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夜の都  作者: 水澤しょう
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番外編 Dance Dance Dance!! ~3~

 広間が凍りつく。女子のリーダー格ジェシカの彼氏、それも一学年上の先輩に向かって、無知だと罵ったも同然なのだから。


 しかし、コーディにとってそれは、あって当然の知識なのだ。


 あいつなら知っているのにな。


「それにね、ジェシカ」


 彼氏を侮辱され、ものすごい形相のジェシカに向き直る。


「美味しいお食事もいいけれど、愛しの殿方に淹れてもらうコーヒーの味もまた格別だと思うわよ。彼はあなたの好みを知ってらっしゃるかしら?」

「コーディリア、あなたね……」

「まあまあ」


 激昂するジェシカを、侮辱された本人が宥める。


「みんな待ちくたびれているよ。そろそろ始めようじゃないか」

「……わかったわ」


 彼女よりも精神年齢の高い彼氏で本当によかった。コーディは心底ほっとする。ちらりと野次馬に目を向けると、ジェシカのお局ぶりが気に食わない女子が何人か、音が鳴らないように拍手をしていた。


 胸がすくような思いのまま、コーディは壁際に寄る。


 やがて蓄音機から軽やかな音楽が流れ出した。


 *


 パーティーの中盤に差しかかってもアルは現れず、コーディは華やかなだけの会合に疲れて退屈してきてしまった。


 アルのことだから何かの拍子に約束を忘れることもないだろうし、道に迷うことだって有り得ない。ここは、仕事が長引いたと考えるのが自然だろう。


「……大丈夫よね」


 夜風に当たるべく、バルコニーに出る。すぐそこに広々とした庭があり、植えてある白薔薇に手が届きそうだった。

 手すりに寄りかかって、夜空を見上げる。生憎の曇りで星はなかったが、秋の風が冷たくて気持ちいい。


 学校のダンスクラブに所属しているカップルが大技を披露したのか、後ろで歓声が響く。

 社交ダンスなら授業でやっているため、コーディもある程度は踊れる。残念ながらアルは踊れないが、機会があったら教えてあげるのもいいかもしれない。


 ……いや、やっぱりあいつはダンスっていう柄じゃない。ホール内で脚力を使うくらいなら、アルはきっと散歩に出かける。そういえばここ最近、アルとゆっくり散歩していない。寒くなる前に、一度誘ってみようか。


「こんなに道を歩いているのが似合う男子も、なかなかいないわよね」


 薔薇を見つめて苦笑する。学校に行っていないゆえに、少々浮世離れしたところのある想い人だが、コーディはそんな彼の一面も好きだ。


「……アル」


 夜会服に身を包んだアルが、今宵どんな表情を見せてくれるのか。どんな風にみんなに魅せてくれるのか。コーディは楽しみでしょうがない。

 思わずこぼした名前を、彼は聞き逃してくれなかった。


「アル……アルバートかな。それともアルフレッド? どちらも王族の名前だね」


 バッと振り返ると、バルコニーのガラス扉を背にエリオットが立っていた。


「その男が、優等生と名高いコーディリアを夢中にさせているわけだ」

「……」


 先ほどとは違う瞳の輝きに、コーディは思わず身構える。公で恥をかかせたことが効きすぎたか。


「よほど素敵な人なんだろうね」

「……」

「その人はランソルトの街並をよく知っている」

「ジェシカから彼の悪口を聞いてるのね」

「君の悪口と言えば、その道端育ちの彼の話だからね」


 本気で舌打ちしたくなる。あの女。アルは関係ないでしょうがアルは!


「まあ、つまり他に悪口の種が見つからないんだろうね」


 エリオットが一歩ずつ、ゆっくりと近付いてくる。顔を覗き込むために屈んでいる様子が背の高さを誇示しているようで、少々嫌みっぽい。


「医者の家系ゆえに成績はいいし、教師陣からの評価も高い。容姿にも申し分ないしね」


 後ろにはもう逃げられない。袋の鼠状態のコーディは、強い瞳でエリオットを睨んでいた。それにも関わらず、エリオットは余裕の笑みを浮かべていた。


「気が強いところも魅力的だと思うよ」


 片側で緩く編んだ金茶髪の毛先を持ち上げられる。コーディはびくっと身体を震わせた。本当にやめてほしい。アルにしか触ってほしくない。


「……例の彼氏には、もったいないね」


 瞬間、コーディの平手が飛んだ。それを片手で軽く受け止めたのだから、武道の心得があるのは本当だったのだろう。


「はは、噂通りだ。想い人を悪く言う人間には容赦がない」

「離して、そして一発殴らせて」


 コーディは歯ぎしりすると、エリオットの手から逃れようともがいた。


「殴らせろって言われてもね……」

「あなたに何がわかるのかしら。これから来る予定のアルは、あなたより背は低いし学校にも行ってないけれど、ずっと前に自立しているし、働いてるし、人を気遣えるし、誰よりも私のことをわかってくれるし、女子にこんな風な迫り方をしないわ。アルは……」



