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夜の都  作者: 水澤しょう
8/37

夜の拾得物 ~8~

 ライアン=スペンサー殿


 一月二日、夜。貴宅の宝を頂きに参上す。


                 ベル


 *


 宝、というのは、宝石に替えられたスペンサーの財産。

 そしてアルは、その隠し場所を知っている。


「絵にな、絵の裏にな。穴、穴があるんだよ。隠し穴」


 ……本人が『アンナの家』で友人に公言していたから。泥酔した様子で。


「しっ、スペンサーさん。誰に聞こえるかわかりませんぞ」

「構わんよ、こんな安っぽい店にいる連中だ。大した者はいるまい」


 途端に、他の客も含め、店内が殺気立った。ちょうどダニエルが厨房の入口扉を開けていたこともあり、ウエイター以外の従業員にも丸聞こえだった。


「はあ?」

「あん?」

「なんだと?」

「もっかい言ってみろ」

「『安い』憶えはあっても『安っぽい』憶えは指の先ほどもねーぞ」

「舐めんなよ」

「店長に謝りやがれ」


 とは、さすがに客に向かっては言えなかったが。

 へえ。アルは冷やかな眼差しで、スペンサーを見つめていた。

 そして決めたのだ。

 次はお前だ、と。


「……こっえ」


 仕事自体は、上手くいった。アルの外套の内ポケットには、きらびやかな宝石がひとつかみ入っている。


「ベルを逃がすな! 一帯を包囲しろ! 猫一匹通すんじゃない!」


 遥か後方で叫んだのは、すっかりお馴染みのアーノルド警視。実は『アンナの家』にも何度か来店している。聞き込みでも、プライベートでも。

 アルは裏路地に駈け込んだ。壁に寄りかかっていた孤児や娼婦が、なにごとかと思って瞠目する。


 ランソルトの裏路地は知り尽くしているつもりだ。次の角を曲がって、さらに細い道に入れば……。


「……嘘だろ」


 見事な、行き止まり。三方向を煉瓦の壁に囲まれた、真っ暗な空間。


「新しい建物か……!」


 そう言えば工事していた気がしないでもない。迂闊にも完全に忘れていた。


「この辺りだ!」


 近くでアーノルド警視の怒声が聞こえる。今、後ろに引き返すことは出来ない。かと言って、ここにいても確実に捕まってしまう。


 アルは天を仰いだ。イギリスの冬にしては珍しく雲が晴れており、三日月が穏やかに微笑んでいる。

 ……自分に翼があったなら。夢物語だとわかっていても、窮地に陥る度に、アルは考えてしまう。

 しかし、泥棒に翼はない。よって空は飛べないし、死後に天へ昇ることも出来るはずがない。


「……くそ」


 大勢の足音と、ランタンの光が近くなってきた。アルは溜め息を吐くと、歯を食いしばった。こうなったら、最後まで醜く足掻いてやろうか。

 よぎるのはふたりの顔。

 ひとりめは、コーディ。

 そして、ふたりめは――


「怪盗ベルだ!」

「!」


 裏路地のどこかで、甲高い声が響いた。

 それを筆頭に、様々な声が続く。


「こっちに来るぞ!」

「いえ、こっちだわ!」

「表通りに出たよ!」

「屋根を渡ってるぞ!」


 子供の声かと思えば、次には若い女性の声で叫ばれ、中には中年男性のがなり声もあった。

 そのでたらめな目撃情報が、市警らを混乱させていく。


「――通りを張れ! 絶対に逃がすな!」


 アーノルド警視が苛立った様子で指示を飛ばす。

 そうして裏路地を奔走していた市警らは、慌ただしく表通りへと去っていった。


 アルは呆気に取られながら、その一部始終を見て(否、音で聞いて)いた。

 行き止まりから恐る恐る顔を出す。辺りに人の気配はなかった。ただひとりを除いて。

 その小さな影は、すぐそこの壁に寄りかかって座り込んでいた。

 ボロではないが、上着一枚で震えている姿は、さながら孤児のようで、


「……なに、してるんだ」


 アルはゆっくりと、その影に歩み寄った。


「抜け出してきたのか」

「……」

「孤児院はこんな時間に外出許可をくれるところじゃないぞ。――トム」


 トムは黙って、睨むような目付きでアルを見つめていた。その表情は、どこか泣きそうにも見えて――


「一番初めは、お前の声だったな」


 アルは外套を脱ぐと、それでトムの身体を包んだ。



『怪盗ベルだ!』



「……ここら辺の人たちと、協力したんだ。怪盗ベルを……助けようって。みんな、怪盗ベルにお世話になったことあるから」

「そうか」


 すっと片手を上げると、トムは何を思ったのか、びくっと身体を震わせた。

 伸ばしっぱなしの黒髪に、優しく手を置く、クリスマスイブにはパサパサで汚れていた髪だが、コーディの世話の賜物か、年相応の艶を出している。


「ありがとう。助かった」

「……」


 白い頬に、一粒、二粒と水滴が落ちる。「うー……」とぐずる声とともに、トムはアルに手を伸ばした。

 アルはその身体を抱き上げると「よしよし」とあやすように、左右に軽く揺らしてみせた。

 トムは尚もぐずぐずと泣きながら、取り留めなく話し始めた。


「あの、ね……お兄さんに、も、一度……あ、会いたくって……」

「そうか」

「あ、ありがと、て、言いたかったの……助けてくれて……。お兄さん、あったかかったから……」

「……そうか」

「で、でね、お兄さん、強くてとっても優しいから……」

「……」


 アルは腕の中のトムをじっと見つめると、悲しそうに笑った。やめてくれ、という感情が、自分の中で再び叫びを上げる。


 強くなんか、ない。優しいなんて、以ての外。


「誰も……助けられたことなんてないよ」


 怪盗ベルは、誰ひとりとして救えたことなどない。

 それは裏路地の孤児にしろ、トムにしろ、コーディにしろ、過去の自分にしろ、だ。

 トムは手の甲で涙を拭いながら、小さく首を傾げた。


「助けられたよ?」

「……?」

「『お兄さん』に、僕は助けられたんだよ? 『怪盗ベル』じゃなくって」

 アルは目を見開いて、刹那、息をすることを忘れたように固まった。

 顔をくしゃくしゃにして泣き笑うトムが、無言で優しく語る。


 怪盗ベルには救えなかった人が、アルバート=ハックルベリーには救えるかもしれない。


「……」


 アルはふ、と微笑むと、腕の中のトムをぎゅうと抱きしめた。トムは驚いた様子で、わずかに身を固くする。


「お兄さん?」

「……トム」


 アルに救える人がいるということを教えてくれたのはトムだが、今この瞬間、アルの心を救ってくれたのは間違いなくトムだ。

 それこそ、あったかい言葉で――


「コーディは好きか?」

「え?」

「答えなさい」

「……コーディ先生は、優しくて好きだよ」

「俺のところに来るなら、あいつに懐いているのが絶対条件だ」

「! 好きだよ! 大好き!」


 黒い瞳を輝かせて見上げるトムは、ふと不思議そうに訊いてきた。


「でも、どうして?」


 トムを抱きかかえて歩き始めたアルは、当然だというように答えた。


「身内が自分と同じものを好きだと、なんか嬉しいだろ?」


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