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始まりはあの日から

作者: 冬真 春

「ねぇ、今日が何の日だか知ってる?」


 そういって、私は机の向かいに座っている大切な人に問いかける。すると彼は、顔を上げ、メニュー表に向けていた目を、鋭くてそれでいて優しさを持った、私が大好きな目を私のほうに向け、


「今日は土曜日だろ?だから千尋(ちひろ)とデートしてんじゃん」


 と、澄ました顔で真琴(まこと)はそういった。


 ……いや、そうだけど、確かに今日は土曜日だけどさ!休日だから二人で遊びに行こう。って言ったけどさ!そんなことだったら私もこんな質問なんてしないよ!


 私は心の中で真琴を罵倒する。叫びたいけど我慢する。だって、ここは喫茶店の中だから。彼の後ろに見える窓は、十月の秋風に吹かれてその存在を主張している。


 今日、二人で遊ぼうと誘ったのは私だけど、このお店を指定したのは真琴だった。


 外見は、壁に蔦や蔓が張り付いていて、とても廃れてそうなお店だったけど、いざ中に入ってみれば、暖色系で統一された店内で、壁にはうさぎやりすなどのかわいい動物を模したものがかけられていて、とても落ち着いた空間だった。


 私は、お店に入った瞬間に、外とは違う、安らぐような雰囲気に呑まれた。数秒後、私は深々と頭を下げて謝罪した……心の中で。 それから、一つのテーブルに向かい合うように座って、私はソーダフロート、真琴はオレンジジュースを頼んで、今に至る。


 私は自分を落ち着かせるためにストローに口をつけゆっくりとメロンソーダを吸い上げる。


口に広がる甘く刺激的な味、そして少し溶けたバニラアイスの柔らかな風味。ストローを取り出し、スプーン状になっているストローの先でアイスをすくい、口の中に含む。冷たいアイスが舌の上で溶け、口の中いっぱいに広がるなめらかな食感。目を瞑り、その感触だけを味わえるように意識を向ける。


 ふと、耳に入ってくるのは、緩やかなリズムのクラシック。鼻に入ってくるのは、バニラアイスの甘い匂い。肌に感じるのは穏やかな店の雰囲気。


 ああ、落ち着く。ずっとこの場所に居座ってしまいたいぐらいだよ!……まあ、お店に迷惑だからそんなことはしないけど。


 心も落ち着いてきたから、目を開く。視界に映るのは黒髪で顔の整った青年。いつもなら、見ているだけで嬉しい気分になるんだけど、今は見るだけでムカついてくる。落ち着け私。


「そんな顔するなよ。さっきのは冗談だって。今日は俺たちが付き合い始めて一年だろ?」


 真琴はすまし顔で答えを言い当てる。

 そんな態度に少しイライラする。


「わかってるならなんで始めに言ってくれなかったの?」


 私は少し怒った態度で言ってみる。

 ……本当に少し怒ってるんだけど。

 すると、真琴は真剣な目をして、


「“あの日”の出来事は、俺にとって一番大切な思い出だから、そう簡単には口にできなかったんだよ」


 と、言った。しかもちょっとカッコいいポーズもとって。


 何も知らない一般人が見たら、役者かイタイ奴って思うんだろうけど、私は知ってる。真琴は今、心の中ではとても恥ずかしがっていることに。


 真琴は高校では演劇部の部長を務めていた。役に入るのが上手で、一般人の私でも役に入る前と入った後の雰囲気の違いが分かるほどだった。高校最後の文化祭では、白雪姫の劇でキャラクター全員を一人で演じて、観客を魅了させていた。


 本当にすごかった真琴だけど、実際は人前に出るのが恥ずかしくて役だけに集中していただけだったのだ。演劇部に入ったのも、人前に出られるようにするため、という理由だった。


 あれから1年と少し経っていても。真琴は何も変わっていない。


 だから今、真剣な顔をしてかっこいいセリフを言った真琴は仮面を被っている。


 そんな恥ずかしいことでもない発言に恥ずかしがる真琴が、かわいくて、面白くて、そして、愛おしい。


「……なに笑ってんだよ」

「…え?」


 真琴にそう言われて、手を口元に当てると、いまさらながら口角が上がっていることに気付いた。


 …………しまった。真琴が触れてほしくない内容だったから無表情を保っていたのにいつの間にかニヤついてしまった。うん。怒っている真琴も愛おしい。やっぱり私を真琴のことが好きだ。


