アルの守れなかった約束 ~12~
「それで? それで?」
「コーディの頼み通り、アルは彼女を街の表から裏まで案内して回ったんだよ。裏路地の現状を知りたい、というのが彼女のご要望だったけど、叔父さんや叔母さんからしたら危険極まりなかっただろうね」
「だからもうその話はいいだろうが!」
「なあなあアル、お前とコーディさんってほんとにどういう関係なわけ?」
「言いふらすつもりだろフレッド!」
ルーファスとトムを中心に盛り上がる男子会を微笑ましげに見つめながら、コーディは特製ケーキをちまちまと食べていた。他の方々はとっくに食べ終わったのだが、もったいなくてそんなに早く食べられないのがコーディの思うところである。一口食べては、ワインを一口。交互に食して、ちょうどいいペースだ。
「淑女が飲みすぎるのは、よろしくないわよ」
そこでアンナにボトルを回収される。コーディは自分よりずっと淑女らしいその老婦人を見上げた。アンナもケーキを手分けして食べたメンバーである。
「それに、酔うとせっかくの味がわからなくなるわ」
「……すみません」
椅子の座面に手を突き、深く頭を垂れる。確かに、普段あまり飲まない酒で酔ってしまったようだ。
「気分が悪いようなら、店頭で風に当たってらっしゃいな」
「ありがとうございます……あの」
「?」
自分と向かい合うように、空いた椅子に座るアンナ。コーディはふと訊いてみた。
「アンナさんは、どうしてアルを雇ったんですか?」
「……どうしてって、ねえ」
不意に遠い目をするアンナを、コーディは不躾ながら食い入るように見つめる。
アルは若いながらも、この店一番の古株のはずだ。先ほどそれを久々に聞いて、少し疑問に思ったのである。
「アンナさんにとってアルは……通院なさっていた病院の院長の子供のような存在でしかなかったと思います。それなのに、どうして?」
「……」
そう。アルとアンナは、もともと出会うはずもなかったふたりなのだ。
それなのにアルは「店を開くなら働かせてくれ」と頼み込み、アンナはそれを快く了承した。
「特に理由はないけれど……ねえ。私の店は、来るもの拒まずで、基本的に誰でも働けるようになってるし」
女の子はいないけどねえ、とおどけるアンナは、でも、とコーディに改まった。
「十年前から、アルは変わらず一本木で真っすぐな根性をしてる。最初にアルのような子供を開店メンバーに加えようと思った要因は、そこにあるのかしら」
「……」
「アルが持つ心根は、お金と欲がまみれたこの産業革命後のイギリスでは、とても貴重よ。そうは思わないかしら、コーディさん?」
「……ええ」
コーディは思わず小さく笑い声を漏らしながら頷いた。アンナが怪訝な顔をする。
「いえ、特に何かがおかしかったわけじゃないんですけど」
そうですね……と苦々しい学生時代のことを思い出しながら、コーディはアルを見やった。
「アルは、生まれが生まれなので、よく私の友達から陰で色々と言われてたんです。本人はまったく気にしてないようだったんですけど、私は悲しかったんです。『どうしてアルのことをろくに知りもしないでそんなことが言えるんだろう?』って。…………だから、アンナさんのように、彼のことを肯定してくれる意見を聞くと、とても嬉しいんです」
コーディの従兄のことを肯定してくれる人は、実質いくらでもいる。しかしアルは、短期間一緒にいるだけではいいところに気が付けないのかもしれない。
長らくアルと一緒にいるこの老婦人がアルのことを肯定してくれるのは、当たり前といえば当たり前なのだが、コーディはそれが嬉しかった。
幸せな溜め息を吐いた自分が、ちょっとお酒くさいことに羞恥を覚える。
アンナもにっこり微笑むと、コーディの手の上に自分の手を重ねた。
「彼は今、仲間に恵まれています。厨房ではいつも何かしら言い合っていても、みんなアルを信頼しているわ。そして、アルもみんなを信頼しているわ」
「……」
それを聞けて、よかった。コーディはおもむろに立ち上がると、軽く手で扇いで顔の熱を冷ました。
「酔いが回ったようなので、ちょっと店の外に出てきますね」
「お気を付けて」
騒ぐ男子たちには気付かれないよう、そっと入口扉を開ける。
そしてコーディは、夜のランソルトを仰ぎ見るのだった。
空には月が光っていた。
しん、とする通りで涼んでいると、後ろから乱暴に「おい」と声がかかった。声の主は振り返らずともわかる。もしかしたら横にトムもいるかもしれない。
「なにかしら? あんまり酔っ払いに絡むと、色々愚痴とか聞かせちゃうかもしれないわよ?」
トムの手前おどけて言うと、アルが不機嫌に咳払いした。どうしたのかと思って振り返ると、
「なら酔っ払いがひとりで道に出てんじゃねーよ。危なっかしい」
真っ赤な何かを放ってきた。慌てて受け止めると、芳醇な薔薇の香りが鼻をかすめた。
「……え?」
「二十二本。ちゃんとあるか数えとけ」
コーディは瞠目して、顔を背けるアルを繁々と見つめた。隣にトムはおらず、通りに出ているのはふたりだけだった。
そして一応数えてみると、それは確かに二十二本の紅薔薇の花束だった。青いリボンが装飾されている。
またまた彼にしてはあまりにも紳士的でロマンチックなサプライズに、コーディはちょっと吹き出してしまい、
「な、なんだよ!」
そこで怒り出すアルがまたおかしくて、しばらく笑いが止まらなかった。
「――ありがとう。ほんとに嬉しい」
「ったく……」
相変わらず不機嫌なアルに、コーディは再び口元を押さえる。
「……なんか、ごめんね。ケーキに花束――なんかいっぱいもらっちゃった」
しみじみと楽しかった今日を振り返るコーディに、アルから意外な指摘が飛ぶ。
「ケーキと花束は付属品に過ぎない」
「え?」
フレッドと花屋が聞いたら咽び泣きそうなことをさらりと言ってのけながら、アルはコーディに歩み寄った。
「――十二年前に、お前は言ったな。『ありがとう』という言葉はとても貴くて、一種魔法のようなものだ、と」
「……」
「憶えてなくてもいい。ただ、俺はその言葉に基づいて、お前に贈ろうと思ったんだよ。
『いつもありがとう』
『ハッピーバースデー』」
アルはようやく微笑んだ。




