二+犯人視点
三日前の水曜日、この日は特別に暑かった。
まだ六月に入ったばかりだというのに、茹だるような暑さだった。
この弓ヶ丘高校に入学してから、早二月。
丘とつくだけあって、学校に辿り着くまでにはいくらかの坂を登らなければならない。夏が近づくにつれ、僕は正直なところ学校の選択を間違えた、と思った。
だけれど、この高校の屋上から見た景色は、丘であるからこそ、とても綺麗なのだ。
一番向こう側に山の形が灰色に見え、その下にまるで山に寄り添うように幾つかのビルが並んでいる。それが手前に近づくにつれて、僕の住む町の風景へと変わっていく。
これを気に入った僕は、この景色を知る為にこの高校に入ったのだ、と納得することにした。
いつか、屋上から校庭を見下ろした時、いくつかの男女のペアを見かけた。自分にはおよそ縁のない関係を羨ましく思った。
四月は僕も新しい環境に不安と期待を感じながら、クラスメイトの名前を覚えるのに必死だった。恐らくは他の連中もそうだったようで、どこか浮き足立った空気が蔓延していた。
五月になってからは、友人もでき、少なくともこれまでは縁のなかった淡い何とやらにも期待してみたりもした。極少数にはそういう関係になった者もいたようだが、まぁ、自分までそんな急にうまくはいかないもので。
五月の終わりには、大してなにもない、所謂普通というものにも慣れてしまった。
その日は、前日の雨の所為でじめじめとしていて、空気中の水分が体に纏わりつき、乾いてくれない汗が一層暑さを感じさせた。
授業が終わり、帰り支度をするクラスメイトを横目に、僕は暑さに項垂れ机に突っ伏していた。
教室にはそれぞれクーラーがついているのだが、七月に入るまではただのオブジェでしかないようだ。
「結城君」
上から声がかかった。
「学校で寝てたって、涼しくなんかならないよ?」
僕が動かない訳を見透かしたように、彼女は言う。
声を掛けてきたのは、小花千流。他の生徒に先立ち、クラス委員やその他面倒事をきっちりとこなす、優等生。肩までは届かない、少し外側へ跳ねた髪。じゃれる猫のような、人懐っこい目。華奢な体形だけれど、行動的で、活発な少女。満面の笑みがよく似合う。
僕は割と、そんな彼女が好みだった。
しかし、余計なお世話とばかりに、僕は小花に応える。
「……六月にこんな暑さじゃ、動く気なんて失せるさ」
僕の家は学区のぎりぎりに位置していて、恐らくはこの学校との距離は、誰よりも離れている。更には、通学に使っていた自転車が盗まれてしまったのだ。
要するに、帰るのも面倒でしかない。
はぁ、と呆れたようなため息が聞こえた。
「いくら暑いからって、どうせ帰るんだから。行こうよ」
ん?
思ったことを口にする。
「行こうよ、って?」
「だから、一緒に帰ろう?」
僕の頭の上には、疑問符が出ていたに違いない。
「一緒にって、僕と小花が?」
確かにクラスの女子で、一番仲がいいのは小花だろうけど、それは単に小花が人当たりがいいというだけで。一緒に帰ったことなんてただの一度もない。
それが急に、何故?
「そんな嫌そうな顔、しないでよ……」
疑問符を浮かべたはずの顔は、嫌そうに見えたようだ。小花はしゅんとして呟く。
「帰る方向同じなんだし、ついででもいいでしょう?」
ええと。
嫌という訳ではないけれど、突然の誘いに僕は戸惑っていた。
というか、帰る方向が同じだということも僕は知らなかったのだし。
それと一つ。
「……僕らくらいの年齢だと、それだけで、その……噂になる」
もちろん自分がそれを気にしていることもあったが、精一杯の、小花への配慮のつもりだった。僕と歩いてもいいことなんてないぞ、と。
「そんなの、言いたい人には言わせておけばいいじゃない。……それとも私とじゃ、噂になるのも嫌なのかな?」
……こうもあっさり返されては、噂になるかもと気にしていた自分が少し恥ずかしい。
僕は相わかったと両手を挙げた。
「……ごめん、変なことを言ったかな。わかった、付き合う」
女の子が一緒に帰ろうと誘ってくれているのだ。無碍に断る理由もない。それに多分、何か用事か話があるのだろう。
そうしてこの日、小花と僕は、帰路を共にするのだった。
――下駄箱の陰から盗み見る。
二人、並んで外へ出て行く。
どうして、今日こそはと思ったのに!
隣で笑っている、そいつには見覚えがあった。以前に、同じ教室から出てきたところを見たのだと思う。
故に二人はクラスメイトのはず。
だけど、下校時に誰かと一緒にいるところなんて、今まで見たことがなかったのに。
悔しくて、腹立たしくて、ここ数日と同じように、後ろをつけていくことにする。