くるり、反転
連続で失礼します
「ただいまー」
玄関を開けてローファーを脱ぐ。中学はスニーカーだったから、履き慣れていない硬い靴はちょっとだけ足が痛い。けれど高校生になったんだなぁと実感し、唇が緩む。
キッチンから「おかえりー」と母親の声だけが響いた。
自室の扉を開けて、重いスクールバックをベッドに放り投げる。
「あれ?」
ブレザーのリボンを外しつつ、ふと、クローゼットの奥に置いているボックスの蓋がずれていることに気づき、手をかけた。
「もう切らしてたっけー?」
買いだめしている生理用品の袋が空だ。トイレにいって戸棚を開けて確認。こっちもなくなっていた。
「おかーさーん、私のナプキン使ったー?」
キッチンに届くよう叫ぶ。すぐさま否定の言葉が帰ってくるが、絶対嘘だ。減りが速いもの。私の買ってるやつの方が高いんだから勘弁してほしい。まだしばらく周期は後だけれど、買いにいかなきゃ。
「女って本当めんどくさぁ……」
部屋に戻りながらぼやいていると、私の隣の部屋の扉が開いた。
「お、ただいま」
「……おかえり」
高校生にしては澄んだ中性的な声が返って来た。相変わらず無駄にいい声である。
扉の隙間からこっちを見てくるのは、私の双子の片割れ、春美だ。
いつものように毛布をすっぽり被っているくつろぎスタイル。女っぽい名前だが、この春から私と同じ高校に入った男子高校生である。といっても春美は一度も学校には行っていない。中学の途中から絶賛引きこもり続行中だ。
よく私と同じ高校に受かったものだと感心する。もともとの頭がよろしいのでしょう、と僻み半分。
双子だけれど私たちはあまり似てない。
春美はおっとりしていて、あまり大きな声を出すことはない子どもだった。男のくせに私よりもずっと長い睫毛をぱさぱささせて、黙って微笑んでいることが多い。たまに引っこ抜いてやりたくなる。
対して私は子どものころから活発で大人たちに怒られることも褒められることも多かった。男女逆だったらねぇ、なんて親戚のおばさんたちに笑われることはしょっちゅうだった。
「どしたの。部屋から出てくるなんて。珍しい」
「春香が変なこと叫んでたから」
「やっだ、聞かないでよ」
「……そう思うなら叫ぶなよ」
真っ当な反論に、私は舌を出して誤魔化した。
◇
ふわりと意識が浮上し、身じろぎする。自分口から漏れた声で完璧に目が覚めた。くあ、とあくびを一つ。スマホの時刻を見るとアラームをかけた時間よりも随分早い。
晩御飯をたべたあと、いつの間にか寝ていたらしい。歯も磨きそこねてた。やだなぁ、最悪、と思いつつ取り敢えず起きる。
ぐーっとベッドの上で、猫のように伸びをする。睡眠で固まっていた体をほぐしてーー違和感。
あれ?痩せた?
妙に骨が当たる肩をぐりぐりと揉む。それから足の付け根、まあぶっちゃければ股に引っかかるような違和感。
じーっと観察。
ああうん。朝だもんね。本当になるんだぁ。そっかそっかぁ。
「……うっそぉ……」
さーっと血が引いていく感覚。
慌ててトイレにいって駆け込み、確認。ふむ。ふむ、わけわからん。取り敢えず用を足して、なんとか対処。
「ええーうっそこれまじかぁ……なんのドッキリよぅ」
うずくまり、呻くこと数分。
取り敢えずこんなとこにいてもしょーがない、と自室に戻る。
さて、どうしましょ。まじまじとパジャマの上からであるが、自分の姿確認。
骨がね、ごつっとしてて、下には男の人の証があって。そういえば声も心なしかいつもより低かった。べたべたと自分の体をあちこちさわる。ここの手首、いいよねぇ。男の手首のごつごつはきゅんポイント。腕の上の筋肉も薄めだけどなかなか。自分のフェチをぼやきつつ軽く現実逃避。と、胸に手を当てたとき、私は戦慄した。露骨な変化を遂げた下ばっか気になっていて気づかなかったが…………胸がない。いやあるにはあるけどあのふんわり柔らかな脂肪の塊がない。なんか硬い。なにこれ筋肉? 胸筋?
「えええええ、そんなぁ!」
起きて一番のショックである。下が付いたよりもかと呆れられるかもしれないが、それはそれ。私的にはプラスよりもマイナスの方が衝撃よ! 私の自慢のCカップどこいった! そんなに大きくはないけど形はなかなか結構なものだったのよ!?
脳内でわぁわぁ叫んで混乱していると、スマホのアラームがなった。いつもの起床時間。
「……これからどうしよう」
これ学校いけるのか? 素朴な疑問が湧いてきた。こんな事態ではそもそも学校どころではないのだが、今の私に冷静な思考をしろなんて無茶難題である。
学校。そこからふと思い出すのは、可愛い可愛いショートボブの幼馴染。男性恐怖症の小動物。
……これ、私、嫌われるんじゃね?
ちゃんちゃんと鳴り続ける無駄にハイテンションなアラームの音が、急に遠くなった気がした。