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6回目の独り言(2)


その黄金瞳は冷たく凪いで、穏やかだった。

相反する印象を抱かせる魔女がそれでも自分のなかに矛盾を抱かせないのには、2つの理由がある。

ひとつは、此処で過ごした間で知った彼女の、自分が捉えた本質。

もうひとつは、忌々しくも拒みきれない、己であって己の知らぬことを吠える、意識の主張。


――――自分は知っているからだ。彼女のこの瞳が甘く蕩けた所を。熱く揺れる瞬間を。

まるで彼女の作る蜜のように美しく惹かれる。どの魔女の黄金瞳より美しい、彼女の、宵の月の色。


「蜜……」


「うん?」


「ああ、いや、なんでもない。それで、すぐにも発とうと思うんだが」


「随分と急だな。体調は……うん、悪くはなさそうだ。

雪避けの呪いも――うん、大丈夫だな。

だが、念のために外の近くまで着いて行こう」


「ありがとう」


存外に心配性な気質の魔女をいとしく思いながら、その申し出を断らないのは自分の軟弱さの為だった。

何を期待している。何を迷っている。彼女から何を奪おうとしている?


――――すべてを。彼女の全ては、自分のものだ。

何故離れる必要があるのか。彼女をまた独りにするのか?


「魔女に礼を言う悪癖は直りそうにないな。仕様のない騎士殿だ」


困ったように眉を下げ僅かに頬を緩ませる仕草にさえ、今にも仮病を演じそうになる。

意識に呑まれそうになる。早く、早く離れるべきだ。恋情など死んでしまえばいい。


「……雪の呪いより厄介な病かもしれないな。魔女殿の魔法でも治らなかったのなら」


ちらりと剣に目を向ける素振りで彼女は俺の癖を見ぬいたようだ。

拳を握りながら叩く軽口は彼女にどう映ったのだろう。

微かに漏れたのは溜息か忠告か、呆れたとしても、嗤ってくれればいいものを。


「それは治せそうにはないがね、この森を出る前に、騎士殿にはこれを飲んでもらう」


魔女の掌には琥珀色をしたいくつかの欠片が入った瓶が乗っていた。

一見しては輝石のように暖炉の火を通して煌めくそれは、彼女の魔法のその結晶である。

それの持つ色は今までは薬として与えられていたものと同じ。

だから、形状は違うとはいえ見慣れたもののはずだった。


――――これは嫌いだ。 


だが、本能とは別のところで何かがこれを忌避している。


「……何の、薬だろうか?」


俺の疑問に魔女は訝しく眉を上げた。


「勘がいいね。いつもとは違うものと何故分かった?

