番外編 Dance Dance Dance!! ~5~
「アル、アル」
七番街を早足で歩くアルに腕を引かれたコーディは、ヒールを履いた足に少々限界を感じ――ついでにアルにいつもと違う雰囲気を感じ――一度止まろうとその場に足を踏ん張った。
「足が痛くなるわ。それと、今日どうしたの?」
「……」
アルはゆっくり振り返ったかと思うと、急にずいっと顔を寄せてきた。
「なな、な、なに?」
一歩後ろに引こうとして、つかまれたままの腕があったのを思い出す。多少乱暴につかまれても嫌じゃないのは、相手がアルだからこそ。
「アル?」
「……」
夜空のような、瞳。目も髪も色素が濃い彼は、女の自分より肌が白く見える。みんなあまり気付いてくれないけど、彼は美男子だ。
アルはじっとコーディを見つめていたが、ある瞬間を境に、ふ、と笑みをこぼし、
「今日のお前、なんか可愛いな」
と普段なら口が裂けても言わないようなことをのたもうてきた。
「……アル、酔ってるのかしら?」
「そうっぽい」
「さっき踊り終わった後に飲んだあの水、一口飲んだけど、変な味がしたわ。あれお酒だったのね」
「そうっぽい」
「同じことくり返してないで」
今度はコーディがアルの手を引いて歩き出す。先ほどの飲み物がお酒なら、相当な勢いで二杯近く飲んでいたことになる。自分の家に着いたら、水の一杯でも飲ませてやらなければならない。
「悪かったな、コーディ」
後ろのアルが、少しばかり舌っ足らずな発音で謝った。
「なにが」
「あそこにいた他のどの男より、かっこ悪かったな、俺」
「……そんなことない」
わずかに歩くスピードを速める。ヒールを履いた足が悲鳴を上げた。
「いや、ある。夜会服には着られてるし、踊りは下手くそだし、帰り方も不躾だし――あ、あれはあれ以外に思いつかなかったから許せよ」
「だから、そんなことないってば」
「肩書きも持ってないしなあ……あの坊ちゃん、どこの奴だよ? 裏路地出身のウエイターよかいい肩書き持ってるんだろ?」
「そんなことどうだっていいでしょ!」
前を向いたまま怒鳴る。すぐそばにランソルト市警本部が見えてきて、コーディは唇を噛みしめて目を伏せた。
「……ごめん、いろいろ自棄になってた。忘れてくれ」
「……」
重苦しい空気が、歩いてるふたりを包み込んだ。
有難い。これ以上アルがなにか言ったら、またなにか叫びそうな気がしていたのだ。淑女がそれではいけない。もっとも、自分が『淑女』なんて言葉が似合う日が来るなんて思えないけど。
リード邸の前までやってくる。
門を開けようとしたコーディの手を、アルがそっと重ねて止めた。
「……なに?」
「さっき、早めにあそこを抜け出したのは、」
その横顔は門の取っ手を見つめていて、感情のようなものは読み取れない。コーディは大人しく門から手を離した。
「別に旦那から『早めに帰ってこい』っていうお達しがあったわけじゃない」
「……なら、どうして?」
は、と自嘲気味に笑うアルは、酔いも相まってか、ぞっとするほど色っぽい。頬に赤みが差すのを感じる。晩秋の夜風に当たっているはずなのに、妙に熱かった。
「あの坊ちゃんとコーディが踊ってるのを見るのかと思ったら、半端なく気に食わなかっただけだよ」
嫉妬。とは醜いものとばかり思っていた。この瞬間までは。コーディは大きく目を見開いた後、緩やかに微笑む。
「アル、ダンスパーティーってそういうものよ?」
「なら俺は多分一生お前とダンスパーティとやらには行かない」
それはまた極端な話だ。思わず苦笑するコーディに、アルは妙に晴れ晴れとした笑顔で告げた。
「器の小さい彼氏で、悪いと思ってる。でもこういうところも含めて俺なんだと思ってくれたら、そんなに嬉しいことはない」
「……」
「下賤な生まれで、学もない。社交だって全然知らないから、コーディに恥をかかせることだってある。……こんな俺だけど、コーディに真剣に惚れてて――あれ、俺もしかしてすごい恥ずかしいこと言ってる?」
「言ってるよ、この酔っ払い」
コーディは俯きつつ、答えた。
「まあいいや。こんな俺だけど、コーディと全然釣り合ってないけど、これからも――」
「やめてよ」
「ん?」
「『こんな俺』とか『釣り合ってない』とか、あなたが言わないでよ!」
思わず大きな声が出る。ジェシカが叫んでも全く動じなかったアルが、初めて驚きを表した。
くしゃり、とコーディの顔がみっともなく歪む。こらえきれない涙が頬に転がり落ちた。この男の前で、こんなふうに泣く日が来るとは。
『コーディリアのボーイフレンドが道端育ちの孤児って本当かしら?』
『まあ、お下劣な出身なのね。コーディリアには釣り合わないのではなくって?』
『ううん、むしろお似合いなんじゃない』
『道端の孤児はスプーンの使い方を知らないというのは真実?』
今までそう言ってきた子たちは、全員敵に回してきた。それでよかった。でもアルは? アルがそう言った場合には、一体どうすればいい?
