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俺にはあなたが必要です〜婚約破棄された推し令嬢と結婚しますがあまりにも尊すぎるのでこの手で触れるのは遠慮させていただきた……キャーッ!!〜

作者: 倉内千倉
掲載日:2026/05/18

 アスター伯爵邸の寝所にて。新婚夫婦のふたりは今まさに格闘中だった。金色に輝く髪をかきあげ、狙いを定めた獣のようでいて磨き抜かれた宝石のように煌めく瞳。眼前にいる結婚相手のあまりの美しさにノアはときめきを隠せない。ぎしりと音が鳴り、彼女は近づいてくる。

「さて、覚悟はよろしいか、ノア殿」

「キャーッ!! お美しさと尊みが過ぎますってキャーッ! 俺なんかの顔に触れるのはおやめくださいルチア様ァーーー!」

「今更何を恥じらう。我々は相思相愛の夫婦だというのに」

 その夜、ノアは終始悲鳴を上げていた。

 妻であるルチアは終始余裕綽々だった。


 さて、この夫婦について語るために、数ヶ月ほど時をさかのぼることとしよう。

 これはノアが王都にあるアカデミーの卒業を控えていた頃の話である。

「あちらにいらっしゃるのは……ああ……麗しの君、ノア様……」

「品行方正、成績優秀、家柄もよく見目麗しき素敵な殿方! 卒業後は爵位を継がれるためにさらに修業をされるとか」

「ストイックなところも素敵!」

「まだ誰とも婚約されていないなんてもったいないわ」

 アカデミーに通う令嬢たちはきゃっきゃと声を上げてノアを賞賛する。その隣を歩いていた友人はしみじみとつぶやいた。

「お前、今日も大人気だなあ」

「そうか?」

「そうだろ。道ゆくレディたちは皆お前を見てるぞ。入学した直後は自信なさげで歩いてたのに、卒業を控えた今や立派な貴公子。頑張ったな、お前」

「俺の力じゃないさ。ルチア様のおかげだ」

 ノアは青色の瞳をうっとりととろけさせて推しであるルチア嬢について語り出す。

 ダマスカス公爵家の令嬢であるルチアは、女神のように気高く、主神のように勇ましく、聖女のように清廉だ。そんな彼女は入学から今までアカデミーの首席であり続け、所作も教養も美貌も気品も全てがトップクラスの完璧な令嬢で、王室も認めるほどの高い評価を受けている。王太子からは求婚されたこともあるが、本人は謙遜して辞退。幼い頃から婚約していた第二王子アイザックの妻となるため日々研鑽に努めている。そんな彼女の姿に感銘を受けて、ノアも努力を重ね、ぐんぐんと成長し、自信を身につけたのだ。

「俺の生き方すら変えた、何もかも素晴らしいお方だ! そして卒業後はついに結婚されるのだとか……くっ! 涙が!」

「お、さすがのお前もやっぱり殿下に取られるって感じで悲しいのか?」

「悲しみ? いや、婚礼の白いドレス姿を想像しての感動の涙だ」

「もはや怖いよお前」

「これまでの感謝と応援として匿名で様々なお祝いを贈らせてもらった」

「結婚するってまだ決まってないだろ!?」

「まだ決まってないのか!? 今夜のアカデミー卒業祝いのパーティーでルチア様とアイザック殿下が結婚を報告するはずじゃ……」

「知らないのか? アイザック殿下が結婚したくないとごねているらしいぞ。前々からルチア様の妹君との仲が噂されてるし、仲睦まじい様子を皆が見てるし……おーい、聞いてるか?」

「ルチア様……今夜、何事もなければいいが……」

 そんなノアの不安は的中した。

 パーティー会場にアイザックとともに姿を現したのはルチアの妹だった。そしてひとりで会場を訪れたルチアを指差し、アイザックは言い放つ。

「ルチア・ロゼッタ・ダマスカス! 俺は貴様と婚約破棄を宣言する! 俺は運命の女性と出会った! 可愛げのない貴様ではなく、ダリア嬢こそ俺の妻にふさわしい!」

「お許しになって! お姉様!」

 ざわつく人々や勝ち誇ったように笑うふたりに動じずにルチアはアメジストのような瞳を丸くさせ、ふたりを見つめた。しばらくして納得したというように頷いてみせた。

「なるほど、そうか。確かに似合いかもしれんな、前々からそう思っていたが、並んでみると確かにしっくりくる。背格好とか色合いとか」

「ぐぬぬ……何を納得しているのだ! もっと動揺しろ!」

「ひどいわ! お姉様! 髪の色も背丈も体躯もまるで冴えない私と殿下をばかにしてそう言っているのだわ! 確かに私と殿下はお姉様と王太子殿下と比べたら、比べる時間が無駄なくらいにまったく歯が立たないけれど! それでも一生懸命に生きているのよ!」