 暗い裏路地。傷付けられた額の下の、どこか傷付いた瞳。あの瞬間に、コーディはいろんな意味でひとめぼれしたのだろうと、今ならわかる。



「――私が、見つけた」

「……」


 手首を握りしめる力が強くなり、不本意にも「つぅ……!」と声が漏れる。


 エリオットの顔が近付いてくる。コーディは恐怖を感じて、目をぎゅっとつぶった。


 その時、耳の横を、何か大きなものが通った。空気の流れによって生じた風を感じる。


「は」


 思わず息を吐き出す。それは庭からバルコニーに飛び込んでくると、コーディの横に着地し、エリオットの前に立ち塞がった。といっても、向こうの方が上背があるので、塞げているわけではないが。


 ちょっと夜会服に着られてる感が否めない後ろ姿は、見慣れた黒髪に、見慣れた肩の線。


 がたいのいいエリオットにまったく臆することなく、睨みつけるその彼は、


「ア――」

「女性の腕を無作法に取るな、と俺は習った」


 普段よりずっと低い声で、自分より明らかに紳士に見える青年に忠告した。


 安っぽい恋愛小説かよ、このタイミング。妙なところに感動しながら、コーディはその後ろ姿を見つめていた。


 まあ、自分にとっては安っぽいくらいがちょうどいいのかもしれないが。


「アル」

「悪い、仕事が長引いた。でも入口を間違えたわけじゃない」


 そんなことはわかっている。

 アルはエリオットを睨みつけたまま、


「それとも何か? 世間ではそういうのが紳士様の対応として正しくなってるのか?」

「君が例の彼か――」


 エリオットはどこか品定めするような視線で、アルを上から下まで見回した。


「コーディリアの彼氏と聞いたから、どんな人物かと思えば、これはこれは」

「アルバート=ハックルベリー。正真正銘、こいつの幼なじみでちゃんと彼氏だ。文句あるか」

「いや、そういうわけではないよ」

「エリオット? コーディリア?」


 その時、バルコニーの硝子扉が開け放たれて、主役のジェシカが顔を覗かせた。殿方が女子とふたりきりになった上に遅くなって心配したらしい。


「あら――あなたは」

「お招き預かり大変光栄です。アルバート=ハックルベリー、コーディリアの同伴者です」


 見知らぬ少年の存在に眉をひそめたジェシカに、アルは急に態度を改めた。それも、コーディですら見たことのないような丁重さで。誰に教えてもらったのだろう。マークもローズも、公の場所においての礼儀作法はそこまで教え込んでいないはずだ。


 もっと常識や礼儀のない人間だと予想していたのか、ジェシカも呆気に取られて、やや背の低いその少年を見つめていた。


「正面玄関以外からの侵入するという無礼をお許しください。コーディの同伴者として、彼女の緊急事態に駆けつけるのは道理だと思いまして」

「緊急事態って……」


 事情を察したのか、一瞬きつい目でジェシカがエリオットを睨む。彼は何でもなさそうに肩を竦めただけだった。それが気に食わなかったのか、ジェシカは腹いせのようにコーディに怒りの矛先を向けた。


「……まあ、素敵な殿方ね。この彼が、ランソルトの通りの表から裏まで詳しいという人?」


 表から裏までというのは余計だ。裏路地の孤児だと言いたいのか。

 出会って早々に侮辱されたにも関わらず、アルは涼しい表情を崩さない。


「コーディがいつもお世話になってます」

「こちらこそ。いつも彼女からはお話は聞いてるわ。たとえば……」


 ジェシカの表情が意地悪そうに歪む。


「そうねえ……知り合ったばかりの時に、皿から直接スープを飲み下した話とか。はしたなくてびっくりしたと、コーディ自身がおっしゃってましたわよ?」

「なっ……!」


 思わず声を上げかける。そんなことは言ってない。いや、スープの件は仲のいい子たちに何とはなしに言ったこともある。でも、驚いてもそれを卑しいと思ったりはしなかったし、アルはスプーンの使い方を知らなかったのだから仕方がないではないか。


「あなたね……!」

「コーディ」


 言い返そうとしたら、アルに手で制された。違うのよ、と目で訴える。誤解されたままなのは嫌だった。


 わかってる、とアルは小声で告げた。そして、


「随分と昔の話ですので。今現在はそのようなことはありません」

「あら、そうですの。では――」


 ジェシカが手でホールを指し示す。


「彼女と一曲、いかがかしら?」

「だ――」

「喜んで」


 なに言ってんのこいつ。信じられないような思いでアルを見る。だめに決まってるでしょう。だってあなた、踊れるわけ――


「簡単なダンスでよろしければ」



 焦るコーディとは真反対に、アルは真っすぐジェシカを見据えていた。

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