アルの守れなかった約束 ~13~
コーディは……ちょっとびっくりして、花束をぎゅうと抱きかかえたまま、呆けたようにアルを見つめていた。
そして、
「えっ」
俯き加減に涙をこぼした。アルが慌てて宥めすかす。彼の前でこんな風に泣くのは、いつ以来だろうか。
「なに泣いてんだよ! どっか痛いのか?」
「……バカね、人間は痛い時と悲しい時以外にも泣くことがあるのよ」
「怒ってる時とか眠い時とかか?」
「今それ言う?」
目の前の女性を泣かせても尚、通常運転な青年に、仕方なくなって笑みをこぼす。笑いながら泣く、という感情が、彼にわかるかどうかは不明だが。
「……わけわかんない表情してんな。なんで笑ってんだよ」
やはりわからなかったようだ。残念だが、厳しい世界で幼少期を過ごしてきた彼には、少々わかりづらいのかもしれない。
「そのうち、あなたにもわかるようになるんじゃない?」
不敵に笑って、少し爪先立ちになる。アルとはあまり身長差がないから、
「な……!」
本人が気付くより先に、頬にキス出来るのだ。
「お前な!」
「頬の上のキスは満足感のキス」
「なんだそれ」
「知らないの?」
知らなくて当然だ。これでアルが知ってたら、ちょっとびっくりする。でも、コーディはいたずらにそう言わずにはいられなかった。
「今日はほんとにありがとうっていう印なのよ」
「はあ……そうか」
首を傾げるアルに、コーディは未来の約束を取り付ける。
「また来年も、アルがこういう風に祝ってくれる?」
あたぼう、もしくは仕方ねーなおい、と了承してくれると思った。しかしアルは、きゅっと唇を引き結んで、切なげに顔を歪めただけだった。
黒い瞳に、自分が映りこんでいるのが見える。コーディは目を逸らさず、彼の返答を待った。
「……ずっと前にも、こんな風にお前に訊かれたことがあったな。その時はクリスマスだったけど」
「……」
「これから先も、クリスマスは一緒にいられるか――そう訊かれて、安易に頷いた。でも十八の時に、その約束を破った」
ああ、とコーディは急速に頭が冴えていくのがわかった。そうだ。あれがアルの、守れなかったふたつめの約束だ。
ひとつめは『絶対に死ぬな』ということ。これは未遂に終わったが、あの時コーディが心配して裏路地へ探しに行かなければ、アルは確実に死んでいたことだろう。
そしてふたつめが、今言ったことだ。アルはその晩、自分より富豪の宝を望んだのだ。
彼なりに罪悪感を感じたのか、それ以降は盗みを働く時に予告状を出すようになったそうだが、コーディの心がそれで癒えるはずもなく。
今、俺はお前を一番に大事に出来ない。
その言葉ひとつで別れを告げられたコーディの気持ちが、アルにわかるだろうか?