「さっきから表情をコロコロ変えて、何考えてんだよ」

「“あの日”のことだよ」


 さすがに「真琴のことが好き」と頭の中で考えても恥ずかしくて言えるはずもなく、適当にはぐらかす。


 そして、自分の発した言葉が自分の耳に入ってきて、改めて内容を理解する。


 そっかぁ、もう一年もたつんだ。

 私たちの関係が新しく始まったあの日から……


□□□


 視界は黒く何も見えない。地面に足は着いていなく、体には宙に浮いている感覚。周りには何もない。自分の感覚でわかる。……一人ぼっちだということが。


 これ以上何も見たくなくて、何も知りたくなくて、私は目を閉じる。


 でも、五感のうちの視覚を無くしても、鼻が、耳が、皮膚が、舌が、周りの状況を無秩序に教えてくる。


 寂しさを紛らわせるために、自分を抱きしめるように身を縮める。


 それでも何も変わらない。私を今、一人ぼっちだ。


 ふと、体の先から感覚がなくなっていることに気付いた。

 ……このまま、私も消えてしまうのだろうか?それでもかまわない。だってここには私しかいないから、私が消えてしまっても、誰も悲しむ人なんていないから。


 もうすぐで、全身の感覚がなくなる。この恐怖から逃れることができる。


 その時、全身が心地よい暖かさに包まれ、体の感覚が戻っていく。


 瞼の奥に光が見え、瞼を開くと目に映るのは、明るいけど眩しくない、そして懐かしい。そんな光。


 その光をつかみたくて精一杯手を伸ばす。でも、どれだけ伸ばしても届かない。体を動かして、近づこうにもその距離は一向に縮まらない。


 熱は伝わってくるのに、実態までは手が届かない。それどころか、その光が離れていく。


「……まって」


 もっと手を伸ばす。光が離れていく。

 そこに、体に感じる落ちている感覚。


 そうしてやっと気づく。光が離れているのではなく、私が、落ちていたんだ。


 理解しても何もすることができない。光はあっという間に小さくなっていき、そして消えた。


 それでも落下は続いていく。暗い暗い闇の中へ……


□□□


「……!」

「……西峰!」

「はい!……いたっ!」


 私も名前を呼ぶ声で目を覚ます。すぐに右手に強い痛みが走る。


 ……状況よくわからないんだけど。


 私は周りを見渡す。目に入ってくるのは、椅子に座って私を見ているクラスメイト。教卓にはなかなかにイケメンな数学の教師。その上を見ると三時五十五分を指している丸いアナログ時計。

 そうして状況を理解する。


 ……今、授業中なんだ。私寝てたんだ。


「西峰、この問題を解け。お前だけ手を挙げていたんだから、よっぽど自信があるんだろ ? 」

 

