夜の拾得物 ~2~
「なにが『俺も出来ることはする』よ」
コーディに後頭部を思い切り叩かれ、アルは混濁していた意識を現実に戻した。時計を見やると、短針は、ほぼ右を差している。
気が付くと自分は、ベッド脇の椅子に座ってうとうとしてしまっていた。
「悪い、俺」
「と言っても、あなたにはちょこちょこ動かれるより、大人しくしててくれる方が助かるけどね」
「……どーせ」
不貞腐れつつも、子供の顔を覗き込む。午前一時過ぎに見た時よりも赤みを帯びているその顔を見て、アルはほぅ、と息を吐いた。
「大丈夫みたいね。肺炎とか、そんな重病でもないみたいだし。凍傷には軟膏を塗っておいたから、塗り続ければよくなるわ」
「すごいな」
「なにが?」
「ちゃんと医者やってる」
本当に感心したように言うと、コーディに呆れたような視線を向けられる。「当然でしょ」とか「失礼ね」とか「感想が四十点」とか、そんなことを言いたげな目だ。
アルは再び子供の顔に見入った。水を含ませた手拭いを額に乗せ、顔が赤いことを除けば、穏やかに眠っているように見える。
「とんだクリスマスプレゼントね」
コーディが子供の頬を撫ぜながら言う。その声には、やはり疲労の色が滲んでいる。
「どこがプレゼントだよ」
「アルもちゃんと寝たら? 明日も仕事あるんじゃない?」
「いや」
子供の寝顔を見つめたまま答える。
「拾ってきたのは俺だ」
律儀な回答に、コーディが小さく笑う。
「相変わらず、お堅いことで」
「ほっとけ」
吐き捨てるように言ったアルの隣に、コーディは静かに寄り添う。
そこで何を話すわけでもなく、子供の寝姿を見つめる。
不意に襲う沈黙に耐え切れず、アルは取り繕うように口を開いた。
「どうした」
「別に」
が、会話は三秒と続かなかった。どうやら好んで沈黙にしているようだった。
「憶えてる?」
何分かの静寂の後、コーディはおもむろに話し出した。
「なにを」
「初めてアルと話した時、あなたもこのくらいボロボロだったの」
「こんなにか?」
「さすがに意識はあったけど、ひどい怪我もしてたわね」
くすっと笑う彼女を見上げ、アルはやや仏頂面で尋ねた。
「……今さらそんなこと思い出して、何になるってんだよ?」
「思い出してるんじゃないわ。懐かしんでるのよ」
子供に毛布を掛け直しながら、コーディは答える。
「あなたと出会ったことも、語り合ったことも、一緒に過ごした日々も、みんなみんな過ぎた話。思い出したところでしょうがない話なんていくらでもあるけど、懐かしむことに意味はあるわ」
きっとね、と締めくくると、コーディは寝室から立ち去ろうとした。アルが慌てて止める。
「どこ行くんだよ」
「あなたが寝なくても、私は寝るわよ。明日も仕事だし。居間のソファにいるから」
「子供は?」
「なにかあったら叩き起こしていいから」
背中でそう言って去り行くコーディだが、子供の容態はそれなりに安定しており、これ以上なにかが起こるとも考えにくかった。
「――懐かしむ、か」
意味深長に語られた言葉を胸の内で繰り返しながら、アルは目を閉じ、再び休んだ。
*
ランソルトの夏は、陽が長い。午後八時頃を過ぎても外は真昼のように明るく、通りにはいつまでも人が集っている。
それでもきちんと、夜は来る。願わずとも。
夜は嫌いだった。真っ暗でなにも見えないし、怖いし、夏は蒸し暑さに苦しみ、冬は毎年のように凍死しかける。実際そうなった仲間たちを何人も見てきた。
夜なんて、来なければいい。そう思って闇を呪いながら、毎晩毎晩、光を探し求め、通りへ出た。
しかしそこでは、大人たちに冷たい目で見下され、同年代の子供たちには笑われる。迂闊に屋台等に近付こうものなら、万引きに警戒する店主に「あっちへ行け」と怒鳴られる。確かに盗もうと思ってはいたが、盗む前から怒鳴られるのは、どうにも気分が悪い。
だから結局、暗い裏路地に戻るのだ。
どこだ。
本当の光はどこだ。
夜の闇の中で、孤児の少年は探し続ける。
そんなある夏の晩。
「あなた……」
アルは出会ったのだ。
光となるべき、その少女に。
*
誰かに揺り起こされる感覚がして、アルは目を覚ました。
「……う?」
「『う?』じゃないわよ、アル。あなた、仕事は? まだアンナさんのところで働いてるんでしょう?」
仕事、の一言にアルははっと顔を上げた。軽く休むつもりが、すっかり眠ってしまっていたようだ。
「まずいな……」
普段自分が出勤する時間帯を大幅に過ぎている。このままでは無遅刻・無欠勤という輝かしい業績に傷が付きかねない。
「俺……」
「この子の面倒は私が見とく。なにかあったらあなたに報告。朝ごはんはどうせいらないだろうけど、走りながら何か齧りなさい。走行中の飲食は消化に悪いけど。マントは置いていっていいわ。コートはお父さんがこの前忘れていった物を貸してあげる。とっとと準備して玄関向かって回れ右」
「朝っぱらからよく動く口だな」
「まずは感謝の言葉を聞きたいところね」
「へいへい。……ありがとさん」
雑ながらも感謝の意を示すと、彼女はふん、と鼻を鳴らして、台所に向かった。戻ってきたコーディが渡してきたのは、袋に入った伝統の菓子。
「スコーン。こないだ焼いたのだから固くなってるけど」
「いいよ。悪いな」
アルは再度お礼を言ってから、子供の顔を一見し、コーディの父、リード医師の外套を借りて、ようやくその寝室を出た。
去り際に、一度だけコーディと目が合った。
強気で、真っすぐで、凛々しく光る青。
四年前の聖なる夜に、アルはこの青が、深い深い、悲しみに染まる瞬間を知っている。
「なに?」
自分で傷付けておきながら、
「なんでもない」
「は?」
思い出すと、心臓や腹の辺りが強く締めつけられる。
思い出したところでしょうがない、でも懐かしむことも出来そうにない。
人生の約半分を路上で暮らしていたアルにも、そんな重く、苦しい、湿った記憶というものがあるのだ。