「だから俺は、お前との間で簡単に約束事は出来ない」
悪い、と謝るアル。だがコーディには、昔のように、彼を責めたてるような気持ちは起こらなかった。
それがアルの――怪盗ベルの、生き方なのだから。そしてコーディは、そう割り切れるほどには、ちゃんと大人になっているようだった。
「でも俺は」
アルは真っすぐコーディを見据えると、はっきりと告げた。
「出来る限り、祝えたらいいと思ってる。……この先も」
「……」
この先がどのくらい先なのかはわからないが、コーディにとっては小さな問題である。彼が祝いたいという意志を持ってくれている。その事実で、今年は充分だ。
充分――幸せだ。
「――おい?」
*
花束が潰れないように片手で持ちながら、もう片手でコーディの身体を支える。急に倒れ込んできたので、アルは対処しきれず、一旦しゃがみ込んでしまった。
「コーディ? コーディ!」
「君はコーディと飲み交わしたことはないのかい?」
第三者の声に顔を向けると、店の扉の前に彼女の従兄が立っていた。心なしか、アルに対して厳しい視線を投げている。
「ルー……」
「彼女はあまり酒には強くない。注意して見てないと飲みすぎてしまう。知っていながらあの坊やとのお喋りにふけってしまった、僕の落ち度だ」
そう言いながら、深い眠りに就いた従妹に歩み寄り、背中と膝の下に手を添える。
「なにすんだよ」
「なにって、彼女の実家まで送っていこうと思ってるんだよ。もう会計も済ましたしね。君はまだ片付けがあるだろう?」
「……」
言い返せない自分が恨めしい。
「心配しなくても、彼女は酔うと記憶が飛ぶ方だから、君が守れなかった約束について再びぎくしゃくするようなことはないから安心してくれたまえ」
「そりゃよかったよ」
「ちなみに君にキスしたことも憶えてないはずだから、それでお互いに意識するようになることはないと思っていいよ。残念だったね」
「誰が!」
噛みつくアルに、ルーファスは冷たい笑みを向ける。
「僕は君が信頼に値する男だとはまだ思ってない。その男に、大事な大事な従妹を預けるわけにはいかない」
「別にお前に信頼されなくても結構だよ」
「そうかい?」
不敵に言ってのけるルーファスが、アルが持っている花束を顎でしゃくった。
「これか?」
「コーディのお腹の上に乗せて。彼女の実家に着いたら、花瓶に生けておくように頼んでおこう」
「そりゃどうも」
言われた通り、花束をコーディの腹の上に乗せておく。
「……『私はあなたにふさわしい』か。随分と自信ありげな言い分だな」
皮肉を込めて言うと、ルーファスは凪いだ表情で返す。
「まあね。でも『情熱』だけじゃどうにもならないことも、この世の中に多いと思うよ?」
「……」
「……」
傍に人がいたなら気付いただろう。
一瞬だけ飛び散った、まばゆい火花に。
*
くしゅん、とトムがくしゃみをして、アルの背中に温もりを求めて強くしがみついた。
「冷えるか」
「うん」
アルはトムを背負い直すと、家路を急いだ。こんな遅い時間までトムを外に連れていたのは、初めてだ。
明日は学校だ。早く寝かせないと、差し支えるかもしれない。
「アル」
「なんだ」
「帰ったら、寝る前にあったかい牛乳が飲みたい」
「わがまま言うな。早く寝ろ」
「……」
「……」
「……」
「……わかった。砂糖入りな」
「蜂蜜がいい」
「うちにそんな洒落たものは置いてない」
「コーディ先生は蜂蜜入れてくれたよ」
「俺のには砂糖を入れてくれた」
譲らないアルにぶうたれながらも、トムは納得した様子で首元にしがみついた。まだまだ冷える三月の晩には、互いの体温が有難い。
「そうか……コーディはお前に蜂蜜入りを渡したのか」
だとしたら、少し以外だ。自分とコーディは、奥方の作ってくれる砂糖入りで育ったと思い込んでいたから。
しかし、それは小さな違いだ。砂糖にしろ蜂蜜にしろ、どちらも確かな愛情で、アルとトムは幸いにも、然るべき時に然るべき愛情を受けて育っている。これは裏路地の子供にしては、とんでもない、奇跡に近い幸福なのだ。
だから、自分は今こうして生きている。
「トム」
「うん?」
「学校はどうだ?」
コーディがアルを救って、アルがトムを拾って、トムがそんな風に、また誰かを助けることが出来たら、アルの人生はそれだけで万々歳だ。
今はただ、生かさせてもらっている幸運を噛みしめながら、アルは歩み続けている。
「アルはお仕事どう?」
「ガキが余計な気ぃ回すな」
空には月が光っていた。
明日はまた、コーディにトムを預ける。
*
それ以来コーディが『アンナの家』を気に入ってしまい、かなり頻繁にやってくるようになってしまったのは別の話。
「どこっすか! コーディさんどこっすか!」
「ああ、今日もやっぱ可愛い……」
「誰が行く? 俺が注文取りに行っていい?」
「コックだろお前!」
「なあなあ、ほんとにどういう関係?」
「お前ら仕事しろ!」
一応本編終わりました。ちょいちょい番外編とか載せていけたらいいな、と思います。