「ダリア? なぜ私まで巻きこんでいるんだ?」

(結婚をごねているのは本当だったのか……ルチア様の婚礼姿を描くよう超一流絵師と話をつけていたのに……! それにしても一切動じないルチア様はどこまでも気高い……推そう、これからも)

 ノアはつとめて冷静に事態を見守っていたが、ルチアの表情が寂しそうなものに変わっていることに気づいた。仲間割れを始めたアイザックとダリアから視線を外し、ふたりに聞こえないようにそっとつぶやいた。

「私とて一生懸命に生きているのだがな……」

 あ、とノアは声をもらした。

 彼女は女神とも聖女とも呼ばれる完璧な令嬢。けれど実際のところ彼女は人間だ。傷つかないわけではない。それでも彼女は誇り高く、なかなかその傷を見せない。泣き顔を晒さない。弱みを見せない。しかし今まさに彼女が見せまいとしてきたものをノアは見てしまった。

「ルチア様……」

 ルチアはノアと目が合うとはっと我に返ったように、気高く顔を上げて、いがみ合うふたりを見つめ出した。

「すみません! アイザック殿下!」

「なんだ貴様は! 貴様も俺を馬鹿にする気か!」

「いえ全く興味がありません! そんなことよりルチア嬢との婚約破棄と聞きました! 本当でしょうか!」

「本当だ! あんな完璧超人の人でなし! こちらから捨ててやる! どこへなりとも行くがいい!」

「ならばルチア嬢はうちの領地に連れて行ってもいいでしょうか!」

 ノアの突然の提案に会場がまたどよめいた。

「うちは色々問題を抱えています! ですが才女と名高いルチア嬢のお力さえあれば乗り越えていけると思うのです! よろしいでしょうか! ルチア様!」

 彼女の存在は自分を助けてくれた。だから今までもこれからも。

「俺にはあなたが必要です!」

 ノアの言葉にルチアは目を丸くさせていたが、やがてゆっくり頷いた。

「こちらこそ……世話になる。ノア・アスター殿」

 ルチアの言葉で会場には温かな拍手が響いた。こうしてふたりの結婚が決まったのである。

「……なんでえ!?」


「推しの結婚、推しが結婚、推しと結婚?」

「よかったな、長年の恋が実って」

「恋じゃない、推しなの! 触れることの許されない純粋な憧憬なの!」

 ノアは結婚式の会場にある控え室で頭を抱えていた。あのときのノアの言葉はプロポーズと解釈されて、翌日ノアは使者とともに現れたルチアにより結婚の誓約書を書かされることとなった。そして異例の早さで結婚式を挙げることとなったのだ。公爵家がルチアと第二王子との結婚準備を進めていたことの他、匿名で贈られた大量の祝いの品々のおかげであるからだという。

「いったい誰だろうなあ、準備よくお祝いを贈ってきてくれたのは」

「俺ですうううう」

「よかったなあ」

 友人の言葉にうわあんと声を上げていると、ドアが勢いよく開いた。何気なくそちらを振り返ったノアは呼吸を忘れた。そこには女神……いや、推し、それでいて妻となるルチアが立っていた。純白のドレスに身を包んだ彼女は未だかつてないほどに美しく、可憐で、それでいて気高かった。ノアは思わず天を仰いだ。

「神よ……感謝します……」

「結婚前に祈るなよ。すみませんね、ルチア様。なんか変な男ですけど、いい奴ですよ、こいつは」

「それはもう十分にわかっておるよ。さあ、時間となった。迎えに来たぞ、ノア殿。さ、手を」

 ルチアの白い手が差し出されるが、ノアはぶんぶんと首を横に振った。

「推しであるルチア様と結婚するだけでなく、手を!? そんなそんなあなたはいやあなた様はあまりにも尊すぎるのでこの手で触れるのは遠慮させていただきた」

「わかった」

「キャーッ!! 握られたーッ!!」

 ぎゅっとルチアの方から手をつかまれてノアは黄色い悲鳴を上げた。それを気にすることなくルチアはノアを引きずっていく。

「まったく……これくらいで動じてはいかんぞ。まだまだ近いのキスに初夜にとやることはたくさんあるのだからな。なあ、ノア殿」

 ルチアは顔を真っ赤にするやら真っ青にするやらと大変なノアに目を細めてみせた。

「私を必要だと言ってくれてありがとう」

 私の傷を、弱さを見つけてくれてありがとう。

 リンゴン、とふたりを祝福する鐘が鳴った。

 こうしてふたりは夫婦となった。

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