アルは下賤なんかじゃない。
アルは真実、意志が強くて、ちゃんと自分の考えを持っていて、誰にも媚びることなく、不遜に振る舞うこともなく、辛抱強く、情熱的で、時に誰よりも紳士的で、時に誰よりも野性的で、学はないけど賢くて、街のいろんなことを知っていて、強くて、優しい。
本当に、そういう高潔な奴なのだ。
一番下賤なのは、
「――アル、ごめんなさい」
一番、彼が孤児だったことを気にしているのは、
「私……」
他でもない、自分だったのだ。
「私、アルがみんなに孤児だって言われてるのを聞いて悔しくて……!」
「もう、もういいよ。喋るなって」
「そのまんまの……着飾ってないアルをみんなに見せてやりたくって!」
だから、彼にダンスの練習をするなと言ってしまったのだ。ダンスなんか出来なくても、アルは充分素敵な奴なのだと、みんなに言ってやりたくて。
そのままのアルで、勝負して。
それが彼に恥をかかせるかもしれないとは、考えもしなかった。
練習してきたアルの判断は正しかった。指導してくれたアンナも。ふたりとも、自分が幼くて強情張りなばかりに犯したミスを絶妙にフォローしてくれている。情けないことこの上ない。
「……コーディは、まんまの俺で勝負しろって言ったけど」
アルはコーディの頬に片手を添えると、ゆっくりと顔を上げさせた。再び、夜空色と視線が絡む。
「コーディのためにちょっとだけ頑張ってかっこつける俺は、まんまの俺に数えてもらえないか?」
「……」
酔っ払っているはずなのに、しっかり焦点の合った、真剣な目だった。
アルとコーディは、身長差があまりない。加えて今日はヒールのある靴を履いているので、身長がほとんど同じだ。そのせいか、顔がいやに近い。
涙をしぼり出すように、ぎゅっと目をつぶる。やがて、アルの吐息が間近に迫って――
ガチャリ、と玄関のドアが開いた。
「コーディ、そこにいるかい?」
瞬間、コーディは思いっきりアルを突き飛ばし、突き飛ばされたアルは後ろへと吹っ飛んだ。石畳へとその身を打ちつける。
「お、お父さん!?」
「なんだ、早く入ってくればよかったのに。アルが送ってきてくれたのかい?」
コーディの父、リード医師は門のところまでやってくると、地面に仰向けに倒れているアルを面白そうに見下ろした。確信犯か、この人。
「――あ、アル大丈夫!?」
コーディは急いで彼を助け起こすと、やや目を回しているアルの頬をぺちぺちと叩いた。
「ごめんなさい! 大丈夫? どこか痛む?」
「……ちょっと精神的に痛い」
「え?」
「や、なんでもない」
実の彼女にあと少しのところで突き飛ばされたアルは、背中を軽く払うと、立ち上がり、酔いを覚ますように顔を手で扇いだ。
「旦那、お久しぶりです」
「顔が赤いね。お酒でも飲んだのかい? お酒は判断力を鈍らせるからほどほどに」
「……はい」
暗に牽制をかけられたアルは一礼すると、じゃあ、とコーディに片手を挙げた。
「俺はこれで。疲れてるだろうから早めに寝ろよ」
「帰っちゃうの?」
「判断力鈍ってるらしいからな」
皮肉げに言うアルは、そのまま手を振って、自らの家路に着いた。
しばらく歩いてから、コーディがねえ! と呼んだ。振り返ったアルに、コーディは問う。
「また、踊れるかしら?」
唐突な質問だが、アルは面倒くさがらずに答える。
「ダンスパーティーはもう嫌だぞ」
「それ以外でいいから」
「機会があればな」
ダンスパーティー以外で機会があるのかどうかは謎だが、約束を取り付けられたことにコーディは安堵を覚える。
「――今日あなたと踊れて、すごく嬉しかった!」
楽しかった、ではなく、嬉しかった。コーディなりの精一杯の愛の告白に、奴が気付いたかどうかはわからない。
ただ、驚くほど優しげに笑ったアルは、一言おやすみ、と告げて、夜の街へと消えていったのであった。
「なにか嬉しいことでもあったのかい?」
リード医師の問いに、コーディは微笑むばかりで、なにも答えなかった。
十六歳の、まだなにも知らなかった頃のコーディの話である。
〈fin〉
待ってくれすぎて首を痛めてしまわれたという我がリア友殿に捧ぐ。
一応ここで完結扱いとさせていただきます!
もしかしたらまたアルたちで遊ぶかもしれませんが、それはまた別の機会に。
お読みいただき、誠にありがとうございました!
水澤しょう




