葛藤~修羅場の果てに~
翌日の放課後。
俺は、授業が終わっても教室から出ずに自分の席で考え込んでいた。
もちろん、昨晩に姉貴から言われたことだ。
――ここから逃げて、一人で本土に帰るか。
――何が起こるか分からない空星島に滞在し続けるか。
俺にとっては、究極の二択だ。
できれば逃げたい。でもそれだと小春や姉貴たちと別れることになってしまう。
どうすればいいんだ、ちくしょう。
「にぃー、何してるんですかー?」
ふと、そんな声がしたほうを振り向くと。
教室の扉のところで、小春が立っていた。
考え事をしていたせいで、小春を待たせてしまったらしい。
俺は急いで小春のもとへ向かう。
「ごめん、待ったか?」
「待ったけど、大丈夫です。すごく待ちましたけど、全然気にしてません」
だめだ、めちゃくちゃ気にしている。拗ねたように唇を尖らせているのが可愛い。
「なにニヤニヤしてるんですか」
「うぇ!? い、いや、何でもない」
考えていたことが顔に出てしまったのか、小春に半眼で指摘された。
我が妹が可愛すぎて、つい口角が上がってしまったようだ。俺は悪くない。
何はともあれ、俺たちは肩を並べて廊下を歩く。
教室や廊下の光景、窓から見える空星島の景色、そして小春たちとの楽しい会話……。
俺が一人で本土に帰れば、それら全ては失われてしまう。
俺は、どうすればいいんだろう。
「……にぃ。どうしたんですか、難しい顔して」
不意に、小春が俺を見上げて問いかけてきた。
俺、そんなに考えていたことが表情に出やすいのだろうか。
「何か考え事ですか? わたしでよければ、何でも聞きますよ」
俺の妹は優しい。俺が悩んでいたりすると、いつでもこうやって話を聞いてくれる。
だけど、今回はそういうわけにはいかない。
小春に話せば、絶対に俺を本土に帰すべきだって言うに決まっている。
自分のことは全く構わずに、俺の安全を確保しようとするに決まっている。
でも――それじゃだめだ。
「何でもないよ、ありがとな」
言って、小春の頭を撫でる。
妹に気を遣われるなんて、自分が情けない。
小春や姉貴を連れて行けるなら、迷わずに本土に帰るほうを選択しただろう。
だけど、そうじゃない。あくまで帰ることができるのは、俺だけだ。
他のみんなは――俺と違って自由に能力を使用できる生徒たちは、この島に必要だから。
必要のない俺は、帰るべきなのだろうか。
それが、誰にも迷惑をかけず、誰にも心配されない、一番いい方法なのではないだろうか。
と、俺の思考を遮るように。
「おにぃぃちゃぁぁぁぁぁんっ!」
そんな叫びが、後ろから聞こえてきた。
さすがに声と呼び方だけで、誰なのか分かる。
ゆっくり背後を振り向く――と。
「やっと見つけたーっ!」
声の主――鳥待三冬が、俺の首に両腕を回して抱きついてくる。
距離感がかなり近いのだが、他の男にも同じようなことしてるのだろうか。見たことないけど。
「ちょっと、三冬さん。いい加減、にぃから離れてください!」
俺に抱きつく三冬を見て、小春が物申した。
そこでようやく小春もいることに気づいたのか、三冬は一瞬だけ小春を一瞥し、すぐに俺の顔へと視線を戻す。
「……で、おにいちゃん。いつ初えっちする?」
「ちょっと! 無視しないでくださいよっ!」
「あ、いたの?」
「いましたよっ! さっき、わたしのほう見ましたよねっ!?」
小春が怒鳴っても、三冬は意にも介さない。
馬鹿にしているというか、ただ単に無視しているだけというか。三冬はいつもこういう態度だから、小春や姉貴たちとは未だに仲良くなれていないのだ。
まあ、三冬は仲良くする気すらないみたいだけど。
「もう、うるさいなぁ。ふゆとおにいちゃんの邪魔しないでよ」
「邪魔ってなんですか! 三冬さんが割り込んできたんじゃないですかっ」
「おにいちゃんは、ふゆだけのおにいちゃんだもんねぇ?」
「違いますよっ! にぃは、わたしのにぃです!」
「とらないでよ、泥棒猫」
「誰が泥棒猫ですか! 三冬さんが、わたしからにぃをとってるんじゃないですか!」
「おにいちゃんはね、ふゆと生涯を誓い合ったんだよ。他の女が入り込む余地なんてないの」
「う、嘘言わないでください! にぃは、三冬さんなんか見向きもしてませんから!」
「むっか。そんなことないしっ! ふゆとおにいちゃんは、子作りだってしちゃうんだから!」
「こ、こづ――っ!? い、いいいきなり何言ってるんですか!」
相変わらず仲の悪い二人である。
ここまで好かれたり懐かれたりするのは正直物凄く嬉しいのだが、間に挟まれるとどうしたらいいのか分からないから困る。
アニメの修羅場シーンを見て妬んだこともあったけど、実際に自分が体験すると思っていたより大変だ。
