森の墓守/仇の魔女
『魔女とは植物や土地から自然発生する『現象』であって魂ある『存在』ではない。
魔女は見出した人間の命精を吸い糧として様々な魔の法を繰る。
魔女は黒髪紫瞳の女の容で顕現するが、人に仇成し魔道に堕ちた時、その瞳は魔力に満ちて黄金瞳となる。
魔女は総じて短命だが、心臓は無く通常の手段では直接的に害することは不可能である。
だが、祝福された火、鉄、或いは魔力の枯渇により消滅する。』
それはこの大陸の人間ならば誰もが知っている魔女に纏わる不文律だ。
ここから更に枝分かれするそれは曰く「魔女は一代限りの突然変異種である」曰く「黄金瞳を持たぬ魔女は毒薬に精通し人に紛れる」曰く「魔女に魅入られた者は命を蝕まれ息絶え、魔力の源となる」曰く「魔女は己の発生した起源に纏わる特性以外の欲求や本能に頓着せず、必要もしない」曰く「魔女は人の倫理の埒外の純粋な災厄の具現」。
国を守る騎士であれば諳んじることが出来て当然になるまで叩き込まれる呪文のような文言。
実際の証言を元に綴られるらしいそれは、年を経るごとに厚みを増していく。
誰も推敲せず書き足していくものだから、読み込めば矛盾や特異点を見つけることもできるだろう。
だがそうして辿り着くかもしれない真理に意味は無い。
教本が伝えたいことは、ただひとつ。
どれだけ人に似ていても、どれだけ人より秀でていても。
美しくも、慈愛に満ちていても、憐れでも。
魔女が如何に恐ろしく、非情であり苛烈で、解りあう心を持たぬ魔の者か。
延々と「魔女は人間の同胞ではない」と説き続ける為に、その項と、魔女への悪意は増え続ける。
多くの編纂者がいるであろうに、みな一様に。
何かを恐れるように、『魔女』と『人間』との境界線を、どこまでも溝として深めていく。
だが、ここヴァルファーレン国の第41代国王と、その騎士団長、そしてかつて“白樹の聖森”と呼ばれた聖域が“呪雪の墓森”となった顛末を知る幾らかの人間にとって、魔女の存在は聊か特別な意味を持っていた。
彼女は、災厄の具現ではない。
呪い雪の眠り時を待つ、墓守と呼ぶのが相応しい……そう思っている者もいるだろう。
――無論、それが言葉になることはない。
そうして飲み込んだものは須らく、かの魔女が守るあの森に向かう。
手向けのように六花の一片となり、今この時も降り積もり続ける。
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切欠は、突如として出現し蔓延した霧が原因による国民の衰弱死だった。
その薄い金色の霧に抗体なき者が侵されると気力が萎え床につき、じき眠るように死に至るという奇怪極まる病が城下の人々を襲ったのだ。
その症状は魔女が精気を枯渇させた人間のそれに似ていると言い出したのは誰だったのか。
魔女の理由なき呪いだと言うものもあれば、魔女が夜な夜な国民を贄にして魔力を蓄えているのだと怯えるもの、神の慈悲に縋るのを止め冒涜たる化学の知恵を授かったことの報いだと叫ぶものもあった。
答えは出ないまま、なす術もなく、国の中でひときわ豊かで美しく歴史を重ねた城下町は、幾夜で廃墟のように静まり返った。
今では魔女の所業と認知されている霧の正体は、人知を超えた異能を持ちながら何にも恭順しない魔女達の存在を危惧した王の独断による実験過程で作られた科学兵器、その暴走である。
予てより肥沃な土壌に恵まれたその国には、魔女が多く潜んでいた。
発展を重ねればそれだけ、人は行き交い物は増える。
自らの存在意義である起源に惹かれ、糧を得ようとせん魔女も、また然り。
大いなる災厄と理解の及ばぬ奇跡を齎しかねない魔女の持つ可能性を、王は恐れた。
