ころり、情動
「よし、じゃあいくよ?」
メイが力強く頷くのを確認して、私はぎゅっと彼女の小さな手を包むように握った。メイの目には鬼気迫るものが宿っている。
その手の柔らかな感触を確認し、するりと指を動かしてみる。
その途端に、メイがバッと私の手を振り払った。
「や、やっぱだめー!」
バンザイでもするかのように手を挙げ、逃げられる。
真っ赤に熟れた頬は引きつった唇とともに歪んでいる。ぎゅうっと閉じた彼女の目元が微かに濡れていた。
「な、なんか! なんかやっぱりだめだよ! 手が骨っぽい! あと触り方が!」
力一杯、精一杯、拒否された。
……泣いてなんかない。
◇
「……ていう感じだった。」
「あ、そう」
帰宅し、入れ替わり一日目の学校生活を春美に報告すると、盛大に呆れられた。
「はたから見たら不審だよ、それ」
「ちゃんと階段の死角でやったわよ。そこは抜かりなく」
ふふんとしたり顔をしてみたが、春美はゆっくり首を横にふった。
「それこそだよ、春香。自分が男の体だって自覚ある?」
「? あるからメイの恐怖症治そうとしてんじゃない」
「階段の死角、男女、それで手を握ってるってさ……」
ああ! と私は大声を上げてしまった。
その反動でずるりと腰が滑り、座っていた春美のベッドから滑り落ちる。ごつっと尻を打った。痛い。なんでこんな尻の骨出っ張ってんのよ。
「メイのために頑張るのはいいけど、変な噂広がらないようにしなよ」
釘を刺され、私はうな垂れた。
「どうしよう。あらぬ噂が流れたらメイが可哀想!」
「俺のことも考えてよ。俺の名前使ってるんだから……」
「いいじゃんアンタはメイ好きでしょ!」
若干滲んだ視界にいる春美に吐き捨てると、なんとも苦い顔をされた。
「変な勘違いを大声で言うなよ」
「勘違いじゃない! 私がメイ好きなのに、あんたがメイを嫌いなわけないでしょ!」
学校で「ハルくん!」と叫び、飛びついてきたメイの姿を思い出す。
私たち三人は、小学校時代からの幼馴染なのだ。今更嫌いだなんて言わせない。
特に昔、それこそ幼い子どもだったころ、メイは私より春美にべったりだったのだから。
「……まぁ、いいけどさ……春香ってそういうとこあるよね」
「どういうとこよ」
「男と女は別だってこと。だからあんまり目立たないようにね。ただでさえ、不登校だったんだから周りからよく見られるんじゃない?」
春美の言葉に私はぐっと喉をつまらせた。
クラスのちらちら冷たい、しかし野次馬根性の覗く視線を思い出す。正直、気持ちのいいものではない。
「5組の人とはあんまり関わらないようにする。もし春美がこの先学校行くことなっても問題ないように、なるべく気配消しとくわ……」
「まぁ、それは難しいだろうけど……そうしてくれると助かる」
「あ、そうだ。大切なこと忘れてた」
部屋の脇に投げ捨てたスクールバッグを引きずり、引き寄せる。「横着しない」という春美の咎めに気のない返事をしつつ、一枚の藁半紙を取り出した。
5組のクラス名簿のコピーである。担任にクラスメイトの名前を覚えるという理由つけて、用意してもらった。春美の隣に座り、差し出す。
「この中に同中の人いる? なんか話しかけられたりしたら困ることあるかもしれないし、聞いておきたくて」
春美の視線が藁半紙を撫でる。
しばらくして白い人差し指が、「原田かえで」の名を差した。
「こんな子いたっけ? 覚えてない」
「結構有名な人だよ。中一、二の時同じクラスだった。もう二年近く会ってないから多分顔は忘れられてると思うけど」
「おっけ、その子だけね?」
頷くのを確認し、藁半紙を受け取る。
「しかし目立たないようにかぁ。そう考えるとメイにべったりも問題なのかなぁ……」
私は男、私は男、変な噂がたたないように、と頭の中に刻み付けるように呟いた。
またうっかり自分の体のことを忘れて、メイに抱きつきでもしたら大変である。
二重の意味で。
今それをすれば、私の可愛い幼馴染は泡を吹いて倒れかねない。
「あー……もっとクラスの男子と仲良くしておけば良かったかなぁ。そうしたらいろいろ助けてもらえたかもしれないのに」
私は友達がそんなに多い方ではない。基本メイにべったりで、男友達とはちょっと話す程度、顔見知り程度だ。
「男友達にも言うつもりなの? 自分は女だって」
やめた方がいいよ、と春美は珍しく硬い声を出した。
「分かってるけどさー……でもー」
いざという時同性(?)の相談役が身近にいないのは痛い。今の状況、楽しんではいるが、不安がないわけではないのだ。
春美のような毛布お化けを学校に引きずっていくわけにもいかないし。
「あっ、春美、女装して学校来ない? 春香として」
名案! と笑ったが、「なにいってんの」という冷ややかな声に一蹴された。
「それなら春香が女の格好するほうが自然でしょ」
確かに。
「だーってさぁ、女の子だけじゃいざって時相談できるか分からないじゃん……」
叫びつつ、再び春美のベッドにダイブした。スプリングがきしむ。
「制服しわになるよ」
と春美が咎めたが知らんふりをきめた。
どうでもいいが、絶対にこの制服、春美の背丈にあっていない。私は元が女なので、裾が余るのはしょうがないが、春美も今の私に比べてそんなに身長は変わらないはずである。高く見積もって160半ばってところだ。
この隠れ見栄っ張りめ、と胸の内で毒吐く。
しばらくベッドの上をごろごろと転がり、布団の柔らかさを楽しむ。よく考えたら春美は私がベッドにいるの、嫌じゃないのだろうか。オトコノコにとってはめくるめく一人の夜も使用する、結構なプライベートゾーンだと思うが。
「ねーぇ、春美」
布団に顔を埋めながら、呼びかける。声は当然篭っていた。
「うん?」
「なんで学校行かなくなったの……?」
突然の私の問いかけ。
一瞬の静寂。
「だから太陽の光浴びたら灰になるんだって、俺」
「まぁたそうやって茶化す!」
ばんっと両腕を突っ張って、ベッドから跳ね起きた。ついでに八つ当たりとして枕を蹴り落とす。なかなかいい音をたてて、あらぬ方向に飛んで行った。
「春美はいつもそう! 適当なこと言ってはぐらかす! この狸が!」
吐き捨てて、スクールバックを引っ掴む。勢いに任せて乱暴な音をたてて、部屋を後にした。
人がせっかく心配しているというのに。馬鹿春美!
心の中でこき下ろす。しかし熱しやすく冷めやすいといわれる春香さん。扉を一枚隔てて一人になるだけで、すぐさま冷静になった。
帰宅後すぐに、気の向くままに話し、ベッドを占領し枕を投げ落として最後に暴言。
我ながらなかなか勝手である。
そっと扉を開ける。隙間から覗くとばっちり春美と目が合った。
「話聞いてくれてありがとー」
小声で呟き、返事は聞かないままに、またすばやく扉を閉めた。
お礼一つ、それだけで罪悪感は掻き消え気分が良くなった。我ながら単純である。
すっきりした心持ちで階段を駆け下り、夕食の用意のためキッチンへと向う。
「ありがとーなぁんて。ふふ…っ、昔だったら絶対言ってなかったでしょうね」
ふんふんと鼻歌交じりにキッチンに向かい、冷蔵庫の扉を開ける。
今日の夕食は特別に、春美の好物を作ってやってもバチは当たらないだろう。