三+犯人視点
二人して下駄箱から出て、僕はすぐにこの暑い中を歩かなければならないことにため息をついた。自転車があれば、丘を下る風を受け、少なくともその瞬間は涼しさを感じられたのに……。
「んーどうも、気分のいい天気とは言えないね」
六月、梅雨に入りだした空模様は、小花にもそんな言葉を吐かせた。前日の雨の残り香が未だに漂っている。
「うん、まぁ……この季節はそんなものじゃないか。それよりもやっぱり暑さが堪える……」
在り合わせの言葉で返す。
僕はこういう状況のとき、何を話せばいいかわからない。人気のある奴みたいに、おもしろい話を持っている訳ではないし、気になることがあってもどういう訊き方がベストなのか、見当もつかない。そんな自分が情けなく思えてまたため息をついていると、
「ねぇ、泰都君は恋愛とか、したいって思う?」
小花がおもむろにそう言った。
だが、ちょっと待て。
話題どうこう以前に、僕らは名前で呼び合うような関係ではないはずだ。現に一緒に帰ろうと誘ってきたとき、僕のことを、結城君、と呼んでいた。
疑問を持ったまま、場を悪くするのにも気が引けて、僕は言った。
「いや、まぁ……したくないとは思ってないよ。でも、縁はない」
「なにそれ、適当だぁ」
あはは、と乾いた笑いを添えて、僕はあえて小花に訊く。
「そういう小花はどうなんだ?」
ほとんど間髪を入れずに、
「んーしたいと思ってるよ」
そう、言って続ける。
「好きな人……は、いるんだ。でも、その人は私の気持ちを知らない。多分、理想を叶えてあげようなんて思いもしない。そりゃそうだよね、知らないんだもの」
いたずらな笑みを浮かべて言う。
「それに、鈍感すぎて、困っちゃうの」
僕は、なんとなく返答を躊躇った。
僕らの学校は、規則はそれほど厳しくない。けれども、一つだけ厳重に注意されていることがある。
〔制服姿での遊び歩き禁止〕
これはどうやら、僕が入学する前に、諸先輩方が問題を起こしたことが原因らしい。制服姿であれば、一発で何処の生徒かもばれてしまう。学校がそれを嫌ったのだろう。
厳しく言われているだけあって、大体の生徒は寄り道をすることもなく、まず家に帰る。
ご多聞に漏れず、僕もそうだ。
そして、仲の良い友達は、僕とは帰る方向が違う。今までなら自転車通学で、尚更誰かと一緒に帰るなんてなかった。だから普段であれば、僕は一人で帰ることがほとんどだ。
ところが今は小花が横にいる。歩いて二人で帰るとなれば、当然、横を向くことも多々あって、僕は気づいたことがあった。
視界の端に映った、僕らの後ろを歩く人がいたこと。
小花と雑談をしながら、既に結構な距離を歩いていて、僕の家までそう遠くない所まで来ていた。
この辺りではあまり弓ヶ丘高校の制服は見かけないのだけれど、今日は違った。たまたま下校時刻が被ったのだろう。
前には一人、男子生徒がいた。ズボンのポケットに手を入れ、少し俯くように歩いている。前から見ないことには、素性もわからないが。
後ろは一番近くに、小花と同じ制服の、リボンの色が緑の女子生徒。今年の一年のリボンは黄色だから、上級生のようだ。女子の平均よりは高そうな身長で、髪も長い。すらりとした体躯をしている。モデル体系とでも言おうか。
少し離れて、携帯電話を操作しながら歩く男子生徒。男子生徒の学年を示すものは、襟についた校章のバッジなのだけれど、横を向いたついででは見えない。雰囲気だけで察するなら、恐らくこちらも上級生だ。
あ、電信柱に驚いた。携帯に気をとられるからだ。
そしてその数メートル後ろに、三人組みの男子生徒二人と女子生徒一人。なにやら楽しげに話している。その内の一人は同じクラスの男子だ。ど忘れしたようで、名前が思い出せない。三人はきっと、同じ中学、もしくは塾などで知り合ったのだろう。
おっと、もう一人、その三人組みに隠れる格好で、ちらちらと見える人影があった。
ふちのある眼鏡をかけている、男子生徒。人相はよく見えなかったが、見知った人ではなさそうだ。
