アルの守れなかった約束 ~4~
「コーディ」
自然に声をかけたつもりが、やや緊張した感じになってしまった。コーディが振り返る。
「次の日曜日の夜、空いてるか?」
「空いてるかって……」
「夜勤とかないかってことだよ」
ちょっと待ってねと手帳を出して確認したコーディは「一応空いてるけど……?」と首を傾げた。なんなんだ、と眉をひそめていることからして、本当に心当たりがないのだろう。
「その日、俺もお前も仕事が終わったら、久しぶりに飯食いにいかないか? もちろんトムも一緒に」
「あら、いいわね」
いい返事をもらえたアルは、心の中で勢いよく拳を突き上げた。がしかし、表面上は余裕の体を崩さずに段取りを組む。
「じゃあ、店を上がり次第、病院までコーディとトムを迎えに行くから。なにか店にご要望はあるか?」
「特には。アルが決めていいわよ」
「承知。軽食屋歴十年にお任せあれ」
おどけて胸に手をやるアルに、コーディはおかしそうに笑い声を上げた。
「よろしくね。楽しみに――」
しかし、アルの背後に視線を投げた時、その鈴のような笑い声が途絶えた。代わりに息を飲んだ音が、コーディの口から漏れる。
何事かと思って振り返ったアルも、その姿を認めた瞬間に瞠目した。
陽の光で輝く金髪、知的な緑の瞳、上物のジャケットと靴、つくりもののような整った顔立ち。そして片手には、白薔薇の細い花束。
トムなら見た瞬間に叫んでいる。
ねえねえアル!
「ルー……ファス……」
あの人、ジョゼにそっくりだよ!
ルーファスと呼ばれた男性が、穏やかに微笑む。
*
「先月は妹が面倒かけたからね。改めてお礼をしにきたんだ」
そう説明してコーディに白薔薇の花束を渡す美丈夫。その名をルーファス=リードという。
ジョゼの兄にして、コーディの従兄、そしてアルの毛嫌いする男だ。
「あ、りがとう……素敵ね」
驚愕の余韻がまだ抜けないのか、コーディは戸惑いながらしげしげと花束を見つめていた。
「ごめん。仕事中に迷惑だった?」
「ううん、ちょうどお昼休みだし……ルーファスこそ、平日なのに」
「親父に今日行けって言われたのさ。正式な出張だよ」
「そう……」
ルーファスの父親は、大病院の院長である。コーディの父親の兄に当たる人なので、そこまで知ってわかる通り、リード家は医者の家系だ。ジョゼもそのうち医療に関する勉強を始めるのだろう。(出会った当初のコーディも十歳女子のわりに異常に人体に詳しかった)
ルーファスは、その中でも逸材だと言われていた。幼い頃から優秀で、将来を期待される、言わば〝神童〟。
しかし、コーディにとってはひとつ年上の優しい従兄でしかなかった。それはアルにとってもそうだったのだが……
いーいアル? 今日これから来るルー兄さんは、とても素敵な方なのよ。くれぐれも失礼のないようにね。ルー兄さんはちょっと粗相したくらいでは怒ったりしないけど、ルー兄さんの気分を害することをしたら、私が承知しないんだからね!