 ……手も上げていたらしい。


 先生が指した方向を見ると、黒板に書かれたちょっと複雑な数式の問題。


 今日の授業内容の応用問題だろう。この先生は毎回同じことをするからなぁ。……まあ私には簡単だけど。


 立ち上がり、寝起きの頭を回転させ、すぐに答えにたどり着く。


「(3x+y)(x+2xy-3)です」

「……正解だ」


 先生はいやそうな顔をしてそういった。

 毎日の勉強の賜物である。

 私は静かに席に座る。


 そして、はっきりとした意識に戻ってくる少しの不安。

 たぶんさっき見ていた夢が原因だと思う。…何の夢を見ていたかわからないけど。

 意識しないようにしても消えてくれない。


「西峰、お前まだ眠いだろう、顔を洗ってこい。…ついでにお前の斜め後ろにいるはずのバカも連れ戻してこい ! 」


 自分の心と葛藤していた私に先生から再び声がかかる。

 言われて右後ろを見ると、いつもいるはずの人が居ない。

 …いや、ここ三週間この時間は居なくなってるんだった。

意識しないまま、心臓がトクンと跳ねる。


「…っ!行ってきます!」


 彼はバカなんかじゃありません。っていつもなら言うんだけど、今はなぜか急がないといけないような気がして、慌てて教室を飛び出した。


 ほかのクラスが授業をしている中、できるだけ音をたてないように廊下を全力で走る。一刻も早く行かないと手遅れになってしまう気がして。


 行先は決まっている。


 ほかの教室を過ぎると見えてくる階段。それを一段飛ばしで駆け上がる。スカートをはいているけど今は気にしない。ここには誰も見ている人はいないし、気にしている余裕もないから。


 私の教室は二階にあって。階段を上って三階、その上へ。

 そして目の前にあるのは屋上に続く扉。それを不安を吹き飛ばすように押し開ける。


 外から差し込む光に思わず目を瞑る。吹き込む風が髪を揺らし火照った体から熱を奪ってゆく。そのおかげでほんの少し冷静さを取り戻す。


「…よし」


 目を開けると目に映るのは雲が少ししかない青い空。視線を落とすと、屋上を囲っているフェンス。その端でフェンスに手を当てて景色を眺めている男の子の姿。


 昨日見た光景と同じはずなのに、とっても安堵している私がいる。…多分さっき見た夢のせいだろう。


「…真琴」


 歩いて真琴に近づく。真琴はまだ私に気づいていない。

 景色を見ている真琴の背中はとても儚くて、寂しそうに見えた。


 だからこそ私は、まことに不安が伝わらないように気持ちを明るくして、声をかける。


「真琴!」


 真琴は本当に私に気づいていなかったみたいで、名前を呼んだ時、肩が少し上がったのが見えた。

 真琴はゆっくり振り返って、


「やあ、西峰(にしみね)さん」


 と、悲しそうな顔でそういった。

 …西峰さん

 そう言われるたびに胸がチクリと痛む。

私に対する呼び方が「千尋」から「西峰さん」に変わってから、もう三週間も経った。


「真琴、教室に帰ろう。みんなが待ってるよ」


 いつもならそのまま一緒に教室に帰るんだけど、今日は違った。真琴は首を横に振った。


「やめようよ、西峰さん。僕のことを哀れだとか可哀そうだとか思っている人はいるけど、待ってくれている人なんていないよ」

「そんなこと……」


 そんなことないって言おうとしても、少なからずそういう人が居ることを知っているから言うことが出来ない。

 黙っていると、真琴が続ける。


「もう三週間も経つんだよ。僕が記憶をなくしてから」


 三週間前、文化祭最終日。真琴は高校最後の文化祭で一人で劇をした。観客を感動の渦に包んだ後、舞台の袖、観客から見えないところで真琴は倒れた。


 私は藻琴の手伝いをしていて、すぐ傍にいたからすぐに気づくことができた。それから真琴を保健室に運んでずっと傍にいた。真琴ば目覚めたのはそれから三時間後だった。


そして、記憶を失っていた。記憶がなくなってしまった原因はわからなかったけど、幸いにも体のほうには影響は無かったため、そのまま教室に戻った。……記憶は戻らないまま。


「…そうだね」


 かける言葉が見つからないから、何も言うことができない。


 最初のころはみんな誠のことを心配して話しかけていたけど、真琴は馴染もうとしなかった。二日三日経つと、話しかけようとする人も減り、いつしか誠は一人でいるようになっていた。そして一週間も経つと、真琴は毎日、この時間にここへ来るようになっていた。


「僕はこの屋上が好きだよ。景色は綺麗だけど、正直そんなことはどうだっていい。今が授業中だってこともどうでもいい。ここには自分以外誰もいないから」


 まあ、今は西峰さんもいるけどね。と少し笑いながら言う。

 そして、真剣な目で私の目を見て、


「ねえ、西峰さん。僕はクラスのみんなと話すのが怖い。だってみんなは僕の知らない前の僕を知ってるから。僕が歩み寄れば仲良くなれるってわかってるけど、前の僕との違いに気づいて悲しい顔をするみんなを見るのが怖い。だったら僕は一人でいることを選ぶよ。そのほうがみんなの為にるって思うから」