同じ方向に帰るのは、当たり前ながらこの道が自宅へ向かう最短の道だからだろう。
割と家の遠い生徒も多いものだと、ただそう思っただけだった。
けれど、弓ヶ丘高校の生徒は、小花と帰った三日間でこの日だけしか見かけなかった。
この道程の間、小花とは色々な話をした。先の恋愛の話であったり、教師への不満など。
「ねー、山野センセはひどいでしょ! 予習はしてるんだよ、それでも解らないから困ってるのに、今の若いもんは勉強なんて興味がないか、とか言うなんてさ!」
僕自身は予習はしてないから、小花の文句には乗れないけど……言いたいことは良く解る。
実際、山野先生はそういった皮肉をよく言うのだ。
会話の流れのおかげで、僕にでも小花に質問をすることができた。
「なぁ小花。小花の趣味って何だ?」
小花は唇に人差し指を当て、考える素振りを見せてから言った。
「うーん、そうだね。ミステリーとかって好きだよ。本を読むことより、例えば、誰かが気がついた謎をばばーん! って解いちゃったり!」
誰かが気がついた謎、か。僕は提供できるだろうな。頭の中にある情報を探れば、何故そうなったのか、謎になり得ることは少なからずあると思う。けれど、それを披露するつもりはない。むしろそれを元に、謎、と言うか問題を解決してきて痛手を負った僕には、つらい趣味だ。
「だったら、僕には小花を楽しませるのは難しいかもなぁ」
僕自身、少し寂しい気もしながらの言葉だった。それを聞いた小花は、ぶー、と膨れていた。
ところでさ、と小花は話を続けてくれるのだが……実際にそうやって膨れる人は初めて見たぞ。
もうしばらくで、僕の家に着く。
これほど長く話したのは初めてだったけれど、彼女とは想像以上に馬が合うのかもしれない。
小花の話にはちゃんと返せるところが用意されていて、自分では話がうまくないと思える僕でもよく話が続いた。いつの間にか、小花との会話に夢中になっていた頃には、もう前にも後ろにも、弓ヶ丘高校の制服は見当たらなかった。
そうこうしてる内に、ついに僕の家まで辿り着いてしまう。
「あ、ごめん、僕、ここなんだ」
そう言うと小花は笑って、
「そっか、じゃあここまでだね」
そう簡単に言いのけた。
「ねぇ、泰都君、明日も一緒に帰ろっか?」
小花がそう言ったのは、僕と同じ気持ちになってくれていたからだろうか?
素直にうんと言うのが恥ずかしくて、わざと、冗談を交えて応えた。
「そりゃ光栄だな。でも僕と帰りたいなんて、僕に好意でも持っていてくれたりしてな?」
僕はこの時、軽い気持ちで小花からの返答を待っていた。あはは、と笑って返してくるだろうと。
ところが。
「……うん、そうだよ、私は泰都君が気になってる」
そのときの僕を傍から見れば、恐らく間抜けそのものだったろう。
唖然としてしまって、言葉どころか感情さえどこかに飛んでしまった。さっきから近くにいた女の子が、まるで急に仮面を取った宇宙人のように見えた。
「私はね、君が好きだよ」
僕は固まったまま、間の抜けた顔で小花を見つめる。
「うん、急にごめんね、明日の放課後、また声かけるから!」
小花はそう言って、来た道を戻っていった。
今になって考えれば、この日がとても暑い日だったと印象が残るのは、恐らく気温や湿度の所為だけではないと、僕は思う。
――まさか、と思った。まさか告白をするなんて。
目的地よりも少し前の曲がり角を折れて、身を隠しながら二人を見ていた。距離が離れた所為で全てを聴き取ることはできなかったけれど、君が好きだよ、その言葉は嫌によく聴こえた。
喜ぶべきことは、ここで答えが出なかったこと。
だけど、これはどうしたものか。
もしも二人が付き合ってしまったとしたら、この気持ちは何処へやればいいというのだ!
……方法を考えなければ。決定的な何かを突きつけてやればいい。二人は一緒に居れないのだ、と。だがしかし、どうやって?
家の中へ入っていく人物を盗み見る。
ユウキタイト……。
自分の考えが、少しずつ暗くなっていくのを感じた。