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6回目の独り言(1)

「嘘でも本当でも良かったの。私にも誰にも残らなくても」

           ――――――狂魔女の6回目のひとりごと


男のために燃える暖炉から、ぱちぱちと薪が鳴る。

それを悲鳴のようだと捉えるべきか。安楽椅子で寛ぐ魔女ならば、拍手の音に譬えるだろうか。


男のために灯る炎が、魔女の輪郭を探し出す。

その姿を果たして夜の眷属と捉えるべきか。男にはいつからか、違うものに見えていたのだが。



……最早これまでである、と男は音を上げた。

もう、此処には居られない。

彼女のために?否、己の尊厳のために。彼女が好んだ己を守るために。

最早それは今となっては遠い姿であったから、取り繕うことも直にできなくなるだろう。

彼女へ向かう心を、得たい視線を、もうこれ以上は隠せない。

己は変わってしまったのだ。

あの災禍の日から時間を止めたこの場所で。

雪も、呪いも、彼女も変わらない。

ただ己だけが、変わってしまった。

そのために、もう此処には留まれぬと。


この無様が魔女の手管だったならどんなに良かっただろう。

俺をその瞳の糧にせんと惑わしているのなら、どんなにか。


――何が“騎士”だ。笑わせる。


嘲弄する声は己自身のものに他ならない。

それを呼気で殺し、いつからか癖になった掌を握り締める仕草に至る。

爪で皮膚を刺し痛みで正気を繋ぎ止めることが今の男には必要だった。

……奪えない女に手を伸ばすのは、無為なことだ。

だからすぐにでも離れなくてはいけない。彼女を想うなら。己を守るためには。

今やそれだけが男の拠り所となる理性であった。


「魔女殿、話がある」


振り絞ったその声に応えるように、魔女の頬に掛かる黒髪が揺れる。

男が待ち焦がれる瞳は見えない。

それでも彼女は読むでも無く膝に抱いた本の背表紙に落としていた視線を上げて、窓越しに外を見やる素振りに変えた。


男も束の間、視線を同じくするが、無論、何が変わったこともない。

呪いを抱えるかつて聖なる樹々であったものと、今以て絶えぬ怨嗟で明けぬ夜、それを覆うような雪景色。

それらは呪いを証明するものでもあり、呪いが浄化に向かっていることの証明でもある。

暢気にも美しいものだと零したとき、その白は骨の灰の色と魔女に聞いてからは暇つぶしに見ることもなくなった風景だ。

美しいものが事実、美しいものだけで出来ているとは限らないのだと語った表情を、覚えている。

だが、それを飽きることなく眺める魔女は、今もあえかに微笑んでいるのだろう。

いっそそれを悍ましいと思えたなら、どれだけ気が楽だったか。


自身はそのことに気付いていないだろうが、あることを想う時、魔女は表情をとり戻すのだ。

無表情と嘲笑を張り付けた『呪い雪の魔女』ではない、俺が生涯知ることのないであろう、唯一の名を持つ美しい女へ変貌する。

己はもう知っている。もう、知ってしまった。

それが何に向けた追想なのか。それがどれだけ遠く、強いものなのか。


――彼女にとってこの雪は、決して呪いではない。


「なんだい?騎士殿」


静かで穏やかな声は雪の降る音のようにささやかで、胸に積もる。

男はとうとう衝動を抑えるのに苦心した。

魔女はまだこちらを見ない。

こんなことは無かった。

時折、想いを馳せることはあっても、呼びかけに応える時には彼女は真っ直ぐに此方を見ていた。

だが今、魔女は、自分の声に応えながらも、こちらを見ない。

愛すべき誰かを、この雪に想いながら、己に応えたのだ。

そのことが男の動揺を大きくした。


此方を見てほしい、と男は望む。

これが『人間と魔女を隔てる境界線』を示す新たな手段だとしたら、今までで一番効果的で残酷だ。


……もしや、この心を知られてしまったのだろうか。

そしてこれが、その答えなのでは。


――心が悟られているというなら、いっそ、抱きしめて想いを口に出し、そのまま奪ってしまおうかと思っている己の心まで見透かせばいいものを。

そして狼狽すればいい。真意を測ろうと俺を試せばいい。