「でも、そうしたら真琴が…」


 一人になっちゃうよ。って言おうとしたら、真琴が言葉をかぶせてくる。


「僕のことは大丈夫だよ。この三週間で一人には慣れたから。それがこれからも続いていくだけだよ」


 その言葉を聞いて私はうつむく。

 …それでも私は真琴が一人でいるなんて嫌だよ。


「でも、みんなといれば、みんなでいれば、何か拍子に記憶か戻って、前と同じように楽しくできるよ。それならーー」

「それならなんだよ!」


 驚いて顔を上げると、悲しい顔で下を向いている真琴がいた。


「それならどうなるっていうんだよ!僕の記憶が戻ればみんな元に戻るっていうのか?そしたら僕はどうなる?今の僕に前の僕の記憶が戻っても、まだ今の僕のまま?それとも今の僕は消えてなくなるの?」


 真琴がそんなことを考えていたなんて知らなかった。


「…そんなこと、わからないよ」


 わからない。わからないから答えられない。

 真琴は落ち着いてみたいで、冷静さを取り戻していた。


「怒鳴ってごめん。西峰さんには関係ないことだよね。僕にもわからないんだ。本当に記憶が戻った時、この三週間の出来事が。思い出が全部無くなってしまうのかそうでないのか」


 真琴はまだ下を向いている。


「ほんとはね、わかってるんだ。僕の記憶が戻ったら、この三週間の思い出は消えてしまうって、だって今の僕は僕じゃないから。みんなが知ってる三輪真琴じゃない。偽物だから」

「違う!いつだって真琴は真琴だよ。記憶が有っても無くても、今でも昔でも、真琴は真琴だよ」


 目を合わそうとしても、真琴は下を向いているから合わせられない。

 目の前にいるのに、すぐにでも消えてしまいそうで怖い。


「うん、そうだよね。記憶の無くしたって、今この時間を生きているのは僕だ。この三週間を過ごしてきたのも僕だ。…そして、その三週間で西峰さんのことを好きになったのも僕だ。」


 真琴が急に顔を上げ、真剣なまなざしで私を見てきた。


「え……」


 今、何て言ったの。

 話が急すぎて頭がついていかない。

 私が呆然としていると、真琴が話を続ける。


「三週間前、初めて保健室で目を覚ました時、ずっと僕の手を握っていた西峰さんを見た時、一目惚れだった。前の僕とどんな関係だったか知らないけど、そんなの関係なかった」


 真琴は話を続ける。


「僕の態度が悪いせいで、みんなが離れていく中、ずっと気にかけてくれてたことはとても嬉しかった。たとえそれが前の僕のためにしてくれたことだとしても、僕には関係ない。僕は西峰さんのことが好きだよ」


 真琴が私のことを好き?

 えっと、だって、その、だって…


「西峰さん、泣かないで」


 真琴が私にハンカチを渡そうとしてくる。

 でも、でも、でも、その言葉は


「真琴に言ってほしかったよ…」


 ずっと今の真琴に隠していた私の気持ち。

 今の真琴は、昔の真琴との差を見られるのを嫌がっていたから。

 今の真琴と話すために作った偽りの自分。

 でも、今の発言で私の本音が出てしまった。

 あふれ出した涙は止まらない。

 これで本当に真琴は一人ぼっちになってしまった。私のせいで。

そうして真琴のほうを見ると、私は信じられないものを見た。


 その表情は、この三週間で一度も見たことのない表情で、ずっと前に一度だけ見たことのある表情だった。

 …なんでそんな表情をするんだろう?だって私は遠回しに降ったんだよ?私だったら悲しくて泣いちゃうのに。なんで。そんな嬉しそうな顔をするの?


