味に光る二丁の物体を見た。
それは一瞬の出来事だった。
その黒い物体が少女の腰から消えたと思った瞬間、目の前にいた数人の男は弾き飛ばされるようにその場から後退し無造作に両手を広げると共に大量の血を吹き出しながら地上へ向け落下してゆく。もうじき地上へ到着する寸前に僕の存在に気付いた少女は、完全に過去の記憶などを思い出す暇もなくなり動揺しか残っていない僕の顔を見つめる。
「ふーん・・・。アナタ、このまま轢かれた蛙のように無様な死を迎えるの?」
「えっ!・・・だって、もうどうにもならないじゃないですか」
「普通に考えれば、ね」
この絶望に近い場面に似合わない女神のような笑みを見せた少女は、舞い上がる漆黒の美しい髪をかき上げながらこの状況を楽しんでいるかのように感じた直後、それまで地上へ引き込まれていた重力の方向が一気に横へと変化する。頭を殴られたようなその衝撃に僕の意識は飛び、再び目の前の視界が開けた時には自身が飛び降りたビルより僅かに低い隣のビルの屋上で頬をニヤニヤさせる少女の細い腕の中で担がれていた。
「こ、これは・・・一体どうやって・・・」
「アナタ、名前は?」
「こ、古城 司・・・です」
「古城・・・まぁ、同じ名前はいるしね・・・。じゃぁ、司君、アナタはたった今、屋上から飛び降りて命を落としました」
「えっ!?」
「・・・そして、これからはアタシの奴隷として仕えて貰うわ」
「ど!奴隷って!?・・・どう言う事ですか」
ひ弱な体質だが年の近い少女に掲げられている状態に恥じらいを感じながら、僕は突然の言葉に驚きを見せている様子に少女は笑う。
「だって、アナタ今死のうとしていたのでしょ?どうせドブに捨てるような安い命なんだから、拾ったアタシがどうしようが関係ないでしょう」
「・・・そんな、安い命だなんて」
「・・・おっと、話の続きはまた後ね!」
どうせ、ドブに捨てた命。
少女に手を引かれながら落下し行く僕は目の前の少女が発した言葉に反論できない事に気づき、自分が今行った事の恐ろしさと後悔に飛び出しそうなほど荒く鼓動する心臓に苦しむ気持ちを悟ったかのように少女は表情を変えずあっけらかんと話すが、その会話は先ほどまで少女を襲っていた男の再登場で急きょ中止になる。
「あ、あれは一体何ですか!?」
「うーん・・・説明するにはちょっと時間が欲しいわね」
襲い掛かる無数の銃弾の雨を何事もないように僕を抱きかかえたまま縫うように避ける少女は、自身の髪をかすめる銃弾をものともせず暗闇の空を舞う。追撃を振り払うようにさらにスピードを上げた少女に合わせ速度を上げた男たちは、次の瞬間突然姿を消した少女に驚きの表情を見せる。
「上よ」
その一言に慌てて上を見上げる男たちの下から現れた少女は、握りしめた銃のトリガーを男たち目掛けて引き発射された弾丸は男たちの額を躊躇なく貫くと、絶命し死肉と化した男たちは無造作に暗い地の底へ落下して行く。
「あ、あ、あ・・・」
「まっ、アナタにはちょっと刺激が強かったかもね」
「あなたは、一体何者ですか・・・」
自身の命を取られる覚悟で必死に現状の理解をするために質問する僕に、少女はその現状が日常であるかのような平常心を装ったまま笑顔を見せる。
「表向きにではどう思われているかは知らないけど、アタシは正義の味方ってところかな。・・・だけど、アナタは普通の人間としては見てはいけないものを見てしまった。この世界の闇、【アンダーワルド】を、ね」
「や、闇の世界、ですか・・・」
それまで優しさと余裕を見せていた少女から、年相応しくない鋭く冷たい表情へ変化し発せられた言葉に恐怖を感じると同時に、今自分が行った行為の理由が目の前に佇む自身と年齢の近い少女のこれまでの経験と比べれば、どれだけちっぽけな事かを実感する。それ程までに、目の前の少女が放った言葉の重みが僕のこれまでの弱い心を鎖で締め上げた。
その気持ちが分かったかのように少女は、険しい表情からこれまで通り薄く笑みを見せる。
「そんな、しかめっ面して考える程の世界でもないわよ」
「・・・でも、君は僕と同い年くらいに見えるし、人殺しをしても全然驚いてないのは、なぜですか」
「アナタ、いくつ?」
「え?・・・15、ですけど・・・」
「まぁ、それならアタシと同級生だけどね。・・・でも、アナタだって自ら命を絶とうとしていたんだから、見上げた根性って所よ。・・・だって、殺すのも自ら命を絶つのも同様で、それなりの覚悟が必要だもの」
「覚悟、ですか・・・」
「そっ、さっきは安い命と言ったけど、アナタは自分の命の尊さを何処の誰よりも真剣に考えていたけど、その結果がこうなっただけ。・・・だから、その覚悟をアタシの為に使ってもらうわよ」
少女の言葉は、締め付けられていた僕の心を鋭いナイフで切り付ける程の衝撃を与えた。
これまで家族にも外でも必要とされてないと自暴自棄になり自殺を選んだのも、只楽になりたかっただけの理由だったが、僕のこれまでの人生を知っているかのように全てを悟り、自殺という結果は安易に出た結論ではなく命の重さを感じての行動だと話す。その言葉に、僕はなぜか少女の言葉を聞きその先の考えまでも理解出来たような感覚を覚え、そして目の前の少女と共に新たな道に進むべきだと決意した。
「・・・あの、それで、こんな僕にも君の為に出来る事って何ですか」
僕の放った言葉を待っていたかのように、少女は闇を照らす月明りが透ける美しい漆黒の髪をかき上げながら笑顔を見せる。
「アタシの名は【篠原 結衣】よ。では、司君。・・・まずは、この寒い場所から早く帰ってお風呂を沸かして貰える?」
「・・・はい?」
こうして僕は、深夜のビルで出会った奇妙な少女と共にアンダーワルドで未知の戦いを始める事になった。