アルの守れなかった約束 ~3~
ランソルト七番街に店を構える花屋『フローラル』。
そこの看板娘リサは、毎日店先に立って客の呼び込みをしていた。
お花ー、お花はいかがですかー。家族に、恋人に、お見舞にどうぞー。本店ではお葬式用のお花も承っておりまーす。是非お立ち寄りくださーい。
素直で働き者のリサは近所からの評判もよく、ここらではちょっと有名な美少女だった。
「お花ー、お花はいかがですかー……」
その日もリサは、店先に立って呼び込みをしていた。平日の昼間なので客はあまりいない。呼び声が虚しく響く七番街に、リサはひとり嘆息した。
(あーあ……せっかく大きな声を出しても、肝心のお客様が大方お仕事中だし……。いいわ、しばらくは別の作業に専念しよう)
リサはそう割り切ると、バケツに生けていた花の水を替え始めた。
その時、
「おや、もう終わり?」
頭上から、少し低めの落ち着いた男性の声が降ってきた。
「はい?」
顔を上げたリサは、腰が抜けるかと思うほどびっくりした。そこに立っていたのは、未だかつて見たことのないような美丈夫だったのだ。
「元気な呼び声を辿ってここまで来たんだけど、急に声が止んじゃって。ここがその店かい? と言っても、ここ以外で花屋は見当たらないけど」
「あ、あ、あの……」
リサは真っ赤になってエプロンを握りしめた。直視しがたいほどの美貌に恵まれたその男性は、リサの反応に不思議そうな視線を向ける。
年齢は二十代前半。襟足で切り揃えられた髪は晴れた日の陽光のような金色。知的な印象を与える瞳は、輝石のような緑だ。
着ている物も上等で雰囲気も柔らかく、一目見て育ちのいい人であることが窺い知れた。
「素敵なお店だね」
男性が店内を見回して言う。リサはあたふたしながらも、商売人としてしっかり受け答えた。
「ひ……品種も豊富ですので、是非ご覧ください……」
男性は、店の一番目立つところに置いてある二色の薔薇に目を向けた。しばらく赤い方と白い方とを見比べ、白い薔薇をリサに注文する。
「四本で花束にしてもらえるかい?」
「は、はい! 只今!」
リサは手早く綺麗な花束を作り上げると「リボンはどうしますか?」と男性に尋ねた。
「贈り物には最適かと……」
「じゃあ、お願いします」
他の花を眺めながら、男性が一瞬、間を置いて答える。リサは軽く落胆した。やっぱり、この花束は贈り物なのだ。そして今の一瞬で、送り先の人のことを想ったのだろう。
こんなに素敵な殿方なのだ。恋仲である女性がいない方がおかしい。
「どうぞ……」
リサが花束を差し出し、値段を伝える。男性は代金を払って花束をもらうと、その中の薔薇を一本抜き取った。
「え?」
戸惑うリサに、男性が薔薇を差し出す。
「……」
「素敵な、呼び声だったよ。また来るね」
薔薇を受け取ると、男性はにっこりと極上の笑みを見せた。
「――!」
熱に侵されたようにくらくらするリサに小さく会釈し、男性は店の前から立ち去った。
リサは暫しの間、呆然として何も考えることが出来なかったが、
「……いけない」
熱を孕んだ頬を扇ぎ冷ますと、気を取り直して声を張り上げる。
「お花ー! お花はいかがですかー!」
彼が「素敵」と言ってくれた呼び声を響かせるために。
*
「あなたも大概暇な男ね。それとも何? 淋しがり屋なの?」
「そんな商売してねーよ」
淋しがり屋ではなく軽食屋の下で働くアルは言い放ち、コーディが肩を竦めてサンドイッチにかぶりつく。
病院の庭のベンチに並ぶふたりは、いつかと同じように、はしゃぎ回る子供たちを見つめていた。ただ、今日はその子供たちの中にトムの姿はない。水曜日なので普通に学校があるのだ。ちなみにアルは店が定休のため、昼間は特に予定がない。
だから手製の昼食を持って、昼休憩の病院にやってきたのだ。その際にコーディを誘うと、彼女は喜んでついてきた。
「アル、料理がほんと上手だよね。いいお嫁さんになりそう」
というわけでもちろん、サンドイッチは口実である。
「嫁って……。同僚のフレッドに教えてもらったんだよ。大家族の長男だから、よく弟や妹の面倒を見てたらしい」
「ふーん」
結局、十二月月以来コーディは『アンナの家』に来ていない。前に来た時にアルの同僚たちに騒がれたので、彼女なりに気を遣っているのだろう。アルとしてはどちらでもよかったのだが、アンナが会いたがっているので、そのうち機会があれば――と思っている。
「アル、この後の予定は?」
サンドイッチの最後の一口をつまんで、コーディがふと尋ねてくる。
「特には何も」
「あなたも大概暇な男ね」
本日二度目の『暇な男』発言に、アルはややムッとして頭を巡らせた。確かに暇かもしれないが、そこに簡単に予定というものを組み込めるほどには、行動範囲も広いし人脈もある。
「……じゃあわかった」
「なにが?」
「普段は夜にやることだけど、今日はこれからやることにする。なに、裏路地なら仮に見つかっても逃げ切れるよ」
「……あなた、なにを」
焦りの色を見せるコーディ。その鼻先に、アルは硬貨を突き出した。金属の匂いに驚いた彼女が反射的に身体を引く。
「この前の獲物を換金したんだ。それなりの金額にはなったよ。だからその金を、裏路地にばらまきに行ってくる」
「……」
コーディはしばらくの間、呆気に取られたように硬貨を見つめていたが、ようやく口を開いて問う。
「それ、みんな裏路地にいくの?」
「全額じゃない。そんなに配りきれないし。大部分は匿名で孤児院に寄付してる。これで院の設備を充実させて、裏路地の孤児がそこに行きたくなるように仕向けている。まだあんまり効果が見られないけど」
「じゃなくて、あなたの取り分は?」
恐らくコーディじゃなくても感じる疑問に、アルは当然のように言ってのけた。
「アルバート=ハックルベリーとして暮らしてるんだから、アルバート=ハックルベリーとして稼いだ金で食ってるに決まってんだろ」
「……」
「盗んだ物で生活してる奴なんか、本職泥棒として生きていけばいいんだよ。ウエイターなんか辞めちまえ」
口汚く吐き捨てたアルに、コーディは意外そうな眼差しを向ける。じっと顔を覗き込まれることに居心地の悪さを覚え(単に照れて)、アルは凛々しい青から目を逸らした。
「……なんだよ」
「いや、別に」
そう言って最後の一口を放り込んだコーディが、飲み込んでから小さく答える。
「ほんのちょっと、怪盗さんを見直しただけ」
「……」
なんとなく面映くなって、互いに顔を背ける。こんなことでいちいち喜んでいる自分がまだいることに、苛立ちと女々しさを覚えて悔しくなった。
「……さ、寒いから私は戻るわよ。ごちそうさま」
コーディがベンチから立ち上がり、わざとらしく白衣の裾を叩いた。
アルは普通に「おう」と片手を挙げようとして、ちょうどその瞬間に、今日ここに来た本来の目的を思い出した。