心臓などないと嗤ったそのくちびるで俺の想いに応えるように名を呼んで、

雪と共に眠るのだと閉じた瞼を開いて俺を見てくれればいいのに。


彼女は、教会が示す“森を呪った災禍の雪”でも、詩人が歌う“騎士に封じられ眠る蜜飼いの罪の容”でもない。


闇のような漆黒の髪に月のような黄金瞳、魔の証たるその容姿にそぐわぬ彼女の振る舞いは惑乱を過ぎれば愛しいだけだ。

だが今は白く儚いうなじ以外には何も見えやしない。

薄い背中すら、薄氷じみて暖炉にも溶けずに温度を拒んでいた。

魔女となど、呼ぶべきではない女だ。しかし魔女と呼ぶことしか己には許されていない。

名は呼べず、明かされない。

それが己と魔女の暗黙だった。

だから、”騎士殿”と彼女が呼ぶ存在でなくなれば、俺はもう傍にはいられない。


ぎり、と拳が鳴るのが解る。ああ、本当に、もう、一刻の猶予もない。


「・・・俺は」


声が引き攣れた。


「此処を、」


――彼女はきっと引き止めない。彼女は自分を逃がすだろう。


言葉が止まった。


――いいのか?本当に?


黙れ。いいに決まっている。彼女の思いを俺が踏みにじることなどあってはならない。


――彼女は既に裏切られている。お前が癒せばいいだろう?

お前が奪ってやればいい。彼女はお前を嫌ってはいない。

彼女にあんな表情をさせるばかりの輩のことなど忘れさせてしまえばいいではないか?


煩い。魔女は今も想っている。約束を守るためにたった独りで待っている。

それを己の欲で汚してなるものか。


――すでに汚しているだろう?

何度妄想にふけった。何度彼女の黒髪を梳く夢を見た。彼女は俺のものだと彼女を占める存在に吠えた。

いまさら彼女の夢のままでいられるとでも?彼女の言った“優しい騎士殿”で居られると?

今この瞬間もその身体を抱きすくめて閉じ込めてしまいたいくせに!

痛みで抑える己に魔女が気づき、手当てをすればいいと思っているくせに!

お前は彼女を


「森を、出ていこうと思う」


内なる声がこれ以上聞こえないように声を張り上げた。張り上げたつもりが、叫びにはならなかった。

声が震えなかったことだけが救いだろうか。


「役目を、正しく遂げなければ」


白々しく続いた責務は掲げるには脆すぎた。

だから言葉を重ねては足場を無くしていく。


「幾らこの森に時間がないとは言っても、いつかは戻らなくてはいけなかったのだから」


彼女が終始「薬師の役目だ」と言っていたことに対する意趣返しのつもりだろうか。


「怪我も良くなった。覚悟も出来た」


いつからか身に巣食う己のなかで叫ぶ何かのことなどおくびにも出さずに、薄い言葉で本音を覆う。


「あなたがよければ、今日。ここを発ちたい」


・・・ああ、ここまで来て自分以外に決定権を乞う女々しい自分に、反吐が出る。





やがて薪が鳴る間を縫うように、魔女はぽつりと、「そうか」と言った。やはりこちらを見ないまま。

静かで冷えたその声は、必要な闇のようだった。

出会った頃と変わらない、こんな時ですら変わってはくれなかった玲瓏とした声。

今となっては己の胸を刺す棘でしかないのに、どうしても惹かれてやまないのだから始末が負えない。


「では、土産に呪いでも掛けようか。

・・・帰っても、怪我をしなくなるような」


誤解を招くような言い回し、間を空けてから慎重に語られる意図の補足。

その不器用は常ならば男を和ませるものだった。

言葉の不足しがちな魔女ではあったが、偽悪的ではあるものの悪人ではないことを男はもう知っている。

己の為に言葉を尽くしていることも、また。

自分は彼女を知りすぎてしまった。近づきすぎてしまった。


――出会うべきでは、なかったのだろうか。


どうしても切ない痛みに駆られて、振り払うように窓を見た。魔女が見ている景色。雪の降る静かな森。


同じ景色を見ていても、想う面影は違うのだ。


己は、彼女を。

彼女は、師を。


想う面影が違うのに、同じ景色は見ていられない。


――それでも雪は、まだ止む気配が無い。

己を留めるように、彼女を留める為に。


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