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夜の都  作者: 水澤しょう
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アルの守れなかった約束 ~5~

「閉店後の店を貸してほしい……と。日曜に?」

「はい」


 翌日の木曜日。軽食屋『アンナの家』の二階で話し込んでいるのは、オーナーのアンナと、店一番の古株のアルだ。一階からは「バカお前それ洗剤だよ」と、フレッドのわけのわからない怒声が聞こえてくる。恐らくダニエル辺りが何かやらかしたのだろう。


「どうしてまた?」


 大きなデスクで手を組むアンナに、アルがはっきりと答える。


「個人的に迎えたい客がいるんです」

「あら……」


 アンナは妙に暖かい目で、アルを上から下まで眺め回した。聡い上司を持つと、こちらが気恥ずかしくて困る。


「まあ、余計な詮索はしないでおくわね」

「……必要がないでしょうからね」

「ひとりで調理から給仕までするの?」

「出来るだけそうしようとは思いますが、無理だと判断し次第、暇な野郎どもを募ります」

「そう。頑張ってね」


 なにを? と問うより早く、アンナは途中だった売り上げの計算作業に戻った。これ以上部下の私事に突っ込むことはないらしく、黙々と明細に数字を書き込み続ける。


「……」


 アルは失礼します、と一言告げると一階へ戻るべくアンナの机に背を向けた。


「あなたのその何にでも一生懸命なところ、私は高く買ってますからね」


 その際、後ろから飛んできた言葉に、ふと足を止める。


「それを忘れないでちょうだい」

「……」

「あと、女性には甘い物がおすすめよ」

「憶えておきます」


 アルはその両方に返事をすると、今度こそ一階に下っていった。


 一生懸命なのは、癖だ。アルは我ながらそう思っている。

 かつて、その日の命を繋ぐのも一生懸命な毎日を送っていたせいか、どこかしらで踏ん張っていないと、死ぬ、と身体が勘違いしているのかもしれない。


「アンナさんとのお話、なんだったんですかー?」


 厨房に戻って早々、ダニエルがトレーを脇に抱えて近付いてきた。アルはエプロンを着直しながら「まあな」と適当に誤魔化す。


「日曜の閉店後の店を貸切りたいんだと」

「フレッド!」


 その時、横のコックが余計な口を挟んできて、アルは噛みついた。


「貸切り? なんすかそれ面白そう!」

「お前は食いつくな!」


 絡んでくるダニエルから逃れるように、流しで皿洗いを始める。がしかし、横に皿拭き担当でダニエルが就いたため、またも質問攻めに遭う。正直どこかに行ってほしいが、彼自身が相当に便利なのでそれも叶わず。


「誰か特別なお客でも来るんですか?」

「特別でもねーよ。ただ、ちょっと祝い事に借りるだけだ」

「それってお誕生日とか?」

「……」


 いきなりの図星に、アルは深く溜め息を吐いた。あまり頭がいいわけではないが、妙に聡い部下を持つのも大変だ。


「わ、当たりですか! 誰ですか? もしかして女の人?」

「ダニエルよ、あまり先輩のプライベートを探るのはよくないぞ。それから私語は慎め」

「それ先輩が言っちゃいますか」


 一応厳しい声音で注意すると、ダニエルは忍び笑いしながらも静かになった。時々お喋りが過ぎるのが玉に瑕だが、素直なところはアルも評価している。


 黙々と皿を拭き続けるダニエルの横で、アルは迷っていた。

 コーディの誕生日は三日後に迫っているのに、自分はまだ、プレゼントを決めていない。正確には、決めかねている。昨日の朝の段階では、なにか可愛らしい雑貨でも、と考えていたのだが――


『女性は高価な物と綺麗な花が大好きだからね』


「……」


 換金した首飾りの金は、実はまだ裏路地に配れていない。


 *


「アル、どこを見ているの?」


 夜、寝る前のわずかな時間。椅子に座って新聞を読みふけるアルに、トムが横で首を傾げてきた。


「どこって、新聞だよ。世間ではいろんなことが毎日起こってるんだぜ」

「嘘。だって目が左から右に動いてないもん」

「……」


 自分の周りには、もう少し聡くない人間がいてもいいと思う。表情だけで吐露しまくっている自分がバカみたいだ。


「なにか考え事? それともアルは実は魔法使いで新聞の向こう側が見えたりするの?」

「んなわけあるか」


 さっぱり頭に入ってこなかった新聞をテーブルに置き、もう寝ようか、とトムを促す。素直にベッドに潜り込んだトムは、隣接している壁に背を向けて横になった。その横にアルも寝転がる。あと一、二年もしないうちに、トムのための新しい寝床を用意しなくてはいけなくなるだろう。今だって少々窮屈なのだ。


「ちょっと怖い顔してたけど、なに考えてたの?」

「ん、怖い顔してたか?」

「してた」


 特にここが、と言ってつつかれたのは眉間だった。知らず知らずのうちにしわを作っていたらしい。


「……どうってことない悩み事だよ」

「どんな?」

「トムが気にすることじゃないさ」

「……」


 トムは不服そうに口を尖らせると、ごろんと寝返って自分に背を向けた。アルは苦笑して、相変わらず少し長い黒髪を、後ろから優しく撫ぜる。保護者の世界からちょっと閉め出された少年は、くすぐったそうに身を震わせると、その手を振り払うように毛布に潜り込んだ。かなりへそを曲げてしまったらしい。


「……コーディとよく一緒にいるトムに訊きたいんだけど」


 軽く溜め息を吐いて、話を振ってみる。もぞもぞと毛布が動いて、トムが顔を覗かせた。


「コーディ先生?」


 さすがに大好きなコーディ先生に関連する協力は惜しまないようで、彼の黒目には好奇心がきらりと光っている。


「三日後にコーディの誕生日が迫っているんだが」

「たんじょーびって生まれた日のことだよね」

「そうだ。そこで訊くんだけど、コーディの欲しがっている物って何か知らないか?」


 トムは暫しの間考え込むと「コーヒー豆?」と思いついた。


「コーヒー豆が切れたから欲しいって言ってたよ?」

「そういうことじゃないんだな」


 アルは再度苦笑して自分の肩まで布団を引き上げ、内緒話のように語りかける。


「誕生日ってのは、年に一度の特別な日だからな。あげる物も特別がいいだろ?」

「特別、かあ……」


 うーん、と難しい顔をするトムに、ふと尋ねてみる。


「たとえばトムは、誕生日に何が欲しいと願う?」


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