それにこれは、色は同じでも薬には見えないだろうに」


「いつもの薬ならあなたはそういうだろう。言わないということは、違うものだと思ったんだ」


今度こそ魔女ははっきりと息を吐く。

嘘を吐けない魔女の懸命たる処世術をそう簡単に見破られては甲斐もない、と不服そうに呟く声には、魔女殿には大逆の魔女の素質はないようだな、と返すことが出来た。

瞬きをしてから「成程?」と此方を挑む花顔のほほえみこそ得られなかったものの、その瞳は今度こそ自分の知るものであったので安堵する。


――いつもより何処かぎこちなく感じるは、彼女も別れを寂しく想っているからなら、いいのに。


「毒……ではないよ。何のことは無い、此処に来るまでのことを忘れる薬だ」


本当になんでもないように言うので、思わず未だ彼女の手のひらを凝視してしまう。

瓶の中で鋭角を炎の色に晒す濃い琥珀のようなそれらは彼女の瞳の色と同じだった。


「……そんなことまで、できるのか」


すると、魔女は徐に顔をゆがめてみせる。

これは多分、思った反応が来なくて戸惑っている顔だろう。


「もっと他に言うことがあると思うのだけどね」


「他に」


「そう。

本当にそんな都合のいい薬があるのかとか、なぜそんな薬を飲む義理があるのかとか、

……本当に忘れるだけか、とか」


「薬師たる魔女殿が作る薬だ。作り手がそう言うならそうなのだろう。

義理ならある、俺は宿の恩を返さなくてはいけないからな。

なにより、“忘れる薬”なのだから忘れる“だけ”なのだろう?」


「……騎士殿は本当に、察しが良くて助かるよ」


俯いた頬を帷のような黒髪が遮って隠す。

だから彼女の口元が動いたことに俺が気付くことは無かった。

やや居心地が悪そうに瓶を弄ぶ指の先で、薄い黄金色がさらさらと揺れている。

それはいつの間にか、蜜を溶かしたような色合いをしていた。

暖炉の火を遮るように彼女の手のひらが瓶から欠片を掬ったからだろう。


「つまりは、魔女殿のことを…忘れる、薬。そういうことだな」


「……そうだね。私はこの森と共にある。

この森で過ごしたすべてを忘れるということは私の存在を忘れることにもなるだろうね」


彼女はそう嘯くが、それが彼女の真の狙いなのではと疑う己はとうとう慕情に毒されているのだろうか。

彼女は全て知っていて、俺に忘れさせたいのでは。

人の想いなど足枷で、それでも言えない彼女の答えの手段なのでは、などと。

未練がましく口が開いたことを自覚した時にはもう遅かった。


――これを飲めば、俺は。君を。


「俺はあなたのことを口外したりしないが」


「そんな口約束では、魔女は縛れないよ」


「あなたを縛れるものがあるのならご教授頂きたいものだ」


否、己は少なくともそれを一つだけ知っている。

彼女の伴侶。恐らく二度とは帰ってこないであろう待ち人。

ああ、それが譬え己の敬する師であったとしても。己は、耐えられそうにない。

この感情は人をどれだけ侵すのだろう。師に譲れないものがあるなんて、思いもしなかった。


「魔女を滅ぼす方法は私などより人間の方が余程心得ているよ」


そう言うと瓶から1粒とり、俺の手のひらに欠片が落ちる。

もう1粒。

もう1粒。

もう1粒。

もう1粒。

……そして迷うように、もう1粒。

魔女には体温は存在しない。6もの欠片たちはどれも彼女の温度を伝えてはくれない。


「白湯だ。全部入れて」


やけに手に馴染む器へ、から、と微かに音が鳴る。

どこかで聞いたことのあるような気がしたが、彼女の声が続いたことで浮かびかけた何かは消えた。


「飲んで」


一思いに呷った。彼女の瞳を見ないように。彼女の何かに期待しないように。


「・・・・・・  。

よし。成功。

欠片は尖っているがすぐ溶けただろう?喉を傷つける心配はないよ。

……ふふ、それにしても思い切りがよいね」


「あまい……」


「おや?私の魔法が蜜の容を取ることを知っていて先ほど呟いたのではなかったのかな」


「いや……そう、だったのだろうか……」


「……まあ、今となってはどうでもよいことだ。

どうせ森を抜けたころには全て、騎士殿の知らないことになるのだからね。

さあ、行こうか。

・・・帰りは、この森に長居をする羽目になったときのようにくずおれ転がらないように精々、剣の呪いに縋る事だな」


扉を放った魔女の表情は、雪に照らされて見えない。

ただその背を覆う黒髪だけが鮮やかに美しいと未だに思うだけだった。



-----------------------------


雪は未だに降りやまない。視界を覆う程でもないが、降りやむ気配もありそうにない。


――――そのことに安堵を覚えるべきなのか、焦燥すべきなのか?