そして洗練された人の武と魔法のような化学の力、積み重ねた歴史に裏打ちされた技術や経験と聖域の加護があれば、万難の種を排除できる筈だと考えたのだ。
故に彼は今の自分たちには及びもつかぬ力ではあっても、魔女に頼らず脅えることなく己の意志で扱える化学の力を以て、魔女への対抗兵器を作ろうとした。
彼がその兵器にどんな効果を付与したかったのかは今となっては誰も知らない。
ただそれは、命の源である精気を蝕み枯渇させる霧となって国を壊した。
それは、皮肉にも魔女の起こす災厄に酷似した絶望だった。
かつて賢く穏やかであった王は、魔女への恐怖と発展の驕りとで狂王と成り果てた。
それでも歴史書には、発展に尽力し魔女に屈した悲劇の賢君と刻まれる。
全ての元凶は、魔女であるべきだからだ。
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果たしてその兵器の存在が魔女に全く効果がなかったか、と言われれば、そうではない。
霧は魔力ではなく命の源たる精気を蝕むものであったが為、それを厭った魔女達は国を去った。
魔女を滅することは出来なくても国からそれらを追いやることには成功したのだ。
……それでも、災厄とも呼ばれるほどに犠牲は大きすぎた。
霧は抗体や魔力の資質を持たぬ者の命を貴賤も種も問わずに飲み込んだ。
弱き草花が絶えた。小さき獣が消えた。幼子や、老人や、前途ある若者も志を半ばにした。
そしてそれらの骸は、聖域たる森へ堆く積み上げられた。
施策の失敗を悟った王は地下に籠ることで保身を図り混乱を極めた状況下で指揮系統は機能せず、真実を知った王子が位を簒奪し、残された絡繰りと薬品を使い聖域に全ての霧を集めることで事態をひとまずの収束を得た頃には、森は穢れと骸に満ちていた。
このままでは森に今までの類に見ない魔女が生まれるだろう。
否、魔女が現象の容であるのなら、これは災厄の怪物として、鉄も火も効かぬものとしてこの国を滅ぼすのではないか?
魔力のない人間にあってもそう考える程に、聖域は穢れて倦んでいた。
白樹など、見る影もない。
霧の瘴気と骸の穢れを吸い、昏く枯れた木々が広がるばかり。
今にも溢れんばかりの禍々しい災厄の姿は、国の終わりを予感させるのに充分だった。
もはや一国の猶予もない。
森が枯れれば霧はまたあふれ出し、森から顕現する魔女と共に今度こそこの国を亡ぼすだろう。
その霧と呪いは風に乗り他の大陸も飲み込むかもしれない。
それでも新しき王には、人の手には、どうしようもなかった。
それを救ったのが、ひとりの魔女である。
彼女は、自分ならこれ以上の犠牲を必要とせず事態を終結させられると語り、契約を持ちかけた。
己にこの霧は作用しないと言い切り、魔女を顕す豊かな長い黒髪を払い、夜闇の如く紫暗の虹彩を瞬かせる彼女のことを、若き王も聞いていた。
本来、自らの起源を全うするために人間の命を奪い、分別なく魔力を行使するのが魔女である。
だが、目の前の魔女はそうではない。
彼女は条件を満たしたものにはその願いを叶え得る魔力を込めたものを蜜として練り上げ、毒にも薬にも転じて渡すという。
善悪の区別はなくとも人々の願いを叶える、異端の魔女。
その性質から、人間には救国の聖女とも傾国の災厄とも呼ばれ、同族からは人間を糧にしたことのない”出来そこない”である紫瞳でありながら、黄金瞳を持つ魔女を凌駕する魔力を持つことを揶揄する朔の魔女と綽名される、人間にも魔女にも知られ恐れられる異形。
背に腹は代えられないと助力を乞うた彼らの中で、当時の騎士団長だけが彼女の選定に適い、斯くして森に鎮められた数多の命と旧王の最後の国政たる霧は魔女によって弔われることになった。