コーディの初恋の男という一点だけで、一気にマイナス評価なのだ。
「アルとは、随分とご無沙汰だね。最後に会ったのはいつだったかな?」
「一年半前」
「そうそう、一昨年の秋だ。ランソルトに用があってその時に道でばったり」
ぶっきらぼうに答えたことは意に介さず、ルーファスがにこやかに続ける。コーディが小声で「アル」とたしなめてきた。
「つーか、なんで薔薇なんだよ。キザったらしいな」
「女性は高価な物と綺麗な花が大好きだからね。久々に会う貴婦人に謝罪とともに渡すのは悪くない」
そつなく返しながら、さりげなくコーディを〝貴婦人〟と称するルーファスが、ますます気に食わない。
「貴婦人って……私なんか、まだ子供みたいなものだし」
そういってわずかに染まるコーディの頬もまた、気に食わない。
「いーや? コーディは立派な女性になったよ。美人さんにもなったしね」
歯の根が緩むような台詞をさらりと言ってのけるルーファスの滑らかな口も、気に食わない。
結論として、ルーファス=リードという男の周りには、アルの気に食わないものが溢れている。畜生。
「ところで……」
ルーファスが、アルとコーディを見比べて、たった今気が付いたように声を上げる。
「仲直りしたようだね。喧嘩別れした時は、もう二度と話さないんじゃないかと思ったよ」
アルの頬筋がピクッと反応する。この野郎、絶対にわざとだ。カマトトぶっているが、時としてアルにきつい嫌みをぶっ放す辺り、まだ四年前のことを怒っているらしい。
「……従妹コンプレックスが」
ぎりぎり聞こえる程度の声音で呟くと、見事に無視された。コーディが溜め息を吐く。
「……ジョゼから聞いてるとは思うけど、アルの家には今、小さな男の子がいるの。私もよく面倒見ているわ。その繋がりで、また喋るようになったのよ」
「ちょっと待て、あいつを拾う前から普通に喋ってただろうが」
「少なくとも一緒に何でもない平日にお昼したりはしなかったわね」
コーディの方からも痛いところを突かれ、内心で激しく落ち込むアル。ルーファスが微かに見せたしたり顔は、きっと未来永劫忘れない。憶えてろよ。
「そうだ、お礼ついでにコーディに訊きたいことがあるんだけど」
ルーファスが手を打ってコーディに向き直る。
「次の日曜日、空いてないかい? 久々に食事にでも行こう」
唐突な誘いに、コーディは目を伏せてわずかにたじろいだ。そして、一瞬とはいえ迷う素振りを見せた彼女に、アルは大きくたじろいだ。なんで迷う!
「ごめんなさい……たった今、先約が入ったところなのだけど」
「アルと?」
「ええ。別の日はだめかしら?」
「別の日だと意味がないんだよ。日曜は君の誕生日だ」
おい! とアルはルーファスにつかみかかりそうになった。せっかく気付かせないでいたことを、どうして平然と口にするのか。
コーディは一瞬きょとんとルーファスを見上げていたが、
「……すっかり忘れていたわ」
ばつが悪そうに顔を伏せ、目元を手で隠す。嬉しくて照れると、彼女はよくこうして表情を誤魔化しているのだ。
「あ、つまりアルも……」
「当然だろうが」
半ばやけくそに白状すると、ルーファスがクスッと笑みをこぼした。残念そうに柳眉を下げ、わかったわかったとアルを宥める。
「女性との約束は早い者勝ちだからね。のろまは諦めるとしよう。プレゼントを用意しているんだけど、それは日曜にコーディの家に着くように郵送するさ」
「ルーファス、」
コーディは申し訳なさそうに目を伏せた。
「……ごめんなさい」
「あー……もう、わかった」
その時、アルが頭を掻きむしって乱暴に吐き捨てた。
「予定は譲ってやるよ」
「アル!」
「いいのかい?」
コーディが驚いてアルに振り返った。ルーファスも意外そうな顔をしていたが、後になってアルは、あれは確信犯だったのでは、と推測している。
「こっちは週に何度も顔合わせる仲だ。フェアじゃないだろ。それに、プレゼントは直接渡した方がいいに決まってる」
「アル……」
あまりに聞き分けのいいアルに、コーディは驚きを通り越して当惑しているようだった。アルがここまでルーファスに譲歩しているのは珍しい。
しかし、タダで年に一回の特別な日を天敵に譲れるほど、アルは大人でもないし、器が広いわけでもない。
「ただし、」
挑むような視線で、コーディの従兄である男を睨む。
彼はその視線を受けて尚、涼しい顔で余裕の笑みを浮かべていた。