意識は最早沈むのを待つばかりのようだ。これなら胸をかきむしらなくて済む。

やはり、この森の呪いに毒されていたのだ。

そうでなければこのように身も世もなく一人の魔女を、国の仇とされる魔性を、

尊敬して止まぬ師を待っているのだろう女を、こんなにも求めて焦がれ、使命を放り留まるなどという暴挙に及ぼうと考えるはずもない。


次の年、己がまだ生きていて、そしてまた彼女に出会うなら、こんな思いをしなければいいと切に願う。

その時は体調を万全にして、そうだ、教会の定める禊でも受けて行こうか。

この意志が森を出ても保てていればいいのだが。


「よし、もう十歩も歩けば結界の外だ。

寄り道をせず直ぐにジャンへ報告に行くのだぞ」


最後まで子供のような扱いは変わらなかったことが腹立たしくむず痒い。

しかし己は上手く己を殺せていたのだと思うと誇らしくも思えた。

彼女の評した己は、“優しい騎士殿”は、守れたのだから。

これで、良かったのだろう。


――――本当に?


「……ごに、」


「うん?」


「最後にひとつだけ、いいだろうか」


頭が重い。もう、思考がおぼつかない。

呪いからは離れているはずなのに、胸中から聞こえる自分の声が酷く重い。

離れがたいと泣く幼子のように胸がざわつく。取り返しのつかない過ちを選んでしまったように。


魔女殿は少しばかり思案するように沈黙し、やがて苦笑のように眼をわずかに細めて見せた。


「その言葉にはあまりいい過去がないが……これも一興なのだろうね。

どうぞ」


言いたいことは別だった。だから、言うべき言葉は見つからなかった。

故に口からこぼれたのは何の変哲もない、何の意味もなさないものだった。


「……もう雪に埋もれて寝るなんて、しないでほしい」


魔女は笑いはしなかった。ただ、その美しい黄金瞳を瞬いて驚いてみせた。

ああ、もうこれが最後なのだ。次に会う時、己は、この黄金瞳を嫌悪と侮蔑を以て迎えるのだろうか。

否、出会ってしまえばきっと、己は何度でも繰り返すのだろう。

否、もう何度も、出会っているのかもしれない。その度に俺は、忘れていたのかもしれない。

ならばいま一度くらい言えばよかったのだろうか。

口に出して、美しい色の瞳だ、と。あなたに焦がれていたのだと。

本当は怪我など古傷で、あなたが痛ましげな顔をすることはなかったのだと。

……言えるわけがない。己は、彼女の評した自分を守るのに必死になった臆病者だ。

何よりも今さらで女々しい手だ。そんなことは、できない。


――彼女は、あんなに苦しんでいるのに。


己の願いに、黒髪の魔性と呼ばれた娘は、何も言わなかった。

ただ、静かに背中を押される。

片足に触れる温度が違う。もう一歩を踏み出せば、結界の外なのだ。

己が生きていくべき、世界。

己の恋した女のいない、世界。


――――また、彼女のいない世界で、俺は一年を削る。


「魔女殿、」


本当は、そんな呼び方などしたくなかった。


――――他の名前を知っている。


名前を尋ね、呼んで、己の名を呼ばれたかった。それが身勝手だと知っていても。


――――俺はそれを知っている。


彼女の傷にしかならないと解っていても。


――――傷なら抱えてくれると知っている。


けれど、この期に及んで言葉は出ない。己には許されていないことばかり。


――――許されていた。言葉はあった。

けれどまた、叶わない。


ああ、蜜が溶けていく。己は彼女を忘れる。

もう半歩で、

もう一瞬で、


――――忘れるものかと、まだ言えないまま。

森の雪が全てを覆う。


「騎士殿」


最後に見た魔女殿は、確かに微笑んでいた。

不器用に口角をあげたその表情を、耐えるように胸で組まれた両の手を、風に踊るその髪を、

知らない衣装を、見たことのない瞳の色を、泣きそうに笑うその別れを。

己は知っていた。


――――そう、俺は知っていた。

それでも。



「さて、どうしようか。ゆりかごでもあれば、別だがね」



――――そんな声を最後に、俺は、また、彼女を忘れて森を出る。




「××、26回目の誕生日、おめでとう」

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