トムが粋な恋文を書けるようになるまで ~2~
アルは瞠目して少女を見つめた。
すてき?
信じられないという思いが身体中に渦巻く。
自分の持っているものを、他の誰かに「素敵」だなんて言われるのは、初めてのことだった。
「おでこの怪我、ひどいの?」
「……血が止まらないだけだ」
「大変」
差し伸べた手はそのままに、少女が一歩近付いてくる。
「……?」
「アルバート。
私のお家、来る?」
天使、と小さく呟いたのを、トムは聞き逃してくれなかった。
「天使? 聖書に出てくる、あの羽根の生えた人のこと?」
「病院では聖書の読み聞かせもしてるのか」
「その女の子は、天使だったの?」
トムは小さく首を傾げた。
アルは困ったように笑って答える。
「少なくとも、俺にとってはな」
*
翌日のアルは休みだった。当然トムをコーディに預ける理由もないので、彼女と会うこともない。はずだった。
「トム」
「なあに?」
大通りを散歩中、アルは前を向いたまま、横を歩くトムに切り出した。
例の学校の件である。昨夜コーディと約束した通り、トムと話し合わなければならない。
「お前……さ……」
トムを学校に行かせる。
優しいこいつのことだから、気の強いお山の大将にいじめられることもあるかもしれない。
しかし、そんなことで潰れるほどヤワな環境で育ってきていないことは、アルもよくわかっている。
それに、性格ゆえに惹きつけられる仲間も多いはずだ。……多分。
「学校、行くか?」
思った以上に緊張しながら発したその提言に、トムは立ち止まった。当然のごとくアルも立ち止まる。暫しの沈黙の末、トムは昨日のように、小さく首を傾げた。
「がっこうって……入院していた子たちが元気になってから行くところじゃないの?」
道の真ん中でずっこけそうになったアルに、トムが慌てて尋ねる。
「え、え! 違うの? だってジーナが嬉しそうに言ってたんだよ! 『退院したら学校に行けるんだ』って!」
「……お前の場合は一般常識を身に付ける方が先だな」
痛む頭を押さえながら溜め息を吐くアルに「じゃあ」とトムが再び尋ねる。
「がっこうって、ほんとはどんなところなの?」
「どんなって……」
即座に「勉強するところだろ」と答えようとしたが、いや待てよ、と思い留まる。学校に通ったことのない自分がそう言ったところで、説得力は欠片もないに等しい。
「……それは今度コーディに訊いてみろ?」
「はーい」
とりあえずその問題を保留した時、アルはコートの裾を、誰かに引っ張られた。気が付いて振り向くと、そこに立っていたのは、
「ちょっとお尋ねしてよろしいですか? 道に迷ってしまいまして、ここらの方でしたら教えてほしいのですけれど」
ませた口調の、小さな女の子だった。
「……」
小さな、と言っても年の頃はトムのひとつふたつ上くらい。良家の出身であることは、身に纏う雰囲気、服、言葉遣いから見て取れる。輝く金髪にはきちんと櫛が通され、凛々しく光る緑の瞳は、誰かを彷彿とさせる強さを秘めているように見えた。
「……お嬢さん、ひとりか?」
このくらいの子が、付き添い人もなしに知らない街へと来るのは珍しい。ましてやここはランソルト。ロンドンに程近い中都会には危険も多いのだ。
心配して尋ねたアルに、少女は「あら」と口を尖らせて頬を染めた。
「口説いてらっしゃるんですか? 私にはそれはそれは素敵な兄がおりますので、採点基準はそれなりに厳しいですわよ?」
「十年後に出直しておいで。どこに行きたいんだ?」
軽くあしらわれた女の子は「むう」と膨れると、気を取り直して「ランソルト中央病院へ」と告げた。
「病院か……若干説明が面倒くさいな。紙とペンがあればいいんだが」
「案内してあげたら?」
そう提案したのは、アルの影でずっと黙っていたトムだった。アルは嘆息すると、トムの目線に下り、わざと諭すように言った。
「あのな、トム。世の子供たちっていうのは『知らない大人にはついていっちゃいけません』と言われて育つんだ。おわかりか?」
「うん、おわかり!」
ほんとにわかってんのか? と心配するアルを尻目に、トムはにんまり顔で女の子の前に進み出る。
「『知らない子供にはついていってもいい』ってことだよね! 僕が案内するよ!」
そうじゃねーよ! (よい子は本当についていっちゃいけません)アルが大声でつっこむより早く、子供同士で勝手に自己紹介を始める。
「僕はトム! 病気じゃないけど、いっつも病院に行ってるんだ」
「それは心強いですね」
女の子はワンピースを左右で軽くつまむと、丁寧に礼をした。
「ジョゼットと申します。よろしくね、トム」
ジョゼット。
「……?」
一瞬、頭をよぎるものがないでもなかったが、気のせいのようだ。アルは頭を振ると「で」とトムを見下ろした。
「お前が道案内……まあ、するとして、俺はどうすればいいんだ、トム?」
「アルは……別に帰ってもいいよ? 僕ひとりでも安心でしょ?」
「全然安心じゃねーよ。なに考えてんだ」
結局は同行することになったアルに、ジョゼットがふと問う。
「おふたりはご兄弟なのですよね?」
「え?」
「違うのですか? ご容貌が似てらっしゃるので、てっきり……」
まあ、そんなようなものかとアルが思っていると、違うよ、とトムがきっぱり答えた。
「アルは〝アル〟で、僕は〝トム〟だよ。お兄さんでも弟でもないんだ」
「?」
ジョゼットは訝しげに首を傾げたが、やがてその奇妙な関係を理解したように頷くと、アルとトムとともに歩き始めた。
確かに不思議な繋がりに見えるだろう。それはアルも思う。親子にしてはどちらもガキっぽいし、兄弟にしても少々年が離れている。他人にしては似すぎているし、家族にしてもまだ距離がある。
でも、そんなふたり組なのだ。そんなふたり組で生活を営んでいるのだ。
「……まあ、コーディがいてくれてこそ、だけどな」
これから行く先で顔を合わせるであろう女医を思って、子供たちには聞こえないように、アルは小さく呟いた。