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夏の三角  作者: 役立 愚弐他
夏の三角
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犯人視点

 ――今しかない。これほどの機会は他に得ることなどできない。人気の少ない廃ビルの近くを通ったとき、そう思った。

 少し付き合ってほしいと、彼女の方から声をかけられたことには驚いたが、頭に血が上っていたのだろう。よく考えもせずに、好都合だと是非にと言った。

 彼女の後ろをついて歩いていたが、このときに勢いよく彼女の腕を捕み、廃ビルへと連れ込んだ。中程まで進み、彼女を押し倒す。多少の抵抗はあったが、体格差のおかげで、彼女はいとも容易く組み伏された。帽子に隠した髪が、一片はらりと落ちる。

「……これでもう、犯罪は確定してしまいましたね」

 彼女はとても冷たい声でそう言った。悲しげ、とも取れるかもしれない。

「こんなことをしたら、もう傷害罪でしょう?」

 彼女の言葉に違和感と焦りを感じ、少しうろたえてしまったが、もとより正しい行いだなど思っていない。止めることはできなかった。

 それもこれもお前が悪い。お前が告白などするから。苛立ちと、悔しさを込めて、手を振り上げる。

 指先まで、ぴん、と伸ばした手を振り下ろす寸前だった。

「まだ引き返せます、先輩」

 ……今更何を言うのか。たった今、傷害罪だと言ったのはお前ではないか。

 それよりも、何故先輩と言った? 面識はあっただろうか。いや、ないはずだ。そもそも彼女に誘われた理由はなんだ?

 そう思って、既にばれているのだと気づく。

 つけているのに、彼女が一人になる機会を窺うことに精一杯で、二人の話をろくに聴いていなかった。ストーキングなど、性格に合わなかったのだと今更思う。

「先輩は多分、声をかけたかっただけですよね。その気持ちはよくわかります。……さっき泰都君から話を聞いて、すぐに思い当たりました。泰都君は大前提を勘違いしています」

 はっとして、固まっていた腕が徐々に下がる。彼女の言葉には大きな意味がある。

「今なら、知っているのは私だけです。……まず初めに、脅迫状なのに宛名に様をつけたということが気になりました。脅迫するのに、そんな丁寧に書くなんて不自然です」

 こちらの方が有利な状態でいるのに、彼女の言葉を遮ることができない。

「泰都君の言葉から、私たちをつけていたのは弓ヶ丘高校の生徒、これは間違いないでしょう。けれど次の日には見かけなくなっていました。それは多分、他の生徒がいることが、自分を隠す為の手段と考えたからではないですか」

 ……この子はもう、全てわかっている。そう感じられた。

 組み伏されたまま、顔を背けて彼女は続ける。

「あの辺りにはあまりうちの学校の生徒はいません。他に生徒の姿が見えなければ、すぐに自分もその場を離れた方がいい。だとすれば、私たちの後ろを歩いていた生徒が犯人です。私たちの前を歩くのでは、常に目に付きますし、周りの生徒を確認する為の行動は挙動不審見えたでしょうから。泰都君の記憶を元に、勘違いを正せば、条件に合う人は一人しかいません」

 彼がどういうことをこの子に言ったのかはわからない。けれど、特定するに充分な話だったのだろう。返す言葉もない。

「……先輩にこうさせたのは多分、私が原因ですよね。でも、先輩がいなかったら、私も泰都君と帰ったりできませんでした。名前を呼ぼうとも思わなかったでしょう」

 少し感謝もしてるんです、と付け加える。

 この子の言うことは、今ひとつわからない。

「あのときは顔も見えなかったけれど、今週の月曜日、先輩のことに気がついたんです。このまま何もしないのでは、先を越されるかもしれない……一日考えて、泰都君に帰ろうと声をかけました」

 なるほど、この子も機を窺っていたのか。 そして、もう一人のその存在に、先に気づいた。

「私、少し責任を感じています。どうか、このまま何もなかったことにできないでしょうか。そうしていただければ、この件は誰にも言いません」

 呆気にとられた。

 ……何をやっていたのだろう。傷付けてでも奪おうと思っていたのに、むしろ罪を庇われている。

 圧し掛かっていた体を、ゆるゆるとどけた。彼女は汚れを叩き落として、こちらを見据えて続けた。

「もう少し、付け加えます。本当は、今日、ちゃんと告白しようと思っていました。けれど、彼は私が呼び出した理由もわかっていませんでした。この間私が誘ったのも、私自身がつけられていると思ったから、安全の為に誘ったのだと考えたようです。……鈍感なんです」

 鈍感、か。ならばこんな影の行為は無駄なのだろうな。

 そして、彼女もうまくいっていない、ということだろう。こんなことまでして、自分がしたことが先走りでしかなかったことを思い知る。

 もう、彼女をどうこうしてしまおうなんて気は失せていた。馬鹿なことをしたと、後悔する。

 傷付けてしまう前に、彼女が話してくれたことが唯一の救いだ。

「……先輩、今度一緒に帰りましょう。泰都君も一緒に」

 ……こんな状態にしてしまったのに、それでもこの子はそう言うのか。

「それが、この件を内緒にしておく条件にします。同じ人を好きになった誼です、正々堂々と勝負しましょう?」

 少し呆れてしまったけれど、おもしろい子だな、と思った。今更声をかける資格があるのか自信はなかったが、人を好きになって、これで終わりともできる気はしない。

 ……それが条件とあらば、ありがたく従わせてもらおう。

 この子には、大きな借りができてしまった。

「ところで先輩、お名前は?」

「……稲畑香菜実いなはたかなみ

「香菜実先輩、ですね。私は小花千流です、よろしくお願いします」

 小花と名乗った下級生が頭を下げる。おかしな状況に面食らってしまったが、少し遅れて、こちらこそよろしく、と返事をした。

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