ほんのり、片想い?
新たな高校生活と緩やかな春の陽気に、どこかそわそわと浮ついていた校内だったが、ゴールデンウィークを過ぎる頃になれば、ある程度落ち着きを取り戻していた。
かたい制服の生地にも慣れはじめた生徒が、次第に着崩すようになり、教師の小言が増えた。
教室の中でもクラスメイトを探るような視線はぱったりやみ、それぞれ気が合う同士、同じ顔ぶれの固まりが固定化している。
そんな様子で、2組の教室では、メイと高尾の二人が机を並べ弁当を広げていた。
「永瀬、今日はお弁当なんだ?」
「うん、お母さんが今日はお仕事お休みだったの。私も由里ちゃんみたいに料理できたらいいんだけど……」
メイはきゅっと眉を寄せつつ笑った。
二人で共にいるのはこの数週間で慣れた。
さばさばしており言動がキツい高尾と、どこまでも気弱なメイ。
お互い性格が合わないだろうな、と最初はよそよそしかった二人。特に合う趣味もなかったが、しかし不思議と会話が詰まることはなかった。高尾もメイも話し上手には程遠かったが、沈黙を苦痛に感じないタイプだったことが幸いだったのかもしれない。
ここに春香が加われば、春香がどこまでも気ままに口を開き、メイと高尾が聞き役(もといツッコミ役)に徹することになる。
(由里ちゃんとハルちゃんはもともと仲良しだったから、私も話しやすいかもしれない)
メイはそんなことを考えつつ箸を動かした。
ぼんやりと彼女の脳裏に浮かぶのは、この教室にはいない幼馴染。
急に髪が短くなり、肩が広くなって、声がハスキーになって、背もまた伸びはじめてーーそれよりも、なによりも、手が包むように大きくなったーー。
「永瀬、永瀬」
春香の姿を思い浮かべていたメイは、急に滑り込んできた声にびくりと肩を震わせた。
「え、あわっ、何!?」
ガタンとイスを鳴らして反応。
「いい加減、ビビるなよ……」
ウンザリした表情を浮かべて、いつの間にか隣に立っていた戸田が、薄い学級日誌を彼女に突きつけていた。今日は日直だった。
「あ、ごめんね、ありがとう」
おどおどと日誌を受け取るメイに、戸田はため息をつく。
完全に俯いてしまったメイと、助けの視線を求めてもつれない様子の高尾から、そそくさと逃げるように去って行った。
「由里ちゃん!私、ちゃんと喋れてたかなっ!?」
戸田がいなくなったとたん、俯いてた顔をあげ、メイは高尾に詰め寄った。赤い頬がかすかに緩んでいる。
「うーん、ビビってたし、声は震えてたけど……まぁ及第点」
高尾の評価に、メイはさらに頬を緩め、目を細めた。ペットボトルを手に取りお茶を口に含んだが、照れ笑いを隠すためという意図がはたから見ればありありと分かる。
「由里ちゃんみたいに、戸田くんとも普通に話せるようになれるかな」
小さく呟いた声を、高尾の耳はしっかり拾っていた。
(これも、ハルちゃんのおかげかなぁ。ハルちゃんの手も男の子だもんなぁ)
だらしなく頬を赤らめ続けるメイは、その時、高尾が固く唇を閉じたことに気づくことはなかった。
◇
きりーつ、きをつけぇー、れー。
間延びした号令にあわせて頭を下げて、私はその瞬間ほっと息をついた。今日も一日無事に、春美としての生活が終わったのだ。あとは教科書をバッグに詰め、帰るだけ。
学校からしばらく離れれば、メイと合流して家まで一緒に帰ることができる。まるで秘密に付き合っている芸能人のような行動だが、この身体でいる以上は仕方がない。
クラスの誰からも話しかけられないうちにと、乱雑にバッグを扱っていると、女子生徒が近寄ってきた。
見覚えのある顔に、つい身を固くする。
「ごめんなさい、入江くん、ちょっと聞きたいことが……」
バァン、と教室の前扉が勢い良く開き、反動で閉まった。
その激しい音に春香は顔をあげ、女子生徒は話しかけた言葉を引っ込める。
再び開いた扉から、ずかずかと突っ込んできたのは、他のクラスの女子生徒。長身に、加えて長く細い足を大股で動かすものだから、圧倒されてしまう。綺麗に整えられた髪が一拍遅れて揺れるのは大層美しいのだが、強張った彼女自身の顔つきが台無しにしていた。
美人が鬼気迫った顔をすると怖い。
おそらくクラスメイトの多くがそう思っただろう。
「緊急事態!」
そういって無理矢理、腕を引っ張ってきた高尾に、私は慌ててバッグを掴んだ。
「ちょっと待ってよ高尾! あ、ごめん原田さん! 話はまた今度!」
突然のプチ騒動に呆気にとられるクラスメイトを残して、二人は教室から出て行った。
「ちょっといきなりどうしたのよ!? 困るってあんないきなり!」
目立たないように、浮かないようにと気をつけて学校生活を送り、メイに会うのも控えているのにこれでは意味がない。私は抗議に声をあげるが、高尾に聞く耳はなかった。
ようやく彼女が落ち着いたのは、学校から離れたファミレスの一角に座ってからである。
メールでメイに、一緒に下校できないことを伝える。メイと会えないことは惜しかったが、どうもただならぬ様子の高尾に、私は大人しく従った。
