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夜の都  作者: 水澤しょう
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夜の拾得物 ~6~

「シンデレラは舞踏会に出かけて、そこで王子様と踊って、嫉妬したふたりのお姉さんが毒りんごを……あれ、違ったっけな。そうだ、糸車の針がうんたらかんたらって……違う違う、また話飛んだな。そうそう、ガラスの靴を落っことすんだよ。夜十時を過ぎて急がなきゃいけなかったから。あん? 十二時だったか?」


 アルがつっかえる度に、コーディが焦れったそうに眉をひそめる。しかしトムは、その支離滅裂な物語にじっと聞き入っていた。

 別れ際にトムに挨拶しに行くと、彼は熱で苦しいのか、ぐずぐずと泣いていた。


 なにか欲しいものでもあるのかと思い、尋ねるとトムは、アルに傍にいてほしい、と駄々をこねた。

 それで仕方なくベッド脇の椅子に腰掛け、夜伽話でも、と思い立った次第である。


「――そんでもってシンデレラと王子様はお城で幸せに暮らしましたとさ、と。そんなところか。合ってるだろ、コーディ?」

「……話の骨格は合ってるけどね」


 一般教養というものとはほぼ無縁の人生を送ってきたアルにとって、子供にお伽草子を聞かせるのは、なかなかに骨が折れる作業だ。本当は童話集でもあった方がよかったのだが、コーディはそういう類の本は実家に置いてきたという。


「お兄さんのお話、面白かった」


 トムが心の底から嬉しそうに笑う。彼の中での『シンデレラ』がはちゃめちゃなまま定着する前に、正しいのをコーディに読み聞かせてもらった方がよさそうだ。


「気分は?」

「少しよくなったかも」

「そうか。なら、もう寝ろ」


 大分夜も更けてきたので寝かしつけようとすると、トムはいやいやと首を横に振った。


「夢がね」

「夢?」

「怖くて、気持ち悪い夢を見るんだ。眠ると」


 怖くて気持ち悪いものなら、裏路地で何遍も見てきただろうに。アルはかつて、酔っ払いに襲いかかられ、挙句の果てに自分の一張羅(「一番上等な服」ではなく「唯一持っている服」の方)に吐かれた経験を思い出した。あの時はさすがに泣いたと思う。


「それに、それにね」


 トムは不安げな表情でアルを見上げた。


「僕が眠ったら、お兄さん、帰っちゃうんでしょ?」


 う、と言葉に詰まる。そのつもりであったため、なんとも言ってやれない。

 そーっとコーディに振り返ると、彼女は仕方なさそうに肩を竦めただけだった。それを肯定と受け取ったアルは、トムに向き直ると、


「帰らないから」


 毛布の端から出ていた左手を、ぎゅっと握る。大人の男の手の大きさに驚いたのかトムがわずかに、黒い目を見開く。


「具合が悪いと嫌な夢を見るのは、よくあることだ。こうしていれば、多少は夢見もよくなるだろ」

「ずっとここにいる?」

「いるよ。今夜は」

「約束?」

「約束。約束するから、早く寝ろ」


 はっきりと伝えると、トムは柔らかな笑みを浮かべた。

 穏やかに笑う子だ、とアルは思った。裏路地で生活してきた割には、穏やかに、優しく笑う子供である。

 自分がこのくらいの年だった時、誰かに対してこんな風に笑ったことがあっただろうか?

 アルと同色の目が閉じられる。


「あなたも大概優しくない人ね」


 後ろのコーディが溜め息を吐く。


「それ以上懐かせたら、後が辛いわよ」


 わかっているのだ、そんなこと。

 タイムリミットは、トムが完全によくなるまで。

 恐らくは年明け。

 そこからは――


 *


「お兄さんとコーディ先生は、怪盗ベルって知ってる?」


 年明け三日前。大分元気になったトムが、居間のソファに座って話し出した。手にはコーディが実家から持ってきた絵本を持っており、服はアルがリード家で世話になっていた時の物を着ている。十歳の頃の物なので、少々ぶかぶかではあるが。


「……なに読んでるんだ?」


 ぎくりとしたアルは、暖炉の前から訊き返した。ここ最近はずっとコーディの家に泊まり込んでいたので、いつのまにかこの場所が定位置になっていた。


「えっとね……『せんちや物語』!」

「『せんちや物語』?」

「『千夜一夜物語』だよ」


 トムの横に座るコーディが、優しいトーンで訂正する。アルとトムとで喋り方を完全に使い分けているのだから、見事なものだ。


「そう、それ! 昨日コーディ先生が読んでくれたお話が面白かったの!」


 暖炉側に駈け寄ってきたトムが見せてきたのは、『アリババと四十人の盗賊』の最後のページだった。富豪となった主人公のアリババが、町人に金銭を分け与えている挿絵がある。トムに文字は追えないので、絵を見て楽しんでいるのだろう。


「怪盗ベルも、こうやってお金を分けてくれるんだ」


 尚も嬉しそうに、トムは続ける。


「僕たちが周りを囲むと、ちゃんとみんなに分けてくれるんだ。そのお金でね、僕はいっつもパンを買うんだ。あったかくて、ふわふわのパン。美味しいんだよ? それにね、これはピートっていう友達から聞いた話なんだけど、悪いおじさんたちに攫われそうになった時、怪盗ベルが助けてくれたんだって!」


 怪盗ベルはね、とトムは笑った。


「強くて、とっても優しいんだよ。僕もいつか怪盗ベルになりたいなあ」


 アルは静かに、トムが語るのを聞いていた。

 物言わぬアルに、首を傾げるトム。


「お兄さん?」

「……」


 やめてくれ。


 アルは切にそう願っていた。


 怪盗ベルは――自分は、強くなんかないし、優しいなんて以ての外だ。

 トムの買ったパンは、美味しかったかもしれない。あったかくてふわふわだったかもしれない。しかし、だ。

 トムはそれでいつも腹は一杯だったか? 安らかに寝つける寝床はあったか? 身体を温める暖炉はあったか?


 答えは、否だ。否だからこそ、あの夜のトムは、裏路地で凍えていたのだ。


「結局――」

「?」


 結局、誰も救うことなんて出来ていない。

 夜のランソルトを彷徨するだけの黒い影。

 心に棲まう少年が怒鳴りつける。


 この役立たず、と。……そしてその日も、少年に食事はない。


「…………お兄さん」


 物思いにふけるアルの横で、トムが意を決したように言った。


「僕を、お兄さんのところに置いてくれる?」


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