 困惑とともに、いろいろな記憶が頭の中を駆け巡る。


 恥ずかしがり屋の真琴。劇の時のかっこいい真琴。文化祭での最後の演劇。そのあとの原因不明の記憶喪失。


 そして一つの答えにたどり着く。

 流れていた涙もいつの間に消えていて、体の内から湧き上がってくる一つの感情。それは怒り。


「真琴」


 たぶんまだ腫れている眼で真琴をにらみつける。


「…どうしたの、西峰さん」


 真琴はもう、ここ三週間のいつもの表情に戻っている。


「真琴」

「……何?」


 真琴は私が気付いたことに気付いた。


「一発殴らせて」

「わかった」


 そういって真琴は目を閉じた。

 真琴が目を閉じたのを確認して、私は真琴に抱きついた。


「真琴が真琴でよかったよ。このまま戻って来ないんじゃないかって、消えてしまうんじゃないかって、ずっと真琴じゃない真琴がそばにいるって、苦しかったんだよ」


 またあふれ出した涙は止まらない、どんなに怒りがこみ上げてきても、それを上回る嬉しさがあるから、真琴を殴れるはずなんてなかった。


「ごめんな」


 真琴はそう言うと、私を抱きしめてあやすように頭を撫で続けてくれた。


□□□


 気付けば涙も止まっていて、それでも真琴のぬくもりが心地よくて、離れようとしなかったら、真琴もずっと頭を撫で続けてくれた。


 さっき終業のチャイムが鳴ったから、もう、部活動生以外は大体帰っていると思う。先生への言い訳どうしよう。


「大丈夫。話は通ってるから」


 何の?

 てか、私何も喋っていなかったよね?