「……で、どうしたの?」
ソファに尻を落ち着け、ドリンクバーのジュースを啜る。
高尾はまだ俯いているし、自分は男の身体。もしかしたら別れ話でもしているように見えるだろうかと思ったが、中途半端な時間だからか周りに他の客の姿は見えない。私は少し気を緩めた。
「ほらー、高尾、どうしたのかって。何かあった……?」
声にほんの少しだけ、労わる色を加えると、高尾はゆるゆると顔をあげた。
「永瀬のことなんだけど……」
「え、メイ?」
思わぬ名前に身を正した。
「うん、あの……永瀬が、さ……」
口ごもっている高尾は、普段の様子とはかけ離れている。瞳は揺れ、形のいい唇は歪んでいる。
(そういえば、こんな感じの高尾、以前も見たなぁ)
あれは入学してすぐだったか、と思い出す。
偶然、高尾のおかしな様子に気づいた私が、彼女に声をかけた時。どうしたの、と声をかけると、散々言い淀んだ後に確かこう言ったのだ。
ーー戸田のことが、好き……かも。
「戸田のこと、好きなのかもしれない」
……。
…………。
「は?」
脳内の声と高尾の声が重なって、私は頓狂な声を漏らしてしまった。
「う、嘘じゃないのよ! だって、なんかそんな感じだったの!」
「いやいやいや、ちょっと待って」
開き直ったように大声をあげた高尾に、私は手のひらを突きつけ制止した。
「勘違いでしょ、それ。何をどうしたらそうなるの。あの子の男性恐怖症どこいった」
「だって、今日、永瀬が、戸田と話せるようになりたいって……!」
ええ〜、と疑いの声をあげる。
「よく考えなよ。戸田ってあの戸田でしょ。身長超デカイじゃん。ガタイあるし。いかにも男〜って感じでしょ? メイが一番ダメなタイプだよ」
「でも、あの二人、日直当番はペアだから、永瀬も慣れてきてるし……」
高尾は眉をひそめ、険しい顔をしている。涙は見えないが、声は完全に泣いていた。
「慣れてきたから男性恐怖症この調子で治したいって意味じゃないの?」
「違うと思う。……あの顔は、恋してた、と思う」
毒を吐く唇とは思えないほど乙女な言葉に、私は辟易した。
恋してるっつー顔は今の高尾みたいな顔を言うのよ、と心のうちで呟きつつ、メイの顔を思い浮かべた。
顔を赤らめ、うっすらと涙の膜を持ったメイを想像する。
…………いつも通りテンパって、自分に助けを求める姿しか思い浮かばなかった。
(勘違いだと思うけどねぇ)
「そう思うなら、試してみよっか」
私の言葉に、首を傾げる高尾。
「どっかに私と高尾とメイ、戸田の四人で遊びに行ってさ、観察するの。遊園地とか映画とか? そういういつもと違うとこで2人を見たら好きかどうかわかるかもしれない!」
「……春香、自分が遊び行きたいだけとかじゃないわよね?」
鋭い指摘に、私はぐっと喉をつまらせた。
正直、春美のフリしての生活に、いい加減疲れてきて気分転換したかったことは事実である。確かに近いうちにメイを誘ってぱーっと遊ぼうかと考えてはいたのだが、
「い、いいじゃん! たまには! メイと戸田のこともわかるし、私はメイと、高尾は戸田とダブルデートで一石二鳥!」
「な、なんで私と戸田がセットなのよ!」
顔を赤くして反駁する高尾に、いやそこは問題じゃねーよと呆れつつ、私は笑った。
「じゃあ私はメイ誘っとくから、高尾は戸田に声かけといてね」
「はぁ?! なんで私がそんなこと! ……無理だよ……」
とたんに声が細くなる高尾に、やれやれと思いつつ、ジュースをまた啜る。
「じゃあ私が誘おうか?」
「え……いや無理でしょ。あんたその姿で戸田と面識ないじゃん」
「あ、そうだった」
話したこともない男が他のクラスの男にダブルデートを申し込む(その上誰も付き合っていない)図はなかなかにシュールだ。
「……が、頑張ってみる」
ついに高尾が宣言したことにより、その場はまとまった。
会計をすませ、高尾とは別れ、駅へと向かう。
(メイが恋、ねぇ……)
やはりいくら想像してもしっくりこない。メイが、自分の知らないところで人を好きになるということ自体、あり得ないことではないかと笑ってしまった。
ケータイを開き、いつもの番号にダイアル。
「あ、ねぇメイ、今から家行っていい? 週末のことでちょっと話したいんだけど……」
その日のうちに
「今度の日曜か来週あたり空いてたら、どっか遊びいかない? 遊園地とか行きたいんだけど」
「行く! わーハルちゃんと遊園地、久しぶり!」
「男一人誘うけど、平気? もちろんフォローはするけどさ……」
「うーん……うん! ハルちゃんとなら大丈夫だよ」
と約束を取り付けた私に対してーー。
「あの、戸田! ちょっと話、が」
「何? どうかした?」
「あ、いやその別に、いやあるけど」
「……どっちだよ」
「あるわよ! あるの! いやそのほら…………あー」
「何?」
「……いやもういい! あんたなんか知るか! いやほらええっと用はその……教科書貸して!」
「席遠いから無理だろ。他のクラスの人に借りな」
高尾がこんな調子で五日間頑張ったのはまた別の話。