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夜の都  作者: 水澤しょう
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夜の拾得物 ~4~

「……お待たせしました」

「異様に速かったけど、なにかあったの?」

「速い分で心配されるのは初めてですね」


 アルはコーヒーを置くと、厨房の入口に振り返った。従業員のほとんどが、押し合うようにしながら顔を覗かせている。お前ら仕事しろ。


 コーディはテーブルについていた肘を下ろすと、コーヒーを一口啜った。それからアルを見上げると、


「今日なにか用事ある?」


 と尋ねた。厨房入口がさらにざわつくのが、肌で感じられた。


「お客様、もう少々声を落としてお話いただけますか」

「そんな他人様の迷惑になるような声量じゃないと思うけど」


 頼むから、と囁き声で懇願する。コーディも何となく事情を察したようで、声を低めた。


「用事があるなら、全部キャンセルしてほしいんだけど」

「急にどうしたんだよ? あのガキに何かあったのか?」

「トムが会いたがってる」

「は?」


 いきなり出てきた男性名に、アルは眉をひそめて記憶を引っ掻き回した。よくある名前なだけに、トムという知り合いは何人かいるが、どのトムもコーディと知り合いのはずがない。


「どのトムだ?」

「あなたが拾ってきたトムよ。目を覚まして、真っ先にあなたのことを呼んだわ。『お兄さん』って」


 あれの名前か、とアルは子供の顔を思い浮かべた。正直なところずっと心配していたが、目を覚ましたのならよかった。


「どんな様子だ?」

「今は薬を飲ませて寝てる。昼食は、意外なほどちゃんと食べたわ」

「具合が悪いから食べない、という考えは俺やそのトムには通用しない」


 なぜ? という目でコーディが首を傾げる。アルは当然のように言ってのけた。


「その瞬間を逃したら、次、いつ、物を食べられるかわからないからだ」

「……」


 コーディは申しわけなさそうに、ほんの少しだけ笑った。笑って、再びコーヒーを啜る。


「ごめんなさい。贅沢で、罰当たりな人間の考えだったわね」

「いいよ。世間一般ではそっちの方が正しいしな」


 別に気にしてない、と斜め下を見つめるアルの前で、コーディはごくごくとコーヒーを飲み干した。


「って速いな! 舌火傷するぞ」

「お父さんの許可で病院抜けてきてるの。なるべく早く戻りたいじゃない?」


 というわけで、と代金をテーブルに置き、コートを着込むコーディ。


「今日は早く帰ってきてちょうだいね」


 割かしはっきりとした口調のせいで、その新妻のような台詞は、


「なぬ――っ!?」


 厨房入口まで、しっかり届いていた。アルは痛む頭を押さえる。ほんとにみんな、勘弁してくれ。


 *


「さあ吐け」


 コーディを見送ってから、食器を下げて厨房に戻ると、案の定他の従業員に取り囲まれた。アルはげんなりとしながら訊き返す。


「なにを?」

「すっとぼけんじゃねえ!」

「てっめ俺たちの知らないところで何してんだよ!」

「なにをどう誤解しているのか知らないが、別にあいつとはそういう関係じゃないぞ」

「嘘吐けぃ!」


 大家族出身のフレッドがビシッと指を差す。


「俺は親父とおふくろと四人の弟と三人の妹に『早く帰ってこい』と言われたことはあっても、恋人からは一回もない! なぜならいたことないからだ! 羨ましいぞチクショー!」

「いや、知らねえよ! 努力しろよ! ってかコーディは、こ、恋人なんかじゃねえ!」


 かつてそうであったことは、伏せておいた方がいいだろう。あまつさえ自分が傷付けて別れたことが知れた日には確実に殺される。ここは厨房で、ちょうど凶器はあるわけだし。


「じゃあどういう関係なんだよ! つーかあの人はどこの誰だ!」

「幼なじみのコーディリア=リードだよ。リード医師の娘!」

「リード医師? お前、逆タマ狙ってんのか!」

「ふ……」


 誰かの言った一言で、アルの堪忍袋の緒が切れた。


「ざっけんじゃねえ! 誰がそんなせこいこと考えるか舐めんなよこのやろー!」

「お客さんに聞こえますよ、あなたたち」


 その時、店の二階からアンナが下りてきた。


「男の子の多い職場は騒がしくなりやすくていけませんね。今度女の子限定で働き手を募集しますか? その方がみなさんも引き締まりますし、華やかになるでしょう?」


 一瞬色めき立つ男どもを「でも」とアンナが視線で冷ます。


「あまりに元気がよすぎて、女の子の働きたいと思える職場ではありませんね」


 頭を垂れ、すごすごと持ち場に戻る従業員たちの中、アンナはアルを呼び止めた。


「二階の窓から見えたのだけど、いらっしゃってすぐにお帰りになられた、あの利発そうな女性は、コーディさんかしら?」

「すぐ帰ったって言っても、あれで一応コーヒー頼んで飲んでいったんですが」


 アルは『アンナの家』史上に残る給仕速度を思い出して苦笑した。


「く~っ! アル先輩は品切れですって言えばよかった!」


 ダニエルが悔しそうに歯噛みしながら、水を片手に厨房を出ていく。客のお冷を注ぎに行ったのだ。

 もし彼が動揺せず、今の通りに対応していたとすれば、コーディは一も二もなく帰っていたことだろう。時間の無駄が一番嫌いな女だ。アルがいないことを知ったら、他に欲しいものはなかったはずだ。


 ……エスプレッソコーヒーを頼んでいっただけでも、お礼を言っておかなければ。


「立派な淑女になられたものねえ。最後にお目もじかなった時には、まだ十六そこらの頃だったかしら」


 アンナが過去を思い出しながら嬉しそうに言う。六年前。自分もガキで、コーディもガキだった。確か、初めて怪盗ベルとして盗みを働いたのも、その頃だった。


「ね、またいらしてもらってちょうだい。私もお話したいし」

「どうでしょう。あいつも医者見習いとして忙しいですから」


 アルは曖昧に笑うと、ダニエルと同じく、厨房を去っていった。


 コーディの来店によって、いろいろとごたついた『アンナの家』だが、アルはひとつだけ、心に誓った。

 

 今日は絶対に、残業しない。

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