「おじさんは全部知ってる」


 その一言ですべて納得した。

 あの人関わってるんだ。平気で校長という役職を私情に使ってくる人だからなぁ。


 文化祭の出し物が私のクラスだけ強制的にメイド喫茶になったこともいい思い出だ。


「ねえ、どこからが演技だったの?倒れ時から?」

「うん、その時から。ちなみに家の家族全員グルだよ」


 …そうなんだ。真琴のお母さんのあの涙も、妹の真央ちゃんのあの涙も全部演技だったんだ。

 三輪(みわ)家怖い。


「真琴はどうしてこんなことをしたの?」


 答えは知ってるけど、っていうかさっき聞いたけど。 真琴の口から聞きたいから、問いかける。


「それは…俺に告白する勇気がなかったから。でも、俺の得意な演技(これ)なら自信をもって言えると思った」


 やっぱりそうだった。

 真琴が持てるすべての技を使って私に告白してくれたことはとても嬉しい。

 でも、


「やっぱり、真琴のままで好きって言ってほしかったな」

「流石にそれは恥ずかしい」

「なんで?私は言えるよ」


 立ち上がって、真琴のほうを向く。深呼吸をして、


「私は真琴のことが好きです」


 言い切った。心臓がどきどきしてる。言っちゃったけどやっぱり恥ずかしいなぁ。たぶん、いや絶対に私の顔は赤くなっている。


 真琴は口を閉じたまま私を見ている。

 耳に入ってくるのは風の音だけ。

 恥ずかしすぎて口を開こうとしたとき、真琴が立ち上がった。

 そして、


「俺も、俺は千尋のことが好きです」


 真っ直ぐに言われて私の顔はもっと赤くなる。

 言ってくれた。好きって言ってくれた。真琴のままで、顔を真っ赤に染めて。

 嬉しい。


「うん。私も、好きです」


 だからこの嬉しさを言葉にして伝える。

 真琴が私に微笑みかけてくれる。

 私も真琴に微笑む。


 ずっと願っていた思いが叶った。お互いに偽った自分を見せていたけど。そんなの関係無かった。偽った自分を演じているのは本当の自分だから。


 三週間偽っていた自分はもう役目を終えた。

 だからもっと大胆になってもいいよね。もっと距離を近づけてもいいよね。

 恥ずかしさが伝わらないように冷静を装って言葉を紡ぐ。


「真琴、キスしてほしいな」


 返事を待たずに目を瞑る。

 何も見えない世界で心臓の速い鼓動が全身に響き渡る。

 返事を待っていたら、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。


「わかった」


 真琴の短い返事。

 目を瞑っていても真琴が近づいてくるのがわかる。

 そして肩に真琴の大きな手が乗せられる。


 もうすぐ真琴と……


 周りから見たらあっという間に過ぎていく時間。私にとっては永遠にも近いような長い時間。そんな時間を目を瞑って待ち続ける。


 いつまで経ってもその時がやって来ない。

 恐る恐る目を開けると目と鼻の先に真琴がいた。そして唇に何かが触れる感触。


 すぐにそれが真琴の唇の感触だということに気づく。

 真琴は目を閉じていた。顔を真っ赤にして。

 嬉しいやら柔らかいやら色々な感情が絡まってよく分からない。


 わかるのはこの瞬間がとっても幸せなことだけ。

 目を閉じることもできず、ずっと真琴見ていたら、真琴が目を開いた。

 目と目が合う。


「うわぁ!」


 よくわからない雰囲気から我に返り、体を離す。

 まだ心臓がドキドキしてる。

 真琴も私と同じ気持ちだったらいいな。


「どうだった?」


 真琴に問いかける。


「正直、初めてだったからよくわからない」


 その答えを聞いて思わず笑ってしまう。


「なんで笑うんだよ」

「だって、私も同じこと考えてたから」

「そっか、そうなんだ」


 真琴はまた私に微笑みかけてくる。


「真琴、私、今とっても幸せだよ」

「俺も幸せだよ。だからこれからもよろしくな」

「うん!」


 それから私たちはまた、言葉を交わすことなく近づき、二回目のキスをした。

 周りには誰もいない。都合よく降りてきた太陽が私たちに強い光を当てていてくれたから。

 そこだけは私たち二人だけの空間だったから。


□□□


「なあ千尋。今、幸せか?」


 お店を出て、すぐ傍にある公園にやってきて近くにあったベンチに二人で座ると真琴が質問してきた。


「幸せじゃないよ。だってここ寒し」


 お店に入る前は高い位置にあった太陽も出る頃にはかなり降りてきていて、吹いている風は何にも遮られることなく私にぶつかってくる。


「そういうことじゃなくてだな」

「だから真琴が温めてほしいな」


 そういって、元々ゼロに近かった距離をもっと近づける。


「おい」

「ん。今はもっと幸せだよ」

「はぁ。…そうか、ならよかった」

「だからこれからも真琴に幸せにしてほしいな」


 その言葉を言ったとき、真琴がびくっと少し震えたのがくっついている体から伝わった。


「なあ千尋」

「なに?」

「俺が働き出してもう少しで一年になる」

「そうだね」


 真琴は高校を卒業してから、有名な企業に就職した。役者関連の職業に進むと思っていたけど、真琴にとってはただの趣味だったらしい。


 私は調理師になるために、専門学校に通っている。理由は真琴が私の料理を美味しいって言ってくれたから。ただそれだけである。


「正直、辛い。毎日の仕事が苦痛に感じる日も少なくない。もう少ししたら慣れてくるかもしれないけど今は自分のことを考えているだけで精一杯だ」

「そうだね」


 私はまだ働いていないけど、それでも毎日の勉強は辛い。少しでも手を抜くと周りからおいて行かれてしまう。


「だから…」


 真琴は立ち上がり座っている私の前に来る。

 そして、ポケットから何か白い四角い箱を取り出した。


「だから今は生活が苦しくて、いつも一緒には居られないけど。一年後の今日。この大切な日に俺と結婚してほしい」


 そういって真琴は箱を開いた。

 中に入っていたのはとても簡素な、でもはっきりと目的が分かる一つの指輪。


 真琴の嘘つき!

 自分のことを考えるだけで精一杯なんて、私のことをちゃんと考えていてくれてるじゃない!


「返事はどうかな」


 わかりきった質問をしてくるのもずるい。


「こちらこそよろしくお願いします」


 嬉しすぎて涙が溢れそうになるのをこらえながら返事を返す。

 そこに真琴が私を胸に抱いてくる。

 そのせいで涙が溢れだしてしまった。

 一年前のあの日と同じように私は泣き続けた。

 真琴も一年前と同じようにずっと頭を撫で続けてくれた。



 私はこれから結婚しても、子供が生まれても、おばあちゃんになっても、絶対に忘れないだろう。

 全てが始まったあの大切な日を。

読んで頂きありがとうございます。

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