頼むから、もうちょっと仲良くしてください。ほんとに。
「……お前ら、会う度に喧嘩してないで仲良くしろって」
「無理言わないでよ!」
「できるわけないです!」
どうやら、それは不可能だったらしい。変なところで息を合わせやがって。
この二人、前世は犬と猿だったに違いない。
「おにいちゃんは、ふゆのことしか愛してないんだよ! 真実はいつもひとつなんだから! ね、おにいちゃん!」
「……どこのバーローだよ。真実じゃないからな、そんなの」
「まーたまたー、照れちゃってー」
「照れてるわけじゃねえ!」
やっぱり三冬の相手をしていると猛烈に疲れる。
さっきまでシリアスな感じで悩んでいたつもりだったのに、三冬が現れた途端に一気にギャグの雰囲気へと変わってしまった。
でも――げんなりとしつつも、俺は心の中で三冬に感謝していた。
三冬がこうして明るく元気にしてくれているからこそ、俺も元気をもらっている。
そうじゃなかったら、きっと今頃深く考え込んでいただろう。元気なんて、出なかったことだろう。
たとえ無意識だったとしても、三冬のこういうところは素直に好きだった。
本人に言ったら調子に乗りそうだから、絶対言えないけど。
「むう……にぃは、わたしのにぃなのに……。にぃもにぃです。もっと突き放したらいいじゃないですか」
小春が唇を尖らせ、今度は俺に抗議してくる。
三冬とは全然そんな関係じゃないのにも拘らず、いちいち嫉妬する小春が本当に可愛い。
「にぃがそんな態度だから、三冬さんが勘違いして付け上がるんですよっ!」
「勘違いなんかしてないし! っていうか、あんたには関係ないじゃん!」
「関係ありますよ! わたしは、にぃの妹なんですから!」
「でも、実妹でしょ? エロゲじゃないんだから、付き合うことも結婚もできないじゃん。それなのに、おにいちゃんのこと好きなの? 一人の男として?」
「べ、別にそういうわけじゃありませんけど! 男としてとか、そんなわけないじゃないですか!」
「じゃあ、ふゆの邪魔する権利ないよね?」
「あ、あります! 唯一の妹として――」
「だから。ただの妹が、ふゆの恋愛に口を挟んでこないでって言ってるの!」
「む、むうう……っ」
怖い。女同士の喧嘩、怖い。二人とも幼女のくせに、なんか怖い。
このままだと、殴り合いに発展しそうだ。小春と三冬は、そんなに粗暴な幼女ではないと信じたいが。
「な、なあ……お前ら、お互いのこと嫌いなのか?」
「大っっっっっ嫌い!!」
「あまり言いたくはありませんけど、嫌いです」
大変困った。嫌よ嫌よも好きのうちとは言うが、二人の場合は本気で嫌っていそうである。
どうしよう。簡単に人のことを好きにはなれないし、元々の感情が嫌い寄りならば尚更だ。
とはいえ、小春と三冬なら仲良くなれそうな気もするんだけどな。ただ、二人とも素直じゃないというか、むしろ正直すぎるというだけで。
……でも俺は、小春や三冬とのこういうやり取りも嫌いではなかった。
正直愉快で、楽しくて、面白くて――そんな風に感じていたせいで、注意力が散漫になってしまっていた。
だから――気づけなかった。
俺たちのもとに、確かに敵とやらが迫ってきていたことに。
「……えっ?」
不意に、小春が素っ頓狂な声を漏らして。
俺たちが、訝しむ暇もなく――消滅した。
瞬時に、跡形もなく。
つい数瞬前には俺の目の前にいたはずの小春が、まるでテレビの電源を切ったときのように、突如として姿を消してしまった。
「な……こは、る……?」
愕然として、俺は思わず今にも嗄れてしまいそうな声で名を呼ぶ。
だけど、それに答えてくれる声などどこにもなかった。
目の前で起きた事実が理解できなくて。
ただただ、さっきまで小春が立っていた虚空を見つめるばかり。
「……どこに、行っちゃったの……?」
俺と同じように、喫驚して三冬が呟く。
俺には、その問いに答えることなんてできない。当然だ、俺だって知りたいくらいなのだから。
消えた小春――。
そこから更に追い打ちをかけるように――上から、一枚の紙が落ちてきた。
怪訝に思いつつ拾い上げ、そこに書かれていた文字を読んでみる――と。
「んだよ、これ……ッ」
そんなことをする理由はないだろうけど、これが小春のイタズラならよかった。
何かのドッキリだったなら、笑って許すことができたのに。
それなのに――こんなペラペラな一枚の紙ごときに、俺の願いは打ち崩されてしまった。
「なんて書いてあるの?」
三冬が爪先立ちをして、俺が持っている紙を覗き込む。
そこに、書かれているのは――。
『貴君の妹君は、預からせてもらった
返してほしければ、今すぐにトレーニングルームに来い』
そんな、ワープロ文字だった。