骸は焼かれ灰になったが、魔法によってやがて霧と混じり空に上り、森の中で止むことのない雪に転じた。
骨と灰とで象られた雪。嘆きに染まった霧で覆われた夜空。
聖気を無くし黒く染まった枯れ木を呪い雪がゆっくりと白く覆っていく。
それを背後に凛と靡く、異端の魔女の闇色の瞳と長い髪。
人々がその光景に何を思ったのか、語られることは終ぞ無い。
いつか滅ぼすことになる、魔女に救われることなど、あってはならないことだからだ。
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魔女は言う。
森にはもう人間の祈りの声は届かない。
雪に転じた魂は無念や遺恨、瞋恚と慟哭に染まりきり、魔力と混じったことで命を持つ人間を侵し威力を増すだけだということ。
呪いが洩れないよう、自分はこの森に結界を張り閉じ込めること。
同じく、この国は外界から閉ざされる。
逃げた民はこの国へ戻れない。留まった民もこの国からは出られない。
だが幸いこの国には科学がある。肥沃な土地は人々が生きるに充分である。
終わらぬ呪いの源になった全ての未練が尽きるまで呪いのまま降らせてやることだけが、その森を浄化に至らしめる唯一の方法であること。
だがその成就には呪いを忘れることなく観測し続ける存在が不可欠であり、本来は遺された者の役目であるそれは只人では耐えられない為に自分が肩代わりすること。
そのために魔女は人の容を放棄して己の魔力の形である蜜とし、ただ浄化の現象として、森と共に眠り続けること。
契約は成ったが、魔女は魔法を使うのに契約が結び続けられなくてはいけない為、契約を定期的に結びなおす必要があること。
契約の主となる騎士団長は1年に1度森へ行き、呪いが浄化されるよう魔女に願ったことを再度宣誓すること。
魔女の魔法がかけられた剣を持つ者は、それを持つ限りは呪いに侵されないようにしたこと。
いつまでかかるかは解らない。
人にとっては代を変わるほど長い時間が必要かもしれない。
それでも、交わした契約が破られることがない限り、雪はいつか降ることをやめ、森は蘇り国は開く。
自分は異端ではあるが数多の魔女と同じく、契約者に契約を履行する意思が途絶えた時には自分もまたそれを放棄することになる。
放棄された契約は元以上の事象となり跳ね返るのが常であり、そうなればこの国はおろか大陸にまで害が及ぶ恐れがあること。
彼らはそれを了承し、そして。
その日、契約は交わされた。
人々はそれを、英雄譚と呼ぶ。
憎き霧の魔女を、聖なる森に封じたと。
そしていつの日か王は、魔女を完全に滅ぼしてくれるだろう。
希望が灯り、魔女は消え、全てを知る王と騎士は沈黙した。
それが、この物語の始まりだった。
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「それでは、おやすみ。 騎士団長殿」
災厄の魔女、救国の聖女。
どちらとも言われるに相応しい表情と言葉を最後に、魔女はその日から数多の墓の守り人となり、聖域の森はその日から雪の止まぬ呪いの森と成り果てた。
王は被害のあった地を自ら視察して周り国の復興に力を注いだ。
住人は少しづつ活気を取り戻し、傷跡は少しづつ癒えていく。
何も知らない民は囁く。この国の王はみな誇り高く素晴らしい。
騎士団は団結と意気高く、魔女にも隣国にも負けはしない。
一新する流通や文化は必ずや先進国に相応しいものとなるだろう。
祝え、奮え、我らが国を。
霧を生み出し敬愛する王の仇たる憎き魔女は、勇気ある新王により森に封じられた、と。
そして、今年も騎士が呪いの森を訪れる。
剣を携え、誓いの言葉を掲げ、墓守との約束を全